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私も長いこと考えましたが 人間の人生観・世界観の根本は何でしょうか?

オウムみたいな馬鹿な宗教が流行ったお陰で こっちは上がったりです

この地球で我々はどう生きるのか?目的はなにか?

どう思いますか?

YOU TUBEを作ってみました




http://www2u.biglobe.ne.jp/~yuniko37/

どう思います?

質問者からの補足コメント

  • どう思う?

    え~~私の考えは他の宗教などとは全く関係がございませんので

    勇気を持ってお答え下さい。私も高校時代から考えて来たことを此処に

    載せてるだけなんで、どうぞ遠慮なく さどうぞ^^

      補足日時:2020/05/04 13:21

A 回答 (14件中1~10件)

>私はこの世の不条理を無くしたいのです。



へ?

どうやって、不条理を無くせるのですか。哲学は語ること、対話を読者と重ねるまでしか、試みはないですが。

対話を以って、不条理を無くせる筈がないのは、誰もが当然として認識しているのではないですかね。

仰っていることが意味不明ですが・・・・。
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この回答へのお礼

ありがとう

人間が構造的に持っている目的を知ってるか知らないかだけでも随分違ってきます

我々はそれを教えて貰っていませんから 分からないままやってる人が多いです。

お礼日時:2020/05/06 15:32

>私は宗教をやるつもりはないです。

この世の真理を分かってほしいだけです。

此の世の真理を見つけなさったのですか。若し、それが本当の話なら、haru27_58 さんは今までのどのような哲人より、いえ、どのような宗教家より、卓越した人です。

此の世の真理とは、主観ではなく、客観的にみて、誰もが頷ける真理なのですか。その真理とは書籍に出来ますよ。インド哲学より、歴史に名を残したキリスト教哲学者より、ご自身の哲学の方が斬新で優れていらっしゃるのですか。それが本当の話なら、あなたは、天才ですよ。間違いないです。

梵語もマスターし、ラテン語もマスターなさっていらっしゃるんですね。本当にすごいです。正しく、奇跡の英才ですよ。あなたは。

普通に考えたらですね。例えば、キルケゴールをお勉強なさるのであれば、「死せる病」を熟読し、完全理解に至るだけでも、数年から十数年の時間は掛かります。

ハイデガー哲学であれば、氏の主著「存在と時間」であれば、理解に至れた邦人は、哲学を職業としていても、数人もいなかったらしいです。

有名な哲人であれば、九鬼周造氏くらいなものです。理解に至るまで十数年の月日が掛かりますがね。


真理が分かることは通常、一生を掛けても届かない話で、真理の話には伝統があります。真理に到達するには、何百年の歳月を重ねた伝統的な真理です。

仮にですね。あなたが真理が分かったところで、それをどうなさりたいのですかね。あなたがどういう立場にいらっしゃるのか、分かりませんが、Goo 掲示板で訴えたところで効果は期待できないでしょうね。

真理が分かったのであれば、手っ取り早い方法は、Youtube や ブログを使わない手はないでしょうね。

おやりになられましたか。

もし、おやりになられたのであれば、反応はどうでしたかね。

学問としては、伝統的な学問を学び、考察を重ねることが学問です。学問に王道はなく、地道な努力を重ねることで、哲人の足跡を追ってみることです。師弟関係に恵まれなければ、哲学がどれほど優れていようが、日の目を見ることはないと思われます。要するに、権威が無ければ、無理ですよ。権威がないのであれば、注目度の高いメディアを利用して、持論をアピールするまでですね。反応に恵まれなければ、それまでです。

私、思うのですが、haru27_58 さんが真理を掴んだのであれば、それでいいではないですか。有名・無名を問うたところで、仕方がないし、真理を他者に知らせる必要性もないのです。何故なら、あなたが真理を掴んだとしても、世の中の人々は真理には興味がないのです。

haru27_58 さんが真理をご存知であったとしても、周囲が期待しているのは、精神的苦痛の軽減であり、真理を知ることで、自分の精神的苦痛が軽減できるものではないと、真理を知らない他者は分かっているからです。何のご利益もない説教を喰らう時間があったら、一円も多く、儲けようと、もっと、享楽的にその時間を使うのが大衆心理じゃないのですかね。
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この回答へのお礼

Thank you

そうなんですか。今の大衆心理はそんな感じなのでしょうか?

かもしれませんねえ

幾ら書いてもそれを その意味をさえ分かる人が居ない

末法なんですかねえ??どうもありがとうございます。

しかし優秀な人が10年以上勉強しないと分からないなんて

そんなものが実用的になるのでしょうか?人を救う事が哲学の使命です今は。

お礼日時:2020/05/06 15:30

ご自身の哲学とオウム真理教がどういう相関関係にあるのでしょうか。



ご自身の文章を読むと、オウム真理教事件が起きたために、ご自身の哲学の台頭が木っ端みじんになり、haru27_58さんが儲ける(職を得る)機会を喪失したと分析されますが。

儲ける(職を得る)機会を喪失した、と?

オウム真理教は新興宗教ですが。

仰られている意味が分からないのですがね。

オウム真理教とharu27_58さんとは密接な関係にあるのですか。

或る意味、興味深いですね。

解説願えると有難いですねぇ。
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この回答へのお礼

ありがとう

オウム真理教とは全く関係ないです

ああいう騙しが出るものですから 真面目に哲学をやっている私が敬遠されるのです

皆さんもオウムとか怖がらないでどしどし感想を書いてくれるといいのですが

やっぱりオウムが怖いのかな?

お礼日時:2020/05/06 10:14

自分が承認されたいがための欲求なんでしょうか。



返答がないので、困惑しているのは、当方の方ですがね。

大学の哲学科に歩んでも、ラテン語はマスターする必要はあるんじゃないんですかね。

スペイン語、ポルトガル語、フランス語、イタリア語は、元々ラテン語の派生語ですからね。

質問者さんが若し、大学の哲学科に進んでも、古典のタレスから始まって、現代哲学者までの著名人の著作を学び、学んだ哲人の批評をするよう、教授陣から指導されると思いますが。

哲学者として生計を立てる事は、大卒の学歴だけでは当然無理で、大学院の博士課程まで進学することは必須の学歴で、恐らく、どの職業で生計を立てることより、難しいことだと思われますよ。

質問者さんの最終学歴は知りませんが。

哲学科の大学院まで進んでも、殆どの人は哲学者にはなれませんけれどね。

つまり、大学に残らなければ、哲人の道はないです。

あなたが何をやっていらっしゃるのかが分からないわけです。

学問に遅しはないと思うのですが。

小椋佳さんは、銀行を退職後、筆記試験を受けて、東大の大学院の哲学科に進まれましたがね。

哲学をやりたいのであれば、どの業界もそうですが、哲学を勉強することほど、才能に恵まれている必要性はあるのです。才能がなければ、これほど厳しく、残酷な道はないと思われますが。大学院の博士課程まで最終学歴が進んでも、殆ど、哲人としては生き残れないのが哲学です。
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この回答へのお礼

ありがとう

もし哲学科にすすんだら 高校の倫理・社会或いは現代社会の教諭に成れたかもしれません

或いは普通の公務員になるか。

しかし哲学の道は遠かったのです

私が自信を得たのは30代前半でした。

お礼日時:2020/05/06 10:10

質問者さんに意見があります。



あなたは一体、何をしたいのですか。

持論を広めることの目的はなんですかね。

あなたのやっていることは、教祖じゃないのですかね。

持論を広め、信者が欲しいのですか。

結局、何言いたいんですかね?

持論を広めることで、社会が何を得るのですか。
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この回答へのお礼

Thank you

私は宗教をやるつもりはないです。この世の真理を分かってほしいだけです。

全く頷けませんでしたか?

オウムと書いたのがよくなかったですねえ

私はオウムでも何でもありません 純粋に哲学をしているのです。

持論が広まれば 自己肯定感は増すと思います。

私はこの世の不条理を無くしたいのです。

お礼日時:2020/05/06 10:04

>人間の人生観・世界観の根本は何でしょうか?



当たり前のことですが、自分を大切にすることです。自分を大切にすることは簡単なようで、結構、難しかったりします。

明日をも分からぬ、我が身ですから、兎に角、生を掴むことです。幸・不幸は問うても仕方ないような気はします。兎に角、明日も生を掴んでいることを期待することです。

人生の基本はよく食べ、よく日中を過ごし、よく寝る。つまり、「よく生きる」ことです。

生きていなければ、何も始まりません。

何時かは来る、自分の死までの日々を大切にしながら、生きる事です。これが人生の基本です。

自己否定に苛まされるのは、比較から来るものだと思えます。

ですから、他人は他人。自分は自分という明確な線引きを持つことが重要です。人生という舞台では、自分が誰もが主人公で他人は脇役なのです。自分の人生に誇りを持ち、自己肯定感を強く持つことです。

自己肯定感を持てなく、自分の人生に誇りを持てないのは、繰り返すようですが、比較するからです。特に圧倒的な優位に立っている身近な他者と自分を比較すると、自己肯定感を傷つけられ、自己否定に陥ることでしょう。

ですから、質問者さんの年齢にも依りますが、若し、自分が人生上、取り返しのつかない年齢に達しているのであれば、自分と届かない身近な他者とを比較すると自分を卑下することになるので、そういう他者とは疎遠になることが重要です。そうしないと、自分は劣等感に苛まされることにも繋がるだけではなく、劣等意識という、習慣が身に就くと自分は屈折した人間像へと変貌してしまいます。これは非常に恐ろしいことです。先ずは自分に出来る事から一歩、一歩、前へ前へと進みましょう。そういう習慣を身に着けることが日々の生活の中では非常に大事なことです。

余談ですが、自分よりも下層にいる人との付き合いは辞める事です。一時の優位性に浸っても意味がないどころか、無駄な時間の使い方です。そんなことをしていると、自分は益々、意識だけでも底辺へと堕ちてゆきます。脅かすわけではありませんが、底辺の人たちと付き合っているとお金ですら、無くします。
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この回答へのお礼

Thank you

底辺の人というのはどういう人でしょうか?

私は病気をしてるのでまさに底辺の人かもしれません

圧倒的優位者を避けるなら 底辺で生きるしかないかもしれません。

死ぬような病気じゃないですが痛みが激しく 死にたくなることもあります。

その死が来るまで直向きに頑張ろうと思います

自分は取り返しのつかない年齢なのでしょうか??

お礼日時:2020/05/06 09:58

初めまして



人間の人生観・世界観の根本は、宇宙の在り方存在理由を自分の思考で考え理解する事ではないでしょうか


この地球で我々はどう生きるのか?目的はなにか?・・・我々は環境に惑わされずに、自分自身の価値観に基づいた人生を歩むべきだと思います、目的はあらかじめ自分が決めて生まれてきた目的を達成させる経験を体験する為だと思います

存在性理論は素晴らしい考え方だと思います
参考になればいいのですが、ある本に書いてあった事を元に私が考えた事を書きます

その本によれば、ビッグバン以前の世界は宇宙自体が存在せず、何も無い〝非物質の世界〝でした

そこに〝神〝とも呼べる存在がただ存在していました

その存在は何も無いが自分という存在がそこに確かに存在していることを理解し、深い満足感と愛の心に満たされて、ただ深い満足の状態で存在していました

しかし、その存在にはただひとつの気がかりがありました

それは、自分の中に存在する大いなる〝好奇心〝でした

存在は何も無い世界で、深い満足の状態で、自分の好奇心を持て余していました

ある時、ふいにその存在はある事を理解しました・・・それは自分が持て余している好奇心は、この世界に唯一存在する自分自身を探求すれば解決するのではないか・・・という考えでした

その存在は、深い満足と愛に満たされてただ存在していましたが、自分が何者か?という事は理解していませんでした

そこでその存在は、自分の好奇心を満足させる為に自分自身を探求する事を決意しました

しかし、どうすればいいのか・・・究極の知恵を持っているその存在は、自分がある種の思考を持つエネルギー体である事を理解していました

だから、自分の中に自分であるエネルギーを凝縮させて、自分を表現させた物質世界を創造し、その世界を探求する事にしました

だから、神は自分を表現した宇宙を作り、自分のさまざまなバージョンの自分の分身を作り、その分身のさまざま経験を共有する事で、自分自身を探求しています

その分身達が、低い精神状態から神とも呼べる精神状態まで昇華してゆく過程が、神が求めている情報という事になります

これが、私達の宇宙が存在する理由だと思います

だから、大いなる暇つぶしと言えるかもしれません

だから、大事なのは存在理由を理解した上で、自分自身で自分が何者か?何者になりたいのか?を決意する事ではないのかと思います
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この回答へのお礼

ありがとう

成る程 一つの考えだと思いますが。大いなる暇つぶしに

人間の悲惨な災害や戦争を見ると 暇つぶしにしては残酷だなと思います

もうちょっと平和にもうちょっと賢く生きることが必要なのではないでしょうか?

神という人も多いですが 神は我々が思うほど我々を助けません

道路に飛び出さえばそれっきりです。

天は自らを助くるものを助く

Heaven helps those who help themselves.という感じだと思います。

お礼日時:2020/05/05 12:59

私も長いこと考えましたが 人間の人生観・世界観の根本は何でしょうか?


  ↑
人間の存続だと思います。

存続するためには、どんな人生観、世界観が
合理的か、という問題ではないでしょうか。
人生観、世界観なんてのは、人間存続のための
形而上的なツールに過ぎません。




オウムみたいな馬鹿な宗教が流行ったお陰で 
こっちは上がったりです
 ↑
オームが流行らなくても・・・。

スミマセン。
揚げ足を取りました。




この地球で我々はどう生きるのか?目的はなにか?
 ↑
地球に限定する必要も理由も
無いと思います。
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この回答へのお礼

Thank you

それが地球を離れて宇宙に出ていくと強烈なエネルギー粒子?が流れてて

どんなに分厚い鉛でも人間は健康で居ることは出来ないそうで

なかなか宇宙戦艦ヤマトとか、群が鉄道999のようには行かないそうです

やかましくおこられました。

月くらいなら何とかなりそうです。

人間の存続 意志の存続 永遠への存在の実現ですね。

オームが流行ってた頃はまだやってなかったかもしれません。

ただ皆さん警戒してるなと感じました。

理解はなかなか つながらない 仕方ないです。

お礼日時:2020/05/04 23:34

人間、生命の尊厳だと思います。



自分が幸せに生きてゆくにあたって、他者と共存してゆくということで、他者を
傷つけたり抹殺してはならないということです。

例えば、昔のアメリカ大陸で肉食のピューマを、人間の害になるということで惨
殺した結果、草食動物が増えすぎて草を食いつくし土地が砂漠化してしまった、
(という説)などということですね。

基本的な考え方としては、人間に害を加えるものに対しては対象のものを消滅さ
せるのではなく、身体が免疫を作るように、「防衛する」という態度が正しいと
思います。
対象のものが人間に害を与えるという一面だけでなく、他に何か役割があっても
全く不思議ではないと考えるからです。

近現代文明は、人間に対する害ということだけにとどまらず、人間の快適、ある
いは金儲けのために自然を破壊しつくそうとしているわけで、これは、私の世界
観からすれば「狂気」としか言いようがありません。

自然破壊はもう修復不可能とも言われていますが、ハルさんはどうお考えですか?
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この回答へのお礼

Thank you

自然をもとに戻すことは無理ですね。昔はこの辺も自然に満ちていましたが

すっかりコンクリートとアスファルトに覆い尽くされています

今一兆本の植樹を使用という取り組みがなされています。しかしそれは人間にとって

必要な気を植えるのであって 害虫や害鳥の蔓延るような昔の自然を戻すわけではありません

昔はちょっと脇に入ると蚊に刺されたり、蜂に追われたり大変でしたが それもなくなりました

今生き残ったのは人間とその必要なものとゴキブリとカラスと猫その他コバエなどでしょう。

野良猫は退治?されましたが 家猫が余って野良化していますねえ。

人が餌をやるので活き活きと生きています。

自然は非常に複雑な生態系でしたから修復は無理です。川や藪や森でよく遊んいたので

その多様性を知っています。出来るのは人間に優しい?植物と共存して行くことでしょうね。

植物がなかったら二酸化炭素などの炭素固定も出来ませんし、酸素ももらえないのですから。

今となっては昔のことになってしまいました。

お礼日時:2020/05/04 13:51

ちょうどソ連のスターリニズムの崩壊で、ゴルバチョフ書記長が現れた頃です。

ソ連崩壊を予測して、ソ連はどうなっていくのか、ゼミで議論してました。
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この回答へのお礼

Thank you

スターリンって粛清をした人ですかね。勿論他の人もですが

ゴルバチョフ書記長はペレストロイカとか言ってソ連改革に進みましたねえ

あのままゴルバチョフさんがやればよかったのでしょうけど それは色々体力的にも

大変だったのかもしれませんねえ。額にアザがありましたねえ結局ソ連は崩壊してロシアになった?

僕も自分が何をしていたときか ちょっと憶えてないですねえ。東京に居たときか 病気をしてからか?

お礼日時:2020/05/03 22:04

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