餃子を食べるとき、何をつけますか?

とあるサイトにはなぜ宗教が生まれたかというと、昔の人は社会性がまるでなく、一部の優れた人が彼らをまとめ上げるために神やら宗教やらを作った
司祭が奇妙な服を着るのは、神の使いという他人とは違う偉大な人間を演じるためで、もし人々が宗教に疑惑を生じると司祭はたちまち権力を失う
だから自分の宗教の優位性を破壊する異端者を迫害する
実際に神がいるかとか、宗教が正しいかとかは関係ない。神は人々をまとめるための道具に過ぎない
この様なことが書いてありましたがこれらは正しいと思いますか?

A 回答 (12件中1~10件)

>昔の人は社会性がまるでなく


 サルの集団においても社会性は認めなれるから、
 社会性がまるでない野蛮だとするなら数百万年遡ることになると思います。
 なので、言語を持った以降のことになると思います。

 法や規制は無かったとしても
 モノを盗んだら集団から追い出されるなど「暗黙の了解」はあったでしょう。

 自分たちの力が及ばない自然(風雨災害や太陽の恵み)に対して
 脅威を感じつつも恩恵を受けるために
 生け贄だの供物だのを用意したのが始まりかと推測します。

「分からない物事」を「分からないこと」と済ませることが出来ない人が
 分からないことは「神々の力によるモノ」に置き換えたのかと。
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> これらは正しいと思いますか?


① 昔の人は社会性がまるでなく
⇒ 社会性がある/ないの判断の仕方が判然としませんが、羊やサルや蜂や蟻、イルカ、コヨーテのような生き物でも、「ある程度の社会性」はあります。 昔の人という区分もどこでするのかが判然としませんが、昔の人でも「社会性がまるでない」ということはないでしょう。 ①は正しくないです。
② 一部の優れた人が彼らをまとめ上げるために神やら宗教やらを作った
⇒ まあ、宗教というのは宗派を問題にしないで、religionの意味だとして、何かをする場合に「うまくいくように」と祈るような気分になったり、「危害にあわないように」と祈るような気分になったり、というようなのは、誰か優れた人が始めたというよりは、神経作用/生理反応が起こした現象であって、自然発生的に相当数の人に起きたと思います。 仮に一部の変わり者/優れた人/異常者が妄想や天啓のようなことで託宣のようなことを言い出したとしても、「社会性の乏しい人々をまとめ上げよう」なんて気はさらさらなかったでしょう。 ②は正しくないです。
③ 司祭が奇妙な服を着るのは、神の使いという他人とは違う偉大な人間を演じるためで
⇒ 「気乗りする」「昂揚する」という経験をした人は、それを再現するさせるために、似たことをしようとします。 呼吸を整えたり、息を変えたり、酒や覚醒剤や香りや煙や音を利用したり、踊ったり、うなったり、目重くしたり、火を利用したり、水を利用したり、呪具や化粧や仮面やはちまきや、裸になったり、獣の皮を利用したり。 多くのケースでは「偉大な人間を演じて周囲のモノに見せるため」にはしていません。 ③は多くの場合正しくないです。
❹ もし人々が宗教に疑惑を生じると司祭はたちまち権力を失う
⇒ 日本語はちょっとおかしいですが、祭祀を行うものに対して、周囲の者が疑惑を強く感じていたら、祭祀を行うものの権威が維持できるのは珍しいです。 ただ、社会には社会秩序を維持することが優先的なことになっている状況は多いですから、religionの教説のようなことに信をおかない場合でも、面従し、権威は権威として尊重することが多いです。 あるreligionを統合原理とする社会組織にあって、幹部が中心思想などについて疑念/疑惑/異見をもったとしても、権威を認めないなどの行為をすることは、滅多にはしません。 ❹も正しくない場合が相当にあります。 ただ、❹はそうしたことが起こることもあるあります。 滅多にはそういうことにはなりません。
❺ 自分の宗教の優位性を破壊する異端者を迫害する
⇒ ❹のところで書いたように[社会には社会秩序を維持することが優先的なことになっている状況は多いですから]、religionでも、ただの家族や氏族、あるいは村落組織でも、組合組織でも、企業組織でも、官公庁や政党などでも、異端者を迫害する傾向はあります。 ❺はそいういう面で見れば、間違ってはいないです。 しかし、宗教に特有のことのように思っているのであれば、正しくはないです。
⑥ 実際に神がいるかとか、宗教が正しいかとかは関係ない。神は人々をまとめるための道具に過ぎない
⇒ 神が人々をまとめる機能を果たしている場合がけっこう多くあるとしても、「神は人々をまとめるための道具」と考えるのは間違っています。 トイレの神、井戸の神、水の神、火之神、竈の神、田の神、川の神、山の神、風神雷神、受験や学問の神、戦いの神、土地の神、太陽の神、天の神、ギリシャの神、ヒンズーの神、http://cwaweb.bai.ne.jp/~dsssm/devs.htm https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E3%81%AE … 神は神としてあるのであって、神は人々をまとめるための道具として考え出されたものでも、そうした目的意識で普及させたものでもないです。

質問者さんは、「とあるサイト」とか「とある雑誌/本」「あある人」から、何かを知ったとき、それがまともかどうか自分で考えたりはしないのですか。  「機能した」というのと、「まとめるための道具に過ぎない」というのとは全く違うことです。
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キリスト教のような宗教は、地中海方面かつ多民族の間で、共有された宗教の教えと神なので、それを共通性、ルールとして共有されることから、多民族の人々をまとめ、多民族間の真理=確かなこと=常識として、機能したと思います。

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違います


太古の宗教は、人間の及ばない巨大な現実から生まれました
その後の高度な宗教は
〇政治上の権力と対決する所から生まれました
〇祭紀的呪術の宗教よりも高次元の人間的価値や創造をめざしていました
〇実践する弟子達の行動は必然的に民衆救済に立ち上がりました
その後
権力を維持するために宗教を利用した者もいます
社会に法と秩序を宗教に求めた正しい権力者もいます
宗教と共に国家社会は発展し、文化も生まれました
その後
聖職者の堕落、権力者との結託等により、悲劇も生まれました

科学、文学、芸術、その他、政治、経済、道徳、そのほとんどは
宗教から始まったのです
もし、宗教(哲学)が無かったら、人間の知恵はいかにも底の浅いものに
なっていただろうと思います

話が長くなりますので、続きをここで
http://rokusann.sakura.ne.jp/newpage1.html
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そもそもは未熟な時代なりに


社会を維持するために大切な価値観をキープしようとするものとして
その時代、社会環境としては最先端の妥当性を持っていたものだと思います。
もちろん時代が未熟で普遍性とはギャップがあり
時代が進むとその矛盾が蓄積して形骸化する部分が出てくる。
そういうところが混とんとしているせいで
争いの旗印にされてしまう面がクローズアップされ、
それに対する対応も混沌の域を出ることができなかった
というのが実情で、
それは未熟な時代を突き抜けるしかなかった伝統的宗教が
不可抗力として抱え込まざるを得なかった一種の必然と理解すべきだと思います。
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正しいです。

昔はどんな王様でも、家臣に軍人と職業宗教家(坊さん)がいました。宗教は、良く言えば教化、悪く言えば洗脳。統治の手段でした。いまは宗教の代わりに学校とマスコミがその役目を担っています。
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古代から宗教の性格にはすでにいくつかあったようです。



①道徳の規範
 ユダヤ教などがそうです。
 キリスト教、イスラム教はユダヤ教の子どもなので、やはりこの仲間です。
 仏教はブッダ自身が「よりよく生きるために」と言っており、明らかにこの仲間です。

②守護神的な存在
 災害や外敵から自分たちを守ってくれる存在を祈るものです。
 精霊信仰など原始的な宗教がそうです。
 古代のローマ教もこれに当たります。
 日本の神道もこの仲間です。

③民族のアイデンティティとしての宗教
 先ほど出したユダヤ教はこのカテゴリーにも属します。
 ユダヤ教という強烈な求心力があったので、ユダヤ人はディアスポラを経験しても民族としてのアイデンティティを失いませんでした。
 インド人ならヒンドゥー教、日本人なら戦前の国家神道です。

これらは、その民族が置かれた条件に応じて、一つのあるいは複合的な理由で発生したものと思われます。


あと、一部の優れた人がまとめあげるためのと言えば、そういうのもあるでしょう。
卑弥呼の呪術もその類です。
ペルシャも古代宗教もエジプトの宗教も、そういう性格を持っています。
ただ、あくまで土着の風習に密着していてこそです。
そうでないと民衆の反発を招き、結局政権は短命に終わります。


今まで学んできて、今のことろの結論は
「宗教とは、人の世の中で自分も他人も幸せに生きる術」
ではないかと思っています。
死ぬまで幸せに生きたいから、そのための道徳を求め、守護神を求め、個人の母体となる民族が永遠に続くことを祈ったのでしょう。
哲学と違うのは
「その生き方を他人にも説く」
ということと
「求心力としての何か(法とか絶対者とか)を信じて行ずる」
ということだろうと考えています。
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昔の人は社会性がまるでなく、


 ↑
そんなわけありません。
部族てのがちゃんとありました。

しかし、宗教を利用することにより
価値観を共有でき、その結果
大集団を形成出来た、ということは
学者の間でも広く認められています。

ヨーロッパがその典型です。
ローマ帝国は、キリスト教を利用して
大帝国を築きました。




一部の優れた人が彼らをまとめ上げるために神やら宗教やらを作った
 ↑
これは誤りですね。
宗教の多くは自然発生的に出来ました。
キリスト教にしても、人為的に突然発生した訳では無く
そうした宗教的基盤の上に誕生したものです。

自然発生的に誕生した宗教を、時の支配者が
利用したのです。
順序が逆です。
ローマ帝国がその代表です。
最初は、王様の支配に逆らう、ということで
ライオンに喰わせるなど、鎮圧したのですが、
やがて人々を支配するために便利だ、
ということで宗教を利用するようになったのです。




司祭が奇妙な服を着るのは、神の使いという他人とは違う偉大な人間を演じるためで、
もし人々が宗教に疑惑を生じると司祭はたちまち権力を失う
だから自分の宗教の優位性を破壊する異端者を迫害する
 ↑
これはその通りです。



実際に神がいるかとか、宗教が正しいかとかは関係ない。
神は人々をまとめるための道具に過ぎない
  ↑
そういう一面もありますが、それだけでは
ありません。
死の恐怖を緩和する、
ギリシア哲学と融合して西洋哲学となり
近代科学の発展に寄与した、
人に道徳を教えることができた、など
色々あります。



この様なことが書いてありましたがこれらは正しいと思いますか?
  ↑
正しいところもありますが、全体としては
間違っています。
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そういう側面もあります。


とにかく言うことを聞かせるため神様を持ち出してるだけで、きかせようとしてること自体はそれなりの必然性もあったりします。
食に関するタブーは、その地域では衛生管理が困難だったり高価過ぎて安定した流通させることが困難だったりします。

あとは民衆の思考を奪ったり、何らかの被害を受けたものの救済をサボるため泣き寝入りするよう言いくるめたり。
そんな為政者に都合のいい教義もありますね。
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正しいですが一部間違いもあります。



まず「宗教」そのものは自然発生的なものです。たとえばさっきまで生きていた人が事故や戦争で傷つき動かなくなり死に至るのは、人類のように知性があるものにとってはとても不思議でしたし、毎日太陽が昇りまた沈むこと、365日経つと季節が1巡すること、など知性があってもそれを知る「知識」は無かったので「知りたい」という欲求を満たすためにいろいろな解釈が行われ、その結果宗教や神(この場合は、いろいろな自然現象を司る存在)が生まれたといえます。

で、人間社会は血縁集団程度でまとまっていた時には神は居ても、為政者は必要ありませんでした。日本で言えば三内丸山遺跡程度だと人口は200人程度から500人程度、この程度なら全員(または一家の代表)で相談して物事が決められたレベルです。

為政者(支配者)が生まれるのは、もっと大きな人口大体2000人ぐらいの集落が出来てからで、このレベルの集落ができるには、農業の発達が必要でした。
 農業が発達し「今年は不作だったが、来年の種もみを保存するために、一部が餓死することを強要する」というようなことが支配の根源になり、同時に人を確実に殺せる武器の発達とその管理から、支配権が確立されていきます。
(初期の武器はスピアスロアー:投槍器で、のちに弓が開発されます)

ただ支配力は「武器」とそれを使う軍隊を持っていれば力の支配が可能になるため、そういう支配も行われましたが、それだと支配される側の反発も大きく、世代交代で支配者が入れ替わるようなことがたびたび起きたのです。

そのため、支配者は宗教を取り入れることを思いつき「私は神の化身であるから、私の言葉は神のお告げであるから従え」とか「私の父は偉大な為政者だが、私の母は実は女神だから、私には他の人にはない力があり、だから私に従う方が良い」というようなことも言われました。

たとえば実際にクレオパトラ時代のエジプト王朝は、ギリシャ人で王宮内ではギリシャ風の服装だったのに、民の前に表れる時は神の衣装を着て「神の化身である」と支配が楽になるような事をやっていました。

時代が下るとキリスト教のような支配者とは別の宗教が出てきて、その宗教の信者が増えると、支配者と宗教指導者が近づき、王が世代交代する時に宗教指導者が「この者は神の祝福を得て王冠を被るから、みな神の意志を尊重するように」と支配者の支配権を宗教的な支持基盤で支えるようなことがおきます。

ナポレオンが皇帝になったのは、王冠を教皇からかぶせてもらうのではなく、自分で被り「教皇の権威は要らない」と宣言したからです。(元々ローマ時代のエンペラーや中国皇帝は支配権・宗教指導者・最高軍事指揮官を一人で兼任していることを言います)

翻って日本では、3世紀ぐらいは豪族の時代で、豪族たちはそれぞれ地元のカミの子孫かその神に許された支配権を持っている、という形で統治をしていたようです。天皇が大和朝廷を作った時点でも豪族たちのカミは生きていて、緩い連合国家であったと考えられています。
 そして天皇は「それらの豪族たちのカミガミを集めて礼拝ができる唯一の存在」でだから「豪族たちの長」だったのです。
日本の天皇が今でもエンペラーなのは日本国の支配権・戦争指揮権(将軍を任命できるのは天皇だけ)・宗教指導権(日本のカミガミ全部に対して一度に祈れるは天皇だけ)という、支配権・宗教指導者・最高軍事指揮官を一人で兼任、している状態だからです。

>だから自分の宗教の優位性を破壊する異端者を迫害する
唯一神の教義は「私だけを信じなさい」ですから、優位性のためには異端者だけでなく異教徒を迫害することになります。異教徒を認めるようになったのはごく最近の話です。

しかし仏教や日本の神道のようなものは、迫害はしません。特に日本では、天皇がキリスト教指導者(教皇)とも仲良くしていますし、イスラム教の王族などとも会談していますので、日本は迫害しない、というメッセージは出しているといえるでしょう。

>実際に神がいるかとか、宗教が正しいかとかは関係ない。神は人々をまとめるための道具に過ぎない
科学技術万能の視点から見ればそのような考え方もアリだと思いますが、人間の心や社会は必ずしも科学で割り切ることはできないので、宗教的な視点も考慮する必要があると思います(宗教を信じろ、ということではありません)
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