準・究極の選択

入試改革や受験改革を敢えて、わざわざする意味と必要性が全く分かりません。
 何故、急いでまで変更しようとしたのですか。するのですか。

質問者からの補足コメント

  • うーん・・・

    国民の誉れでもある理系の理科系の本物のノーベル賞受賞者の先生達方も同様に同じ道を
     通ってこられたのではないのですか。

      補足日時:2019/12/28 19:10
  • へこむわー

    そもそも、もとより国公立の二次試験は記述式だったはずですが。

      補足日時:2019/12/28 19:23
  • うーん・・・

    大昔には戻せないのですか。

      補足日時:2019/12/29 20:24

A 回答 (7件)

大昔は、大学進学率は3割だったろうから、半分近くの受験生が大学に入れないことになりますよ。


制度どうこう以前に、キモはそこなのです。
少子化により、18歳人口は、6割に減ってます。
東大ですら、従来なら受からなかったのが4割。
早慶なら、東大京大一橋に受からなかった連中が居たはずなのが、上に抜け、下は従来なら受からなかったのが4割だから、5割くらいは従来なら受からなかった連中。
MARCHは、上3割が早慶に吸い取られ、下4割が加わるので、7割くらいは従来居なかった。
日東駒専は、ほぼ全員入れ替わり。
なんてことになっているはずです。
私は昔の方が良いと思っていますが、さて。

力の無い受験生をどうしようこうしようというのもあったはずなのです。
東京外大が、妙に受験生に日和っているのも、一つにはそのため。
「数学なんて要らないよ」入試をしていますが、日本人の英語力が低いのは、お前らに指導力が無い、論理的思考力が無いのも大きな原因だろうが、分かってんのかコラ、なんですが。

さて、大昔に戻すと何が拙いか。
大学の定員が6割になって、当然大学の収入が激減し、また、学生が6割なら教員も6割、教員が6割ということは、学生が選べる研究メニューも6割、なんて辺りでしょう。

そういうわけで、仮に伝統があっても、下位の大学には潰れていただく方が良いのですが。(教員・研究者をどうするかというのは考えた方が良いですが。)
そうなりたくない私大は、文科省等に天下りポストを用意して。
そこの癒着で、変なことが起きているということもあります。

また、左翼なのかなぁ、アメリカの入試制度を礼賛する人たちがいて。
推薦入試だとかAOだとかをやりたがるのですが、それが日本では、悉くインチキ推薦入試に成り果てている。
この国では、本来推薦されるべき優秀な人は、ほぼ推薦なんて受けず、一般入試でもっと良いところを目指します。
だから推薦入試が機能しない。
また、高校が一面的に付けた成績と当日の面接などでしか判断しないために、判断材料が決定的に不足しています。
アメリカでは、スカウトがその子を継続的にしっかり見るんだそうな。そういう手間暇金を省いているので機能しない。
全く上手く行ってないのだから廃止すれば良いのに、そこに上記の癒着が。
学生が集まらない真ん中から下の私大の、学生募集の手段、頭数だけそろえる手段になっていて、癒着しているからやめられません。

また、大学の教員にも問題があって。
専門の基礎教育のようなことを、とにかく高校に押しつけたがります。
必要なら大学で教育しろよ、という話なのですが。
それで歪になっている代表が、生物、です。数学、複素平面なんかも怪しい。
英語の四技能も、よく考えたら、大学入試でやる必要ないですよね。
これからの世の中で必要だぁというのなら、大学でやれば良い。
ところが大学の英語の授業ときたら。
推薦入試が機能しないのも、学生の学力が少し低いだけでもう指導不能になっちゃう大学の指導力の低さにも原因があります。
大学中退に関して厳しい社会なのだから、指導できないなら推薦入試なんてやっちゃダメ。
たぶんアメリカのように、チャンスは与えた、ダメならダメ、また、ダメだった人にも、ナイストライ、という社会では無いので。

分数ができない受験生がぁ、と言い出すのなら、対処は簡単。
全員センター五教科を課す。7割取れなければ大学入学の資格無し。各科目7割でもバチは当たらない。
ところがその逆をやっているということは、対処をしてないということです。対処をするために制度を変えているのでは無いのです。
高校卒業資格を、終了と修了に分けることです。
修了は、大学受験の資格あり。終了は、大学受験の資格無し。センター試験か類似の「公的な」試験で分ければ良い。
高校の基礎学力すら無い連中が大学に進学するのはおかしいです。
生徒が高校に居る間に、なるべく立ち直って欲しい。高校生に勘違いさせてはいけない。
中学だと、数学の軽視を改めるべきです。後々、他への波及が大きいです。
SPIで問われるような辺りをしっかり。
高校入試も、もっと数学を「偏重」すべきです。
同時に、国語、現代文の指導方法も、中高全体で見直すべきです。

というあたり、すべきことをせず、見識の無い人の意見を真に受けて、文科省に痛みの無い改革を繰り返すので、上手く行かないのです。
ハギーは取り敢えず良い仕事しました。
あぁ、センターは良い試験だと思いますよ。これは残して良いと思います。
そりゃ、東大生には不要だとか、そんなことならあると思いますが。
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「共通一次」のままだったらまだ良かったのだと思います。



「センター試験」になったのは「私大を参入させたから」です。国公立専用で始まった共通一次に、いわゆる「私大センター利用」の役割を持たせたことで名称も変わり今に至る。

一次予選の機能のみで記述力は個別(二次)ではかる、というのがそもそものコンセプトで国公立のスタンスは全く変わっていません。

センター利用によりロクな作問能力もない私大の参入障壁を引き下げ、また信じられない低スコアや少数科目でも大学生になれる風潮を促進し、入試制度の質の低下と制度疲労を早めたのだと思います。悪貨が良貨を駆逐したのです。

改革(改悪?)案には学歴コンプレックスが強いと言われ、何でもいじって歴史に名を刻みたい現首相の意向も強く反映されているように思います。

※なおiPSの山中伸弥さんは共通一次世代です。
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教員です。



文部科学省の言い分としては、元々、共通一次と言うのは、国公立しか利用せず、国公立は二次試験で記述式の問題を課していました。
共通一次以前は、各大学毎に、選択式記述式の問題を課していました。(ちなみにノーベル賞を受賞した先生方は、共通一次以前の入学です)
各大学で問題を作るので、手間だというのと、問題のたまたまで難易度か逆転することもあり、選択式部分のみを「全国一律にしよう」と成ったのです。(これはこれで、問題が易しすぎて、点数差が出ない年も出てきて問題になっていました)
ところが、最近は私学も共通一次を利用するようになり、大学によっては、二次試験を面接だけなどという大学も増えてきて、大学入試に学力の保証と言う面が薄れてきています。

高校が全入になったあたりから、大学生なのに分数計算が出来ないと言う、とんでもない生徒も出てきているので、文部科学省としては、かなり以前からどうにかしたいと考えてきたことなのですが、どうにも出来ず、あのような案が急浮上した次第。急だったため、諸々の問題が表面化、あのような結果に。
急いだのは、最近の「日本人の文章理解力が他の先進国に比べ、低い」と言う結果が発表されたから。

まぁ、まだ問題視されていませんが「一部の企業にとって有利になる」と言われている「模試の結果を入学判定の資料とする」と言うのは、生きたままです。

と一応、理由はあるのです。日教組や左翼系の教員の思惑ではありませんので。
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あえて偏見を言いますが・・日教組とか


左側の人の圧力があったからだと
考えています。

個性重視だ、詰め込みは人間性無視だ、と
左側の人は、なんとかして日本を弱体化しようと
画策しています。

やっかいなことに、こういう人達の力が
結構強いので文科省も無視できないのではないか、
と邪推しています。
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気持ちは分かる



一応理念は有るよ
これまでの答を暗記できる量を競うだけでは日本の競争力は低下する

激化する国際競争の中でも戦える日本人を生み出すためには、暗記力ではなく論理的思考や表現力を重視する必要がある

という事
理念は立派だけどその実現方法は・・・
これが今の問題
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勉強=詰込み


という状況を変えるためですね。
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今政権のトップにいる人たちが受験の落ちこぼれだから


従来の受験が間違っていたことにしたい。
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