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1. 《人知を超えたナゾ》をどうして人知がこしらえることが出来るのか?






2. 人間が持つのは 神のシルシである。

3. たとえば:

① 人間の真実や虚偽を超えた真理(《真理》が シルシである)
② 限りのある善と悪の彼岸としての至高の善
③ 相対的な美醜を超えたうつくしさ
④ 有限〔としての限りなさ〕を超えた無限
⑤ あるいは要するに 絶対性

4. シルシは たしかに人間が言わば発見して持ち得た指標である。

5. だけれども シルシが 神なのではない。その示す概念は ふつうに人
知なのだ。

6. 正解にみちびかれるために引いた補助線が シルシである。



7. 《神は 人間がこしらえたものだ》といまだに言っている。――わけが
分からない。これほどの不思議が世にあろうか。いったいどうなっているの?

質問者からの補足コメント

  • №20お礼欄つづき

    ▲ 日本人は今日まで神の概念はもたなかったし、これからももてない
    だろう
    ☆ 赤子の自然本性(身と心)のごとき聖なる甘えなんです。概念など
    は 補助線でしかないシルシです。

    成人となっては きよらかなおそれです。それが 信仰です。


    ★  「日本人は人間とは全く隔絶した神を考える能力を持っていない。
    日本人は人間を超えた存在を考える力を持っていない」
    ☆ 冗談ではありません。と同時に 人知〔でどうにかしようとするハ
    カラヒ〕を言っている部分は そのとおりです。


    ★ 「基督教と教会とはすべての国と土地とをこえて真実です。
    ☆ これが ただの人知の問題です。それをああぢゃこうぢゃと観念と
    していぢくっているだけのオシヘです。

    オシヘは 移ろいゆかざるを得ない有限のものです。
    宗教よ おごるなかれ!!

    No.20の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/10/12 09:51
  • №33お礼欄 ⑥を次の説明によっておぎないます。

    ☆ 《絶対性 ‐ 相対性》=《無限 ‐ 有限》としてです。

    ▲(ヘーゲル:無限と有限) ~~~~~~~~~~~~~~~~

    無限なものと 有限なものとの一体性・・・この矛盾・・・は 

    どんな自然的なものも自分のなかにこれを持ってはいない 
    ないしはこれを 我慢できないであろうが 

    この矛盾を持ちこたえることができるのが
    人格(☆ ――もしくは《わが固有の時間》――)の高さである。

    (『法の哲学』§35追加(講義録)藤野渉・赤澤正敏訳 1967)
    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

    No.33の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/10/14 08:28

A 回答 (33件中1~10件)

そう言ってるのは、ごく一部の人間だけだろ

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この回答へのお礼

そうですね。――まづは ご回答をありがとうございます。

どれほどの割り合いなのか?

たとえ一部であっても大きな問題でしょう。
あるいは たとえひとりだけであっても まともにそう言っている場合
は 人びと一般としての重さがあるのでは?


このカテで見たかぎりですが:
★ ごく一部
☆ ということはないと思います。《感じ》としてですが。

お礼日時:2019/10/11 09:07

どこかの怪しい宗教の教義では?

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この回答へのお礼

いや このカテで見るかぎりでですが そうではないので 困ったという
感じを持ちます。


ご回答をありがとうございます。



きちんと認識をしておくのが のぞましいと思います。

お礼日時:2019/10/11 09:08

《神は 人間がこしらえたものだ》といまだに言っている。

――わけが
分からない。

だとすれば、神は人間以外の誰が作ったのですか。
論旨から「神は最初からいらした」は答えになりませんよ。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ だとすれば、神は人間以外の誰が作ったのですか。
☆ ですから 《人知を超えている》って言ってますよ。


★ 論旨から「神は最初からいらした」は答えになりませんよ。
☆ そうであるかも知れないし そうではないかも知れません。

分かるか分からないか。それが 分かりません。

お礼日時:2019/10/11 09:52

神の実在が証明されていませんからね


神が存在すると考えるか存在しないと考えるかは人それぞれデス師それぞれの自由ですから
「神は人間がこしらえたものだ」との考えを質問者さんが理解できないのは質問者さんは神の存在を肯定してるかでしょう
逆に言えば「神は人間がこしらえたものだ」と言う考え方を持っている方からすればその考え方を理解できない質問者さんはわけがわからないとなります
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 神の実在が証明されていませんからね
☆ そうですが 《実在》という表現は 細かく言うと 《現実に感覚として
知覚され得る》といった意味があるのではないですか?

ですから そもそも実在はしていない・・・でしょう。

《存在するかしないか》 それがいづれとも証明されていない。・・・ですね。


★ 神が存在すると考えるか存在しないと考えるかは人それぞれデス師それぞ
れの自由ですから
☆ そうでしょうね。


★ 「神は人間がこしらえたものだ」との考えを質問者さんが理解できないの
は質問者さんは神の存在を肯定してるかでしょう
☆ いいえ。もし《神は存在しない》と見る場合 それでもその不在が証明さ
れていることを意味しません。

《神は有る》派も《神は無い》派も いづれも立ち場であっても その《有る
神》も《無い神》をも 人間がつくったものではない・・・わけです。


★ 逆に言えば「神は人間がこしらえたものだ」と言う考え方を持っている方
からすればその考え方を理解できない質問者さんはわけがわからないとなりま

☆ 間違いです。《人知を超えたナゾ》が どうして《人知でつくることがで
きる》のですか?

お礼日時:2019/10/11 10:01

《人知を超えたナゾ》をどうして人知がこしらえることが出来るのか」←超えて無いから・・という 考えは あなたには 無いのか?




神も人も同じ位置にあるだけ・・
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

▲ (コトバンク:神) ~~~~~~~~
△ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
絶対的,超越的な存在とされ

△ デジタル大辞泉
人知を超越した絶対的能力をもち

△ 百科事典マイペディア
その実在を信じる立場からは・・・超人間的な霊の称
その存在を認めないものを含め,神観念の内容は文化と歴史に応じて多様である。

△ 世界大百科事典 第2版
神観念の内容は,それを分類し整理し定義する方法のいかんによって大きな変化
を示す。

△ 大辞林 第三版
人間を超えた存在

△ 日本大百科全書(ニッポニカ)
超自然的存在
・・・
~~~~~~~~~~~~~~

お礼日時:2019/10/11 10:55

そもそも「神」というものについて定義が違うから。



中学社会を真面目に受けていたのなら経済でアダム・スミスの「神の見えざる手」くらいは聞いたことがあるはず。
アインシュタインは量子力学で「神はサイコロを振らない」と言っています。
小川洋子さん著「博士の愛した数式」では作中の数学者は数学の定理などは「神さまの手帳」に記されていると例えています。
この場合の神は別にいわゆる宗教や日常で指す「神サマ」ではなく、それを決定づける要因を持っている曖昧なものを例えて「神」と呼んでいるに過ぎません。

もちろん宗教上の創造主や神が世界や人間を創ったという人もいます。
しかし一方で科学の場において「何が」世界や人間を創ったかという答えの仮置き場でも、それが複雑怪奇で曖昧なものを指して前述のように「神」と例えます。
質問文でも科学の議論において「人知を超えたものを仮に何と呼称するか」の定義が「神」なだけです。
言葉の定義がなきゃ議論ができません。

文脈を見て誰がどういう意味で「神」という言葉を使っているか考えないからそうなるのです。
ボキャブラリーと想像力の問題です。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ そもそも「神」というものについて定義が違うから。
☆ たしかに №5のお礼欄にいくつかの定義を引用しています。

その中には 定義が多様であるという指摘もあります。

問題は その場合の多様性というのは すでに《定義をしたその概念》の
多様性なんです。

どういうことかと言うと その定義ないし規定を終えたあとの概念ないし
観念が さまざまだということです。

多様な定義の仕方があるということは 取りも直さず神が《人知を超えて
いる》という意味にほかなりません。


★ 中学社会を真面目に受けていたのなら経済でアダム・スミスの「神の
見えざる手」くらいは聞いたことがあるはず。
・・・
この場合の神は別にいわゆる宗教や日常で指す「神サマ」ではなく、それ
を決定づける要因を持っている曖昧なものを例えて「神」と呼んでいるに
過ぎません。
☆ これらも 《補助線》ですね。《シルシ》です。神本体のことではな
いわけです。



★ もちろん宗教上の創造主や神が世界や人間を創ったという人もいます。
☆ これも 大きく言えば 神という正解にみちびかれるために〔と思っ
て〕引いた補助線なわけです。


★ ~~~~~~~~~~~
しかし一方で科学の場において「何が」世界や人間を創ったかという答え
の仮置き場でも、それが複雑怪奇で曖昧なものを指して前述のように「神」
と例えます。
質問文でも科学の議論において「人知を超えたものを仮に何と呼称するか」
の定義が「神」なだけです。
言葉の定義がなきゃ議論ができません。

文脈を見て誰がどういう意味で「神」という言葉を使っているか考えない
からそうなるのです。
ボキャブラリーと想像力の問題です。
~~~~~~~

☆ このくだり よく分かりませんでした。《シルシ》説と同じであるか
も知れませんし あるいはほかに何か別のことを言おうとしているのかと
も感じられます。でもよくは分かりません。あしからず。

お礼日時:2019/10/11 11:05

質問者さんは根本的間違っています


人が神を作れるならその神は人智を超えた存在ではありません
ですから人智で推し量れる存在と考えられる以上そのように考えてる人達には
「人智を超えたナゾ」を想定していませんしな
していない以上
「人智を超えた謎を人智で作ることができるのか?」なんて問もありませんよ
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 質問者さんは根本的間違っています
☆ それは いいんですが・そして むしろ歓迎しますが その理由を説明し
てくれないと。・・・

★ 人が神を作れるならその神は人智を超えた存在ではありません
☆ そのとおり。言いかえると そのつくった神は ほんものの神ではないと
いうことです。

観念の神と言ってもよいし おもちゃの神とも呼べましょう。


★ ですから人智で推し量れる存在と考えられる以上そのように考えてる人達
には 「人智を超えたナゾ」を想定していませんし なしていない以上
「人智を超えた謎を人智で作ることができるのか?」なんて問もありませんよ

☆ 《神は 人知を超えている》という規定を一般に人びとは共有しています。
この前提を見逃していますよ。

お礼日時:2019/10/11 12:55

mojittoさんの回答が理解できないよですがその回答を理解できないと神について数多の人達と論ずるのは不可能ですよ

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この回答へのお礼

そうですか。それは こまったものですね。


ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2019/10/11 12:56

人智を超えたナゾを想定していない人達には


そもそも
「人智を超えたナゾを何故作り出せるのか」
なんて問自体ありません
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この回答へのお礼

一般に定義されています。



また どうしても不服のときには 自分じしんの定義をあきらかにする
のが 学問としての姿勢です。



ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2019/10/11 12:57

人知を超えたナゾを人知がこしらえることができないことを証明する


ために提示したロジックが間違えているからじゃないの?
つまり証明されていないから、できるともできないとも言えない
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この回答へのお礼

いや:
★ 人知を超えたナゾを人知がこしらえることができないこと
☆ は 自明のことです。
そして
〇 人知を超えたナゾ
☆ だということは 一般的な・想定することにおける定義である
と考えます。

★ ロジックが間違えている
☆ とか・ただしいとかの問題ではなくです。

それでもこの想定による定義に批判的な立ち場の場合には 独自の
定義をあきらかにしなければならないと考えます。


ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2019/10/11 16:40
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