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今の日本は「内政、外交」などで、難題を抱えて居ます。

【 主な、東アジア諸国との外交問題 】

(1)「南朝鮮国」・・・あまりにも「理不尽な国」で、言動のしようがない・・・。

(2)「ロシア」・・・「北方領土」問題。

(3)「朝鮮民主主義人民共和国・・・「国家的拉致問題」。「ミサイル発射問題」。

(4)「中国」・・・「尖閣諸島問題」。


【 主な、国内(内政)問題 】

(1)消費税問題。

(2)年金問題。

(3)社会保障問題(年金問題以外)。

(4)その他、国内(内政)問題。


<Ⅰ>まず「国民や有権者」は、これら「外交、内政」問題について、何気なく不満を述べます。日本国憲法では「思想・良心」の自由、そして「言論・出版」の自由が保障されています。ですので「基本的には、政府が行う政策に対して、非難や不満、デモなどを行っていいのです。」

※しかし、これらを行うには、絶対に国民が行わなければならない事があります。それは【 選挙権を持つ国民は、選挙で投票し「選挙権」を必ず行使する必要があります 】

※(補足)ですが、もし「投票したい人がいないなら”白票”と言って、何も書かずに、投票箱に入れてください。これも、”選挙権を行使”した事になります」。同じように感じるかもしれませんが、そもそも「投票場に行かずに投票しないのと」、「投票場へ行って、”白票”を投じる」のでは、雲泥の差なのです。

日本の「統治行為」に関係があるからです。日本は、皆さん、ご存じの通り「議院内閣制」です。「衆議院総選挙(議員全員が解散)」「参議院議員通常選挙(6年任期のうち3年づつ半数改選)」となります。

日本国憲法第四一条では「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である」。と。頭の回転が速い方は、私が今から何を言おうとしているか、理解できますよね?

私は、先程、「国政の非難や、国政の不満を言論の自由で発言したり、デモを行うのは、全く自由」しかし、それを【 ほんとうの意味で正当化 】するには「選挙権」を行使しなければなりません。なぜなら「議員内閣制度」は「間接民主主義」といって大統領のように、国民が「直接選書で大統領を選べないのです」。もちろん、大統領制でも「選挙権の行使」は、必ず必要です。

<2>つまり「日本の間接民主主義制度」では、「衆議院総選挙」や「参議院議員通常選挙」で国民の代表者である「国会議員」を「国民=有権者」が選ぶのです。

<3>その「衆参両院議員」が国民を代表して、「国会」で「良くも悪くも、法律を作る」のです。これで、理解出来ましたか?もちろん、「選挙権」を行使しなかった人達が、「政府の批判をしてはならない」なんで、むちゃくちゃな法律は、ありませんよ。
でもね、【 政府や国政に不満があるなら 】、「選挙権」を行使してください。小学校でも、習う事です・・・。

質問者からの補足コメント

  • つらい・・・

    【 No.2 の訂正 】

    (下から2行目)

    (誤)「この、【 総選挙区 】・比例代表並立制」

    (正)「この、【 小選挙区 】・比例代表並立制」

      【 ★ 】【】内が誤植です。お詫びして、訂正致します・・・<m(__)m>

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/09/13 01:31

A 回答 (7件)

はい。

そのように思います。
しかし、例えば、衆議院選挙の小選挙区制。死票が出すぎのシステムだとは思いませんか?
接戦が伝えられる選挙区(この場合、さらに死票率が高くなる矛盾が生じますが)ならばともかく、
盤石の基盤を持っている候補の選挙区などでは、対抗馬に投票しても勝ち目がないので、
投票したくなる意欲がなくなる、という側面は否定できないと思います。
これは単なる言い訳でしょうか。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。

>しかし、例えば、衆議院選挙の小選挙区制。死票が出すぎのシステムだとは思いませんか?
実は、その通りです。当初、「小選挙区制」を導入した経緯は、純粋なものでした。

まだ、自民党と社会党の「55年体制」が続き、日本では、全く「政権交代」の兆しもなかったのです。
しかし、当時の「中選挙区制」から「小選挙区制」に変われば、「風向きの変化で政権交代が起こるのではないか?」と期待されました。

しかし、当時、自民党の重鎮だった「故・後藤田正晴氏」だけは、死ぬ間際まで、反対したそうです。
「この、総選挙区・比例代表並立制」は、将来、「自民党の一党独裁政権の礎になると・・・」。

くしくも、今、そうなっているとは思われませんか・・・_

お礼日時:2019/09/13 01:17

世界には七つの大陸と海があるとされる。


東アジアの問題といっても、他からみたらその東アジアらしきあたりのはなしということで、ちっぽけな範囲でのちっぽけなはなし、そういう見方も出来るのではないでしょうか。前途がみえるかどうかのはなしではある。
国内の問題にしても、家の内外問題ともみえる。外で動ける体力をピークとし、概ね布団の上で動けなくなるのが人の生涯であるならば、あればいいのは、動ける外の環境と、休める家屋ではないでしょうか。無用な一部の者の贅沢財産は必要ない。親が残した家が残る以外は、すべて、相続税の対象となって当然である。それで、不正、大方の経済・税不正は、ちり霧散するのではないでしょうか。
選挙で代表者らしきが選ばれたにしても、発言機会の待機で閑古鳥が鳴く様でなければカラスが騒ぐ様ではないでしょうか。
で、出て来るはなしにしても、どこに、頭の回転があるのやら、いつまで続くのやらこの政権のさわぎすらある。
出て来るはなし、出て来る活字、すべて腐敗して糸を引くようにしつこい、それが現状の議員任期というものではないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

質問者さんは、日本人ですよね?あなには、法治国家である日本において、「権利」と「義務」があるのです。

私には、質問者さんの回答が、「まったくの他人事のように聞こえます」。

お礼日時:2019/09/13 22:01

それはそうなんですが


興味がないのは当然のこと
中身のない国会です

国民がすぐ議員に対して異議が唱えられるとか
もっと国民に寄り添う距離の近いものにならないとだめですよね
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

そうですね。

お礼日時:2019/09/13 21:53

誰が大臣になっても日本は変わらないから、選挙に行かない。


だいたい低学歴の、タレント議員、スポーツ議員が多過ぎ。

日本を動かしているのは、永田町(内閣)じゃなく、
霞が関(官僚)です。

大臣は所詮「雇われママ」です。
オーナー(官僚)の指示で動いているだけ。

だから、どの政党の誰が大臣になっても、
日本は全く変わりません。
国民もそれをわかっているから、選挙に行かない。
政治に無関心になるから、誰が大臣でもかまわない。
いっそのことタマ駅長ごとく、犬や猫に大臣をやらしたら?


スズキの鈴木修会長の言葉。

日本の中で一番優秀なのは官僚だ。彼らの頭脳を使い、例えば3つの答えを用意させる。
その中から、政治家は2つを選べばいい。

選んで実行するのが政治だ。
なのに、政治家は自分たちで5つの答えを出そうとしているから、間違っとる。優秀な人材を使えていない。

また、ドラマ「官僚たちの夏」で事務次官が言った言葉
自分たちは「国家に雇われているのであって大臣に雇われているわけではない」と吹聴している。

大臣は官僚から選ぶべきなのでは?
選挙で受かっただけの、知識も知恵も学歴もない、
大臣達より、東大出の官僚の方が優秀だし。

でも、それでは3権分立じゃなくなって官僚が暴走しそう。
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この回答へのお礼

回答ありがとございます。


残念ながら、質問者さんは「日本の統治機構」をご存じないようです。

日本は「法治国家」です。そもそも、国会議員が日本の全てを掌握するすのは、無理です。

国会議員は、国会で「法律」(立法権)を作るのが仕事です。

官僚は、その法案の「資料などを作成しているのです」。


つまり、「国会議員と官僚」は「国政の仕事を分業しているだけ」なのです。

お礼日時:2019/09/13 21:47

その前に「選挙権の質」を問題にするべきではないですか?我々が持っている投票権は、果たして投票するに値する投票権なのでしょうか?投票しない人は、今の選挙制度に絶望しているからではないでしょうか?



日本人は、なぜ今の政治に絶望しているのでしょうか?自民党の政治が「ロバの政治」だからです。

「ロバの政治」とは、ベンジャミン・フランクリンが言ったように、人間ではない何かに、強い影響を受けている政治の事です。

以下のアメリカ大使館広報部から引用した、ベンジャミン・フランクリンの言葉は、日本人が繰り返し思い出すに値する言葉だと思いませんか?

投票権

この結果、独立戦争の後、選挙権は確かに拡大したが、普通選挙には、ほど遠かった。そして不動産、ないしは動産を実際に所有しているか、最低限の税金を納めているかの、いずれかの財産要件によって、その後50年間にわたり選挙権が制限され続けた。

しかし、財産所有によって、人は賢くなるのだろうか? 自由を愛する気持ちや、公の問題についての正しい判断は、富によって左右されるのだろうか?

ベンジャミン・フランクリンは、1776年の独立宣言と、1787年の合衆国憲法の草案を作成した会議の出席者の中で、おそらく最も徹底した民主主義者だったが、そんなことはないだろうと、彼が考えていたのは確かである。

選挙権に関するベンジャミン・フランクリンの発言

「今日、ある男は、時価にして50ドルのロバを所有していて、彼には投票権がある。しかし、次の選挙の前に、このロバは死んでしまった。この間に男は経験を重ね、政府の諸原理に関する知識と、人類に関する見識もさらに広がり、従って統治者を正しく選ぶ資格も高まった。・・・

しかし、ロバが死んでしまった以上、投票できなくなった。皆さん、教えてほしい。投票権は誰にあるのか? この男か、それともロバか?」


フランクリンのこの言葉は、その後、半世紀にわたり、すべての州で選挙権拡大を求める戦いが行われる中、再三繰り返されることになった。

ベンジャミン・フランクリンの言葉は、こう言いかえる事もできるだろう。

しかし、住む土地によって、人は賢くなるのだろうか? 自由を愛する気持ちや、公の問題についての正しい判断は、住む土地によって左右されるのだろうか? 少しでも英知が有る者なら、そんなことはないだろう、と考えるだろう。

「今日、ある男は、田舎に住んでいて、彼には都市住民の3倍の価値の投票権がある。しかし、次の選挙の前に彼は都市に移住した。この間に男は経験を重ね、政府の諸原理に関する知識と、人類に関する見識もさらに広がり、従って、統治者を正しく選ぶ資格も高まった。・・・

しかし、都市に移住した為、彼の一票は1/3の価値に下がってしまった。皆さん、教えてほしい。投票権は誰にあるのか? この男か、それとも住む土地か?」
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>その前に「選挙権の質」を問題にするべきではないですか?我々が持っている投票権は、果たして投票するに値する投票権なのでしょうか?投票しない人は、今の選挙制度に絶望しているからではないでしょうか?

残念ながら「憲法学」では、それは「結果論」です。回答者さんのお気持ちは否定致しません。私自身もそう感じる時があるからです。

しかし、質問の内容に記載したように、まずは、国民の代表を「国民自身が投票権」を行使しなければ、何も始まらないのです。

「選挙の質」とおっしゃいますが、選挙の「質」の優劣は、そもそも、どうやって判断するのですか?

それは、良くも悪くも、国民が投票権を行使し、「国会議員」を選ばなければ、そもそもの「議論」が出来ません。

お礼日時:2019/09/13 20:03

できる。



むちゃくちゃ。
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お説ごもっとも

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

じつは、昨日でしたか?東アジア情勢の件で、ロシアや、アメリカにはやられ放題に「南朝鮮」には強気にでれるのか?

との質問があったんです。私も含めて、大多数の回答者は「そんな事はない」と回答しているにも関わらず、その「回答者」は、

たぶん「遊び、か、炎上」を楽しむ為か、「とにかく、ムチャクチャな論理で回答者をバカにしたのです」。

私は、そこで、この「日本国政府の行う、外交政策や、他の政策」も、あなたの「選挙の一票」で、「国策が決まるのですよ」。

と、諭しましたが、最後には「バカ」と言われました。


それで、今回、私の言っている事は、「民主主義の根幹であり、日本国政府の統治機構である、議員内閣制の基本である事」を理解して頂きたかったのです。

お礼日時:2019/09/13 01:01

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