人生のプチ美学を教えてください!!

江戸時代に江戸~日光東照宮に行く時、一日に何キロ歩いたのでしょうか?
20~30kmぐらいですかね?
宿場町から宿場町まで歩いて泊まる。というのが、あくまで現代目線の考え方ですが。
夜、外で寝る事もあったのでしょうか?

A 回答 (2件)

http://www.ktr.mlit.go.jp/yokohama/tokaido/02_to …

宿場までの距離によって又季節によって歩行距離は変わりますが
朝夜明け前に出発 7ツ立ち(午前4時)頃出発 日没前午後4時宿入り
10~12時間歩いて約40キロ行程の様ですが毎日だと30キロの日も

マラソン選手は2時間30分で42・195キロ走りますが
一般選手は10時間以上掛かります、
昔の人は健脚ですね。
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この回答へのお礼

普通の人の歩きだとだいたい4~5km/h 速い人で6km/hですね。10時間から12時間歩くのも辛そう。電灯もない時代だと夕方歩くのを終わるのは今より早いですね。

お礼日時:2019/09/28 18:16

江戸時代の旅は1日に40Kmほど移動したそうです。

江戸日本橋から奥州街道で宇都宮へ、さらに日光街道で東照宮へ至ると約150Kmになるので4日程度要したはずです。早朝に江戸を出発し4日目の夕方東照宮着だったと思います。つまり3泊4日ですね。
当時の人の歩行速度は4Kmぐらいだったそうです。現代人よりやや遅いですね。その方が疲れなかったんだとか。40Km歩くと昼食や休憩の時間を入れて12時間程度要したはずです。出発は日の出の少し前が普通だったそうなので夕方は4~5時頃に宿に着いたはずです。チェックインは現代の旅より早目だったと聞いたことがあります。

https://www.city.hachioji.tokyo.jp/kankobunka/00 … に八王寺千人同心が日光の火の番をしていたとの記事があります。その役目のため3泊4日で赴任していたとあります。尤も移動ルートは奥州街道ではなく八王子から埼玉県東松山市、栃木県佐野市を通っていますが、参考にはなるでしょう。

> 夜、外で寝る事もあったのでしょうか?
街道や宿場が整備された後ではほぼなかったと思います。余程の無銭旅行は別として・・・
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この回答へのお礼

やや遅めに歩いたほうが疲れがでないですもんね。それに現代のように急がなくてもよい時代だったのかも。一日40kmはちょっと自分にとって辛いですw
宿場町も距離を計算して作られていたのかも。

お礼日時:2019/09/28 18:21

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