アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

Nobert Bolzの情報社会についての文章です。
Daten sind virtuelle Informationen, die durch Abfrage in aktuelle Informationen
verwandelt werden. Das ist der Hintergrund der bekannten Onlien-Verheißungen
"information at your fingertrips" oder "einen Mausklick entfernt" Wer sich davon
faszinieren lässt, übersieht leicht, dass Information kein Maß für den Wert einer
Botschaft ist. Sinn und Unsinn, Börsenkurse und Regionalligaergebnisse, Gottesdienstzeiten
und Immobilienanzeigen.この文章の
「Das ist der Hintergrund der bekannten Onlien-Verheißungen
"information at your fingertrips" oder "einen Mausklick entfernt" Wer sich davon
faszinieren lässt, übersieht leicht, dass Information kein Maß für den Wert einer
Botschaft ist.」がわかりません。「Onlien-Verheißungen」とは何でしょうか。online上の
約束?

Wenn man Informationen mit einer Suchmaschine sammelt, stößt man sofort
auf das Grundproblem des Internet-Zeitalters: Tausende von "hits" als Antwort auf
meine einfache Frage―so genau wollt ich es gar nicht wissen! Weniger wäre mehr.
Man kann nicht alles wissen wollen, was man wissen könnte. (......) Und so lautet die große
Frage des Internet: Wo beginnt man die Suche? Hier muss man sich für einen Browser, für
eine Suchmachine, für ein "Portal" entschieden.
この文章の「Man kann nicht alles wissen wollen, was man wissen könnte.」と「Hier muss man sich für einen Browser, für eine Suchmachine, für ein "Portal" entschieden.」がわかりません。
kannとwollenが同時に使われていてどういう意味かよくわかりません。またfür4 entschiedenは
「④を採用することを決定する」という意味ですよね。ここもよくわかりませんでした。

Nun werden viele angesichts all der wunderbaren Suchmachinen im Nezt aber gar nicht
wissen, was sie suchen sollen. Denn Tim Koogle, der Yahoo!-Gesellschaftsführer hat ja nur
allzu Recht:"Die Nutzer wissen erst, was sie suchen, wenn sie es sehen."
この文章の「Denn Tim Koogle, der Yahoo!-Gesellschaftsführer hat ja nur
allzu Recht:"Die Nutzer wissen erst, was sie suchen, wenn sie es sehen."」
がわかりません。allzu Recht habenはどういう意味でしょうか。

Man kann wohl prinzipell sagen:Je interaktiver ein Medium, desto marginaler die
Information. Und häufig genug trifft man heute auf den Grenzwert dieser Marginalisierung
von Information:Kommunikation kommuniziert Kommunizieren. Reden wir miteinander.
Kommunikationsverhältnisse sind offenbar erklärungs- und begründungsunbedürftig. Diesen
Eindruck gewinn man jedenfalls, wenn man als Außenstehender den Chat im Netz, die Fans
des CB-Funk, aber auch ganz alltägliche Telefonie beobachtet―Gesprächsthema Nummer
eins ist:Es funktioniert! Es geht vor allem um die Lust an der Fortsetzung, um das Glück der
Anschließbarkeit.
「Je interaktiver ein Medium, desto marginaler die Information.」の訳は分かりますが意味がわかりません。また 「Und häufig genug trifft man heute auf den Grenzwert dieser Marginalisierung
von Information:Kommunikation kommuniziert Kommunizieren. 」もわかりません。また「Gesprächsthema Nummer eins ist:Es funktioniert! Es geht vor allem um die Lust an der
Fortsetzung, um das Glück der Anschließbarkeit.」もわかりませんでした。

長い質問ですみません。回答して頂けたらとてもありがたいです。よろしくお願いします。

質問者からの補足コメント

  • どう思う?

    追加です。Die Internet-Kultur besteht in erster Linie in der Pflege des Netzwerks selbst,
    also eines Angebots von Beziehungen und Verknüpfungsmöglichkeiten. Das ist die Bedeutung der Links auf den Webseiten des Internet. Techiniker können das nicht begreifen. Denn je technischer ein Sachverhalt ist, desto unwichtiger ist der Kontext. この文章のも良く分かりませんでした。

      補足日時:2019/11/30 13:12

A 回答 (3件)

Online-Verheißungen の前には bekannten という形容詞がついています。


そして、そのあとに "information at your fingertips" oder "einen Mausklick entfernt" とあります。
(fingertrips と書いてありますが、写し間違いですね。)
"information at your fingertips" という表現は、1990年にビル・ゲイツが使ったものです。
ワンクリックで情報が得られる利便性を言ったものです。
"einen Mausklick entfernt" が特定の人の言葉なのかどうかはわかりませんが、その前に nur を付けたりして、
世界や情報から「マウスのワンクリック分しか離れていない」、「ワンクリックでそこへつながる」という利便性を言うときによく使っています。
Verheißungen の意味は「約束」でよいのですが、このまま訳すのはちょっと無理でしょう。
「オンラインの約束(あるいは保証)」というのは、
「インターネットにつながっていることの利便性への約束」、あるいは「利便性を約束する言葉」ということです。
現実的には、要するに「うたい文句」といえるものなので、そのように意訳してしまう手もあります。
言葉の意味そのものは Verheißung のそれとは違うので、語学的には微妙かもしれませんが、
Verheißungen が使われている例文をコーパスで見ていくと、「うたい文句」と訳しても差し支えのなさそうなケースはあります。
sich faszinieren lassen は、黙認、放置のニュアンスです。

 これが、「あなたの指先に情報を」とか「ワンクリックするだけ」というような、
 よく知られた「オンラインといううたい文句」の背景である。
 これに魅了されたまま顧みないものは、情報というものがメッセージの価値を測るものさしではない
 ということを簡単に見逃してしまう。


kann と wollen は、前後の文の内容から理解できることなのですが、基本の意味そのままで読んでください。
確かにそう頻繁に使う二段構えではないかもしれませんが、「欲することは不可能」です。
alles, was man wissen könnte が接続法II式になっていますが、
「もし知ろうと思えば知ることができるかもしれないすべて」というニュアンスです。
今のようにインターネットがなかった頃は、ものごとを知る手段には限界があり、
「知ることができるものは何でもすべて知りたい」というのは現実的な欲求でした。
しかし今は、情報が多すぎて、「知ることができるかもしれないすべて」が無限大に近くなってしまったため、
「すべてを知りたいと思うこと」自体がもうできなくなってしまっている状況です。
「知り得ることすべてを知りたいと欲することは不可能である」というような訳になると思います。
sich et.4 entscheiden は、「(選択して)心を決める」という意味がありますので、
コンマによる区切りは、「~か、~か」という選択肢を並べていることになります。

 どこから探し始めたらよいか。ここで、ブラウザーを使うか、検索エンジンを使うか、
 ポータルサイトを使うかを決めなければならない。


allzu は「あまりにも」「むやみに」「度外れて」などと辞書には出ていると思いますが、
必ずしも否定的な意味でだけ使う語ではなく、程度が高いことを表します。
Recht haben は「(言っていることが)正しい」の意味で、両方合わせての直訳は、
「言っていることがあまりにも正しすぎる」、
つまり、「まさに正しい」「正鵠を射ている」という意味です。

 「利用者は、自分が探すものが目の前に現れたときに初めて、何を探すのかがわかるのだ」という、
 YAHOO の最高経営責任者、ティム・クーグルの言葉はまさに正鵠を射ている。


今晩はもう時間切れなので、このあとの部分は明日詳しく回答しますが、いくつか要点だけ触れておきます。
Je interaktiver ein Medium, desto marginaler die Information. は、
「メディアの双方向対話性が高まるほど、情報がさらに置き去りにされる」と訳せます。
情報とは本来、単なるデータの紹介でもなく、専門知識のない人たちの考えの集積でもありません。
まさにここのような Q&A サイトもエッセーの中で言及されていますが、
今行われているような質問者と回答者の双方向対話を読んで得られるものも、真の意味での情報とは言えないのです。
ほとんどの投稿者は専門家ではなく、個人的な考えを述べているだけだったり、
Google の検索で見つけた情報を提供しているだけです。
「啓蒙も権威もない」とエッセーの中に書いてありますね。
しかし今、インターネットに接続してここを見た人の多くは、「これで情報を得た」と思ってしまいます。
Kommunikation kommuniziert Kommunizieren. は、言葉の意味を駆使した遊びのようなものですが、
最後の Kommunizieren は動詞の名詞化なので、kommunizieren は他動詞ということになります。
独和辞典ではここのところがよくわかりませんが、kommunizieren は情報などを「伝える(mitteilen)」の意味です。
情報というものが本来あるべき情報ではなくなり、
「情報交換を伝えるだけの情報」のようになっている、ということです。
これが、「(本来の意味での)情報の置き去りの極限」です。
Gesprächsthema Nummer eins ist: 以降に書かれていることは、筆者がよいと思うことではなく、
多くの人にとってはそういうことばかりが大事になってしまっているという、その内容が書かれています。
補足の質問の箇所は、ウェブサイト上に張り巡らされているリンクは、
単に情報の網目を張りめぐらすという技術的な開発を追及するほど、
今読んでいる記事、知りたい情報などの文脈(Kontext)とは関係のない情報へのリンクになってしまう、という事情を述べています。

詳しくはまた明日。
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途中の箇所からもう一度詳しく回答します。



interaktiv は、EDV(電子データ処理)分野の専門用語で、「双方向対話を可能にする」という意味です。
専門性や権威とは程遠いレベルで大勢の人同士が対話をするだけのものを見ても、
それは本当の意味での「情報」ではありませんが、今のインターネットの使われ方を見ると、
多くの人同士がつながる、話ができる、ということが目的になっていることが圧倒的に多いと感じます。
メディアがそういう双方向対話の可能性をより多く提供すればするほど、
そこに出てくる情報は中身が希薄になり、空洞化します。「情報がより置き去りにされる」ことになります。

Und häufig genug trifft man heute auf den Grenzwert dieser Marginalisierung von Information は、
「そしてこんにち、人はこの情報疎外の極限にあまりにもしばしば突き当たる」という意味です。
その極限というのが、Kommunikation kommuniziert Kommunizieren「情報伝達が情報伝達を伝達する状態」(= Reden wir miteinander.)で、
本来は、Kommunikation kommuniziert Informationen「情報伝達は情報を伝える」でなくてはなりません。

Gesprächsthema Nummer eins ist: Es funktioniert!
Es geht vor allem um die Lust an der Fortsetzung, um das Glück der Anschließbarkeit. という文の意味は、

 最優先の話題は、「うまくいっている! とりわけ重要なのは(対話を)続けることの楽しみであり、
 つながれることの幸せだ」。

この文の前の方に、wenn man als Außenstehender den Chat im Netz (…) beobachtet – とあるように、
これは Außenstehender がネット上のやり取りを見たときに抱く印象です。


補足の質問の方は、具体的にどの部分がわからない原因になっているのかが不明ですが、

 インターネット文化は、第一にネットワークそのものを整備すること、
 つまり(人との)交わりとつながりを提供することに依存している。
 これが、インターネットのウェブサイト上のリンクの意味である。
 技術者はそれがわかっていない。
 なぜなら、実態が技術的になればなるほど、コンテクストは重要でなくなるからだ。

訳しただけでは意味が分からないかもしれませんが、その意味する事情は先の回答に書いた通り、
単に情報の網目を張りめぐらすという技術的な追及にばかり注意がいき過ぎるほど、
今読んでいる記事、知りたい情報などの文脈(Kontext)とは関係のない情報へのリンクが増えてしまう、
ということです。

よい記事を見つけられたと思います。その内容は、私が日頃から痛切に感じていたことばかりです。
それとちょっと関連するのですが、たまに時間があるとき、
以前お使いになっていたサイトの質問を拝見すると、
かなり多くのものが完全に解決できていないようです。
多くの人とやり取りしているのに、一番知るべき情報が出てこない、
というのはまさにこういう状況ではないかと思います。
どこが違うのかを具体的にここの回答に書き込むことはできませんが、
いつか時間と機会が確保できた時に、何らかの方法でお伝えできればと考えています。
(Nori3426 さん御自身がそれを希望されるならば、ですが。)
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この回答へのお礼

早速丁寧に回答して下さってどうもありがとうございます。Tastenkastenさんが詳しく解説して下さったおかげでよく理解できました。この文章はハバーマスの文章ほどややこしくはなかったのですが、ところどころ分からないところがあり一人ではなかなか読み進めることができませんでした。Tastenkastenさんの詳しい解説のおかげで分からないところがクリアーになりました。どうもありがとうございます。

お礼日時:2019/12/01 21:11

Man kann nicht alles wissen wollen, was man wissen könnte.



知り得る事を総て知ろうと欲する事は出来ない。(欲してはいけない)
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