出産前後の痔にはご注意!

児童心理学を勉強している大学1年生です。今度、児童学という授業のワークショップで「子どもの遊びの昔と今」というテーマで発表することになりました。
私の担当は1970年代に流行った遊びとその社会的背景なのですが、本で調べたところ、その当時既にテレビゲームが出始めていたようで、現代とのわかりやすい比較をするためにはもう10年さかのぼってみる必要があるのかな?と感じました。そこで60年代、70年代の20年間を調べてみましたが、遊びの移り変わりを年表などで表した本からの情報だけでは、おもちゃやぬいぐるみ、つまり製品化された道具を使った遊びの様子しかわかりませんでした。
もっとリアルに、というか子どもたちが独自に作って流行らせた遊びってあるはずですよね?
たとえば私が子どもだった90年代前半には、「三角おに」や「けいどろ」「ポコペン」などといった遊びが流行っていました。

60~70年代に幼少期、児童期を過ごされた皆さん、「こんな遊びが流行ってたよ。」というものがあれば、是非教えてください。そしてもしよろしければ、それが社会で起こった出来事に影響された「流行」であるならば、どのような背景であったかもお聞かせいただければと思います。

どうぞよろしくお願いいたします。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

料理 デート」に関するQ&A: 初デートで牡蠣料理ってありですか?ナンパ始まりなので、ちゃんと会うのも初めてです。堅苦しい店が嫌いな

A 回答 (11件中1~10件)

33歳ですので、71年生まれです。

京都府北部在住でした。

たしかに、私が小学校2年生のころだったか、そのあたりから、任天堂、トミー、バンダイと、いろんなおもちゃメーカーがテレビゲームを出し始めました。そのころから、友人宅に集まってみんなでゲームをやる(当時、今のゲーム機ほど複数で遊べるものは少なかったにもかかわらず、みんなで集まってました。人がやっているのを見ていても楽しかったんですね)。

というわけで、70年代後半、私が幼稚園~2年生あたりまでだと、やはり多かったのは「ごっこ遊び」系のもの。仮面ライダーなどはよく遊びました。ただ、ウルトラマンは、悪の側が怪獣であることが多く、「怪獣の役」というのがイメージ的にピンとこなかったのか、ごっこ遊びの対象にはなりにくかったように思います。やはり、敵も味方も明確に人間型である仮面ライダーが多かったですね。当然、誰がライダーになるかで喧嘩になるのですが。

あとは、団地内で同級生たちが集まると、

・けいどろ(ウチの地域では「どろけい」でした)
・ポコペン

また、小学校では、体育館を使って全校的に流行っていたのが、体育館入り口の足拭きマット?を安全地帯とした鬼ごっこ。マットに乗っている間は鬼は手を出せないのですが、マット間で移動するときは、鬼にタッチされると鬼交代。それが後半は、体育の時間に使う帽子をブーメラン型にたたんで(つばの部分が堅いので)、鬼が狙った相手に投げつける鬼ごっこに変化して行きました。学校内では「ぼうし鬼」と呼ばれていました。おそらく自然発生的にルールができた遊びだったんだと思います。

今だったら、危険だという理由で絶対禁止されてますね>帽子を投げつける。

あ、そうそう、それから、これも地域限定かもしれませんが、地面に1辺が1メートル弱の四角い升目を書いて、ドッヂボールのボールを使って手でテニスのようなルールでボールをやり取りする遊びが学校をはじめ、各所で大流行しました。2マスで2人でやるのが「12(いちに)」、4マスで4人でやるのが「34(さんし)」と呼ばれていたのを覚えています。升目には数字が振られており、数字が小さいほうが上位。相手が自分のマスに投げ込んできたボールを取り損ねると負けで、1回勝つと、場所を交代してランクが上がっていく。最下位は、負けるとマスの外で待っている次の人と交代。なので、勝つ子はプレイし続けられ、結構いじめ的な要素を含んだゲームでした。相手のマスにボールを投げ込む時には、手で捻って変化球にしたり、やたらとバウンドさせたり。嫌な相手には絶対取れないようなボールを投げ込む、なんてのは日常茶飯事。これも、今だったら禁止されてそうな雰囲気の遊びでした。

そのほかは、ちょうど幼稚園のころ(4歳~5歳)にいわゆる「超合金」と呼ばれるおもちゃが流行りました。アニメの巨大ロボットもののおもちゃですね。合体できるものや変形するものもありました。そういうものでの遊びもすでに始まっていましたので、製品として確立されたものを用いての遊びも、少人数だと結構行われていました。
製品化玩具を用いた遊びは、確かに対象から外したいかもしれませんが、現実には、1975年前後の時点ですでに子供の遊びの中でかなりのウェイトを占めていたのも現実です。念のため、書き添えておきます。
    • good
    • 4
この回答へのお礼

長文でのご回答、大変ありがたいです。
私が実際にしていたような遊びも、当時からあったのですね。ボランティアで公立小学校に行くと、現代の子どもたちもポコペンなどはやっているようです。時がたっても消えない遊び(伝承遊びというのでしょうか?)もまだまだあるのですね。
升目を使ったボール遊びは初めて知りました。
たしかに現在では力の差によってゲームに参加できないような遊びは疎まれるような気がします。

遊びの様子が具体的にわかりました。わかりやすいご説明、どうもありがとうございました。
製品化玩具についても、主なものを取り上げて発表の中で紹介できればと思っております。

お礼日時:2005/01/11 18:20

60年代後半生まれの者です。



子供の頃はやった遊び・・・みなさんと同じような感じですが
・手つなぎ鬼、けいどろ、チョコレート(グーで勝ったらグリコ、チョキで勝ったらチヨコレート、パーで勝ったらパイナツプルと文字の数だけ進む)、めちゃぶつけ(ボールをぶつけられた人の負け)、ポコペン、手打ち野球、スーパーカー消しゴムをシャープペンのノックではじいて相手の消しゴムに当てて机から落とすゲーム、めんこ、仮面ライダーの変身・ショッカーとの対決ごっこ
山本リンダとかカトチャン(ドリフ)、ヒデキ、天地真理、金井克子などのまね
ヨーヨー(安っぽい赤いもので、犬の散歩とかできる友達が尊敬されていた)

スーパーカーブームで、ランボルギーニカウンタックの写真とか筆箱を持ってました。(同年代の巨人の清原の愛車(今も?)です。なるほどと思いました)
オカルトブームとかあって、女の子はこっくりさんをやっていました。

人生ゲーム、野球盤、オセロなど盤ゲームもよくやりました。

駄菓子屋が拠点になっていました。子供はいつも30円くらいしか持っていませんでした。そこで5円のふ菓子とか10円のアイスとかを買っていました。

ゲームの登場は、インベーダーゲーム、パックマンが最初でしょうか?
最初に家庭に入ってきたのはブロック崩しでしょうか?

社会で起こった出来事については、高度成長時代でオイルショックとかいろんな事件もあったと思いますが、大人と子供の世界は別だったような気がします。つまり、世の中の動きとか流行とは関係なく子供は勝手に遊んでいたような。(ごめんなさい)
    • good
    • 4
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。たくさん書いていただき、大変助かります。山本リンダやヒデキという名前は、ちびまるこちゃんによく出てくる気がします。ちょうどその頃なのでしょうか。やはりテレビの影響で流行った遊びもその頃多かったのですね!
アイスが10円とは驚きです。
大人と子供の世界は別だったという言葉には、なるほどと思ってしまいました。
大変参考になるお話、本当にどうもありがとうございました。

お礼日時:2005/01/13 11:09

その頃、小学生だった者です。



校庭では、No3さんと同じボール遊びをしました。
「インサイ」と呼ばれていました。どうも、英語のインサイドからくる呼び名のようです。
ドッジボール、バレーボールも、放課後によくしました。
スポ根アニメが流行ったので、その中に出てくるワザを真似ようとする者もいました。(たいていは、ありえないワザなので、失敗しましたけど)

友達の家に行くと、ボードゲームでよく遊びました。
モノポリー、人生ゲーム、お料理ゲーム、デートゲームなど、色々ありましたね。
道路では、チョークで絵を描いて、ケン、ケン、パ、ケン、パとか、縄跳び、バドミントンなどをしていました。
ただ、交通戦争なんていう言葉が出てくるくらい交通事故の増加が社会問題になり、道路で遊ぶなと言われるようになりました。

弟とは、下敷きとピンポン玉を使って、こたつでピンポンをしたり、方眼用紙を使って五目並べをよくしました。

ちなみに、弟は小学校時代プラモ作りにはまっていて、スーパーカーや、戦艦など、色々改造したり、色をつけたりしてました。
宇宙ゴマや、ヨーヨーなども、流行って、持っていたと思います。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。あの遊びは「インサイ」という名前なのですか。教えていただいて助かりました。ボードゲームなども、私の知っている人生ゲーム以外にも色々とあったのですね!
交通戦争という言葉は始めて知りました。
いろいろと教えてくださり本当にありがとうございました。大変参考になりました。

お礼日時:2005/01/13 10:59

1964年生まれです。


小学校高学年のときにテレビゲームをやりました。と言っても、玉が壁を跳ね返りながら動き、ダイヤルで棒状のラケットを上下に動かし、玉を跳ね返すというゲームでした。そのゲーム機にはいろいろなゲームが付いていて、バレー、卓球、テニスなど変えられましたが、内容はほとんど同じでした。途中に障害があるだけで、結局は玉を打ち返すものでした。

紙にコースを書いて、ボールペンのノックでスーパーカー消しゴムでレースをするのが流行りました。小学校高学年から中学生の頃だったと思います。同じようなコースを使って、ボールペンのペン先を下向きにたて、反対側を指一本で支え、前に押し出すようにして、ボールペンを倒し、線が消えたところから次に同じようにやり、ゴールを目指すというゲームをやりました。(わかりにくくてごめんなさい)

小学生中学年の頃はこっくりさんが流行っていたと記憶しております。スライムやモーラもこの頃だと思います。

給食では瓶の牛乳が出ていたので蓋でメンコなどをしていました。

小学生の頃の男子はほとんどがジャイアンツのマークの入っている帽子をかぶっていました。ジャイアンツの帽子ではなく、いろいろな色のものでも前面にジャイアンツのマークが入っていました。(遊びでなくてすいません。)

鬼ごっこ系や馬とびなど、昔からあるものではない方がいいんですよね。また、他に商品化されていないもので思いついたらまた来ます。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。消しゴムのレースのご説明、とてもわかりやすかったです。数年前に読んだ何かの漫画だったかそれともアニメだったかでそのような遊びのシーンを見た記憶があります。
当時の男の子の間でジャイアンツはやはり絶大な人気があったのですね。改めて確認させていただきました。
ご丁寧に教えてくださり、大変参考になりました。お気遣いいただいて申し訳ありません。
本当にどうもありがとうございます。

お礼日時:2005/01/11 19:17

1961年生まれ男性です。

田舎に住んでいた頃は「虫取り」「爆竹遊び」「三角ベース」「缶蹴り」「パコ(メンコのこと)」かな? あと川に栓をした空き瓶を流し、石投げて撃沈させる遊びもやりました。(今思うと危ないねー)
東京に住んだときは「ゴロベース(ピッチャーがゴロを転がしてバッターがそれをすくい上げて打つ野球)」や「缶蹴り」「ドロケー」。それからドブ川に牛乳瓶のフタを流して競争(川が好きだね)、それからデパートの中で鬼ごっこ。あまり広い場所がないので、やはり狭い場所でもできる遊びが要求されました。

社会問題との結びつきは「野球拳」。教室で女の子をシュミーズ一丁にしたところを先生に見つかりこっぴどく怒られました。それから下にも出ていましたが、ライダーカード収集。お菓子を丸ごと捨ててしまうのが問題でしたね。
あと札幌冬季オリンピックの笠谷のマネ!とか言って教室の窓から飛び降りるヤツがいました。

今思うと、テレビゲームの方が不健康ではありますが、同時に危険がなくて親は安心だなーと思いますね。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

ご回答どうもありがとうございました。
子ども同士だけで川で遊ぶという事も、現在ではちょっと難しそうですね。それを許す保護者もかなり少ないと思います。
缶蹴りは小5の時に担任の先生から教わり、クラス全員で遊んだ覚えがあります。
冬季オリンピックはやはり当時のトピックとしてはずせないんですね。そんな形で子どもの遊びに関わっていたとは(笑)

大変参考になりました。本当にどうもありがとうございました。

お礼日時:2005/01/11 19:05

70年代小学生でした。



今の季節なら、“ゲイラカイト”で凧上げしてましたね。よく飛んだんだなあれが。

あと、よくわからないのが、ナゼだか「ビン牛乳の紙のフタ」を重ねて、ひっくり返したら相手の牛乳のフタをもらえる、ってので、ビン牛乳のフタが当時はお金よりも価値があった(笑)。

あと、チョロQ!

それから、「ネリ消しゴム」「ロウ粘土」なんて、得体の知れない物。「アメーバ-」とか「スライム」なんかの訳のわからない物。

ラジコンカーもブーム「童夢 ゼロ」のが欲しかった。

忘れちゃならない、スパーカーブーム。下敷き、筆箱、みんな黄色のランボルギーニ カウンタックLP400の写真つきだったな。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

ご回答どうもありがとうございました。ビン牛乳のふたが子どもたちにとってそんなに大きな存在だったとは知りませんでした。みなさん身近なものを工夫して使っていたのですね。「ネリ消しゴム」「スライム」などは私にとっても懐かしい名前です。ゲイラカイトやスパーカーなどといった名前は初めて聞きました。
大変参考になりました。本当にどうもありがとうございました。

お礼日時:2005/01/11 18:57

63年生まれ東京です。


幼稚園時代は牛乳瓶に折り紙を入れて(このころはまだ色落ちしたので)色水作りが流行りました。割り箸でくりくりすると紙から色が抜け落ちてきれいな半透明の水ができるのです。それで実験!とか言っていろミックスをして最後にどろどろにしていた記憶あり。

駄菓子屋で売っていたスパイ手帖が(多分これはGメン75とかの影響)流行し、水に溶ける紙に書いたメモとか、擦り合わせると文字がでるとか……。200円くらいだったと思いますが結構高価なもので、真剣にお手伝いをして買ってもらいました。

遊びの歴史であれば、当時の時世や流行のテレビ番組と並列した表を作られるとわかりやすいかもしれません。
赤影が流行ればたこ揚げが、パンダがくればパンダ人形が……と比較的テレビに踊らされていたような……。

小学校の3年生くらいのときはゴム飛び(ゴム段と呼んでいた)がブームだったかな。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。色水遊びは現在も様々な形で幼稚園の活動などでは取り入れられているようですが、折り紙で半透明のきれいな水ができるとは意外でした。
おっしゃるとおり遊びの歴史を語るにはその背景と並列させることが必要不可欠なのですね。

ためになるアドバイス、本当にどうもありがとうございました。

お礼日時:2005/01/11 18:50

●アメリカンクラッカー (下記URL)


http://www.jrt.co.jp/radio/harikiri/joho/crakker …
1971年に日本に登場。まあまあ、流行ったと記憶しています。短命でしたが。
音のする、周りに迷惑?な玩具。長く続くと、妙に嬉しく、大喜びしたものでした。
これで怪我をする。という情報が出始めてから、学校から禁止遊具に指定されたため
いつしか、引き出しの片隅に眠ったままになりました。
上手に長く続けるコツは、2つの紐の長さを同じにすること。

(紐は一本につながっていて、真ん中あたりに持ち手になるリングがついている。
この真ん中なのが、ずれやすくて、直すのが面倒でした)

●アメリカンヨーヨーも、コカ○○○社のキャンペーンで1973~4年頃流行した記憶が有ります。
3種類あり、300~500円前後で買えました。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答どうもありがとうございます。アメリカンクラッカー。下の写真にある改良版は、私自身も子どもの頃大好きな玩具でした。当時は紐でできた製品だったのですね。私が愛用していた改良版は自分で長さを調節する必要のないもので、ただ延々と音を鳴らして楽しむだけでした。redowlさんがなさっていたように自分で長さを調節するという作業を加えれば、より楽しめるはずでは?と思いますのでなぜ改良版する必要があったのか疑問です。やはりずれを直す面倒さを省くためでしょうか。
アメリカンヨーヨーも名前は聞いたことがあります。やはりこの頃製品化玩具が多く存在していたのですね。

具体的なご情報、大変参考になりました。本当にどうもありがとうございました。

お礼日時:2005/01/11 18:42

'59生まれです。



小学校下級生の頃は、パッチン(めんこ)をよくしていました。もちろん市販のものも持っていましたが、学校では、牛乳ビンの蓋を使ってやることも多かったですね。

あと、鬼ごっこ。これは小学生から中学生になってもやっておりました。中3最後の体育の授業で、助け鬼を授業中にやりました。

小学校4年になると、地域の野球チームに入りました。(スポーツ少年団)。これは、私の小学校の場合、4年生になると、男子は野球、女子はドッジボールの地位無二必ず入ることになっていました。小学校卒業までやっていました。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ご回答どうもありがとうございます。めんこのことをパッチンと呼ぶのですね。初めて知りました。めんこの存在は知っていましたが、私が小学校の頃既に「昔の遊び」といって学校で紹介されていました。周りの友人でも、経験者はごくわずかであったと思います。当時は牛乳もビンだったのですね。そういった身近なものを利用して工夫して遊ぶ機会もやはり今よりおおかったのでしょうか。
助け鬼は小学校の先生に教えていただき、よくお楽しみ会などでやっていました。
「男子は野球、女子はドッジボール」と決められているというのも、今ではあまりない事だと思いますのでなるほどと思いました。

大変参考になりました。本当にどうもありがとうございました。

お礼日時:2005/01/11 18:30

地域差があるのですが.


上野公園では.砂遊び・セミ取り・自転車用コースができたころです。まだ.ちょっと離れていますが.荒川等の河川で釣りができたので釣りをしていた人もいました。

今済んでいる地区では.戦争ごっこ・プロレスごっこで大怪我をした子供がいたり.付近の河川で泳いで死亡した子供がいたり.池でスケートをしてしほヴした子供がいたり.子供の遊びとはいえ.死と隣り合わせのようなことをしていました。

流行というと.カエルの口の中に爆竹を入れて殺す・カメンライダーのカードの入っているお菓子をカード目当てに購入して菓子を捨てるなどの問題もありました。一部児童にシンナー遊びがはやって撲滅するのに苦労した時期でもあります。メンコも強いものが弱いものから巻き上げるというある種の賭け事でこれも撒けた人間が窃盗をして禁止になりました。ベーコマ(金属製コマ)やタケトンボ・シノ鉄砲等が目にぶつかって失明した生徒もいます。

木の細工がはやったときに.小刀で手を切る児童が多く出て.一部で禁止した学区があります。が.包丁が使えない児童が出て家庭か教育で苦労したようです。同様に自転車利用を児童に対して禁止した時期がありましたが.児童の起す交通事故が自転車に乗り始めた中学生で多発して.反射神経の良い小学校で自転車を乗せるようにしないと危なくて仕方ないという結論になりました。手先を使う内容・反射神経を使う内容は早い磁気に教える必要があったということです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

詳しいご回答どうもありがとうございます。勝手な想像では、この当時の子どもたちは自由にのびのびと遊んでいるというイメージがあり、今よりずっと遊び環境は平和だったと思い込んでいました。しかし、とても危険な遊びが多く存在していたのですね。スリルを求めるという事であったのだと思いますが、決して「子どもの遊びだから」と簡単に片付けられる問題ではなかったのですね。
「遊び」というキーワードだけで簡単な本を探して調べていたのでは、知る事のできない事実でした。勉強不足を恥ずかしく感じます。

大変勉強になりました。本当にどうもありがとうございました。

お礼日時:2005/01/11 18:04

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q今から60年前(昭和16~24ぐらい)の暮らしについて

最近、戦後60年記念類の番組をよく目にします。
今から60年前(昭和16~24ぐらい)の暮らしに興味が出てきました。
その時代と現代を比べれば物質(アイテム)が変わりましたが暮らしそのものは
今も昔も変わらない気がします。
あの当時、庶民より少し上の人達はどんな暮らしをしていたのでしょうか?
車・カメラ・8ミリカメラなど持っていたのでしょうか、後テレビは無いですから
ラジオが主流でしたよね、しかも民放がないのでNHKだけでしたよね
当時のラジオ放送は娯楽性があったのでしょう?(これは戦中と戦後では
違いますが、それぞれの人気番組とか教えてください)
さらに当時の裕福層の三種の神器とはいったいどんな物だったのでしょうか?
また、その時代に発売された商品で今日でも売られている商品はありますか?
後、仕事は週休1日だったのでしょうか?労働時間は?女性の社会進出は?etc
当時の世相がわかる人がいましたら色々教えて頂ければと思います。

Aベストアンサー

 わたしも書き物をするために、おもに親や当時を生きた方々から昔話として聞きながら、このような時代の資料を集めたり考証を重ねていますが、なかなか興味深いものがありますね。

 ひとつ大きく言えることは昭和16年から昭和20年までの太平洋戦争のいわゆる戦時中、そして昭和20年の8月に終戦を迎えてから昭和24年頃まで。このふたつの期間にはおどろくほど違いが見られます。終戦以降についてはもう#1さんからかなり詳しいご回答がありますので、それ以前の戦時中を中心に書いてみます。

 まず昭和16年から昭和20年までの戦時中。真珠湾攻撃で始まった戦争ですが、最初の勢いはともかく年々戦局は厳しいものに。米や麦、塩やタバコなどは配給制、食料はもとより物資がとにかく無くなって窮乏生活。
 ただ、わが家にはダットサンという小型車と人力車がありましたが、車引きの方も運転する人もみんな戦地に。それに、ベビーパールとツァイスイコンという2台のカメラにバーディーという8ミリのセット、それに電蓄というオーディオに沢山のレコードもありました。これらは戦前からあったようですが、終戦間際の空襲で全部焼失してしまったということです。

 ラジオはNHKの第一と第二だけですからほとんど選局しなくてもいいという便利さ?も。番組についてはまだ調べ切っていませんが、ラジヲ体操に落語に講談、浪花節などは人気番組。それらに挟まるように「今日の戦果は米戦艦1隻に巡洋艦4隻」なんて臨時ニュースが入るのも毎日のこと。今考えてみれば毎日そんなに戦果が上がるはずもないウソばっかり。そして空襲警報とともに「和歌山上空に敵B29爆撃機が100機編隊で関西方面に向けて侵入中」などとの軍の発表も。当時の子供の歌としては「お山の杉の子」、この歌知っています。

 当時の食事は、かなり裕福だったわが家でも玄米におかずは一品、それにお味噌汁。派手な服や和装、パーマなどは「非国民」と非難されたとか。よそ行きの高級なお召しをリフォームして作ったモンペと白い割烹着姿で国防婦人会というタスキをかけた祖母の写真も。これ、男性はほとんど戦地に出征していて女性が「銃後を守る」、つまり国土を守るということの現われ。
 宝石や貴金属類はもとより、鉄や銅のものなどはお国のためとなかば強制的に「供出」。当時の三種の神器といえば、氷で冷やす冷蔵庫、ハンドルを回して交換台を呼び出してつないでもらう電話、それにラジオぐらい。とにかく「欲しがりません、勝つまでは」がスローガンの時代でしたから。

 当時からの製品といえば、メンソレータム、花王石鹸、中将湯、ライオン歯磨き、三菱やトンボの鉛筆、ナショナルや東芝、シャープなどのラジオや電気アイロン、扇風機といった家電製品。まだ沢山あります。

 とにかく男性が足りない時代とて、家庭の主婦をはじめ女性が職場に。女子高(旧制)などの若い女性も挺身隊として学業そっちのけで職場や軍需工場、そして農村へ。勤務時間などはあってないようなもの、とにかく働けるだけ働くか、空襲警報で避難の毎日だったとか。そして終戦。。。。。。

 あとは#1さんがお答えの通り。終戦の時点ではたしかに車を持っている人はほとんどなかったと思います。空襲で焼け残った親戚にはカメラも8ミリもあって、まだ幼少の頃にそんな古いものを見せてもらった記憶がありますが。
 「尋ね人」、それに戦災孤児を扱った「鐘の鳴る丘(ラジオドラマ)」なんかはとても象徴的ですね。この時代ではとにかく食料が乏しく、まして甘いものがなかったとか。まるで今の北朝鮮さながら。

 ラジオではそのほか、「三太物語」「えり子とともに」、「大学を出たけれど」などラジオドラマや「日曜娯楽版」などが大人気、これやがてのちの大ヒットドラマとなった「君の名は」につながって行く。#1さんよくご存知ですね。

 当時流行した歌に「一万三千八百円」というのがありましたが、これは当時の平均的サラリーマンの給料の額。
 電気洗濯機、電気冷蔵庫、白黒テレビが三種の神器と言われたのはわが国が戦後の復興期から高度成長期にさしかかった昭和30年のこと。もうこの時代ともなるといろいろな分野で今と同じブランドの製品が出ています。こんな話、好きですが書ききれません。

 わたしも書き物をするために、おもに親や当時を生きた方々から昔話として聞きながら、このような時代の資料を集めたり考証を重ねていますが、なかなか興味深いものがありますね。

 ひとつ大きく言えることは昭和16年から昭和20年までの太平洋戦争のいわゆる戦時中、そして昭和20年の8月に終戦を迎えてから昭和24年頃まで。このふたつの期間にはおどろくほど違いが見られます。終戦以降についてはもう#1さんからかなり詳しいご回答がありますので、それ以前の戦時中を中心に書いてみます。

 ...続きを読む

Q30年前の遊び

子供の学校の宿題で30年前の子供の遊び・道具。食事・電化製品・土地の使われ方などを調べています。おそらく親の子供のころと今を比較して考える宿題だとは思うのですが、私にはTVゲームがなかったとか電話はダイヤルだったとか位しか考え付きません。遊びも基本的には今と大差ないような気がするのですが…。こんな風だったなぁと覚えている方、教えてください。

Aベストアンサー

30年前と思いをめぐらせつつnetでこんなの見つけました。
内容が硬いので、お子様に直接は無理でしょうが、眺めつついろいろ思い出してみるのも良いかと・・・・。

参考URL:http://www.onfield.net/1970/

Q今と昔の子供の違うところ

今の子供と昔(親の子供のころ)との違いで気づいたことを教えてください。 例えば目が悪い、すぐキレる、大人になった、体が弱いなど、こんな経験がないからまずい、こういう環境でこうなったといった答えだとうれしいです。すごく軽いこともお堅いことも歓迎です。

Aベストアンサー

昔は親だけでなく,近所のおじさんにもよく叱られたり殴られたりしてましたが,最近はそういう叱るおじさん自体を見なくなりましたね。
そのおかげで殴られる痛みや人に対する思いやりなどを勉強したのですが,そういう物が今の子供には欠けていると思います。
殴られる痛みが分からないから限度を越えてしまう。
大人として逆に嘆かわしいことだと思います。
今,八名信夫さんが出てるCMで「大人を逃げるな!」というのが有りますが,実際そのとおりだと思います。
ちょっと回答から離れましたが,結局子供は大人が育てるものなのに,大人が拒否してるから変な子供が増えていると思います。

Q70歳代から80歳代 知っている歌

グループホームで働いていますが、歌が好きな方が何人かいらっしゃいます。

70歳以上の方は、どんな曲をご存知ですか?また、介護職をされている方は、レクの時間でどんな曲を歌いますか?童謡、歌謡曲なんでもいいので教えてください。また、無料、安価でCDや歌詞が載っている本など教えていただければありがたいです。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

http://takurou.co-site.jp/ikoi/

http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/warabe.html#top

上記のサイトを参考にしてみてください。

Q現代(最近)の子供の遊びについて

現代(最近)の子供の遊びについて、特に幼稚園生・小学生を対象に調べています。
今の幼稚園生・小学生の間で流行っている遊び、ちょっと変わった遊び、
昔と同じように今でも遊ばれている遊び等々、室内・屋外、
一人でやる遊び・友達と(複数で)やる遊び、男の子の遊び、女の子の遊び、
マイナーなものからメジャーなものまで何でも構いません。
教えてください!
マンガや歌でも結構です。

できるだけたくさんの種類の遊びを知りたいので、
「おにごっこ」「かくれんぼ」等のように遊びの名称を挙げてくださるだけでも構いません。
また、ゲームの場合、ジャンルが幅広いので、機種やソフト名などを一緒に挙げてくださると助かります。
どうか宜しくお願いします。

Aベストアンサー

今現在・・・

小学1年の息子は、ポケモンのすごろく・かくれ鬼(どういう遊びだか、
何度聞いてもわかりません)・ドッヂボール・遊戯王でしょうか…

小学3年の息子は、遊戯王・デュエルマスターズです。
人数が集まれば、ドッヂボール等ボール遊びをするようです。

子供に聞きましたが、DSもWiiもほとんど話題に出ないそうです。

アニメは、ポケモン・NARUTO・遊戯王です。

私が子供の時と違って遊び場がないので、小スペースでの遊びが中心ですね。
ちなみに、カードゲームは外でやっています。(なんだか不思議な光景です)

Q子供の頃の遊び

女性の子供の頃の遊びについて調べています。

「自分の子供の頃は~」
「人から聞いた話しだけど~」なんでも結構です。

人形・ぬいぐるみに関することだと特に嬉しいのですが、
それにこだわらず、様々な体験談等お願いします。

Aベストアンサー

30代後半、リカちゃん世代です。

発売したてのリカちゃんを買ってもらいました。「ママの洋裁店」は宝物でしたね~。
http://www.geocities.co.jp/PowderRoom-Rose/3325/ibent.html
その後BFのわたるくん、それから色黒のピチピチリカちゃん(すごいネーミング)、と「3人」で遊んでいました。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~akeda/DOLL/rica19.htm

子供心をくすぐるおもちゃとして今でも親が笑い話にするのは「ひみつのアッコちゃんのコンパクト」。買い与えたら陰に隠れてはコンパクトを開き「テクマクマヤコン」と呪文を唱える私であったそうです(苦笑)。
http://plaza.rakuten.co.jp/over35mama/005000

衝撃的だったおもちゃは「ママレンジ」。ニクロム線のちっちゃなレンジにちっちゃいフライパンがついていて、実際にミニホットケーキが焼ける、という少女心を見事にくすぐる逸品でしたね。
http://www.maboroshi-ch.com/sun/toy_05.htm

小学校高学年のころに爆発的に流行っていたのが「チェーリング」。プラスチックの色とりどりの小さな輪をいくつかまとめてお手玉代わりにして遊んでいました。写真が載っているHPがありましたのでご紹介しておきます。
http://www.hagimoto.com/tsutsuji/1979/chering.html

あとはアウトドアでは男の子に負けず長馬、ケイドロ(これは地域によって呼び名が違うようですが、グループに分かれての鬼ごっこですね)、缶蹴り。女の子主流の遊びは石蹴り、ゴム跳び、縄跳び。
今よりも世の中ものどかで、夕方暗くなるまで近所の年齢の違う友達がたくさん集まっては遊んでいました。どこで遊んでいようが時間に帰ってくれば親はそんなに心配もしなかったし。いい時代でしたね。

人形・ぬいぐるみの話はほんの少しでしたが、懐かしさについ長く書き込んでしまいました。m(__)m
ちなみにぬいぐるみで遊んだ覚えがあまりないですねー。生まれたころ自分と同じ大きさのクマのぬいぐるみと並んでいる写真が残ってはいますが・・・。人形はリカちゃんの存在が大きすぎたのか、その他の人形の記憶がさっぱりありませんねぇ。

参考URL:http://www.digital-lib.nttdocomo.co.jp/nihonbunka/asobi/index.html

30代後半、リカちゃん世代です。

発売したてのリカちゃんを買ってもらいました。「ママの洋裁店」は宝物でしたね~。
http://www.geocities.co.jp/PowderRoom-Rose/3325/ibent.html
その後BFのわたるくん、それから色黒のピチピチリカちゃん(すごいネーミング)、と「3人」で遊んでいました。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~akeda/DOLL/rica19.htm

子供心をくすぐるおもちゃとして今でも親が笑い話にするのは「ひみつのアッコちゃんのコンパクト」。買い与えたら陰に隠れてはコンパクトを開き「テクマク...続きを読む

Q今から70年前の日本の雰囲気

今から70年前の日本の雰囲気って
やはり、暗かったんでしょうか。
1936年って戦争に向かっていく途中ですよね。
やはり暗くてじめじめして貧しかった頃なのでしょうか。

Aベストアンサー

母が大正生まれでよく戦前の話をしいました、昭和11は小学生ですが
生活は別に普通で戦後で言えば昭和30年ぐらいと同じようだといってました、国は軍事優先で学校でも男子は軍事教練があったそうですが、当時
は世界全体がそうでしょうし、欧米を見習って外国に勢力を伸ばしていた
ころですから国民全体が意気揚揚と外国に進出していたようで、満州に
行く知り合いが、新天地にいくのがうらやましかったと言っていました
 本当に軍事一辺倒になって配給になって警察がうるさくなったのは昭和17年ごろからで19年になると生活物資がかなり不足になってらしい
で治安や経済は20年の敗戦後のほうが悪かったそうです

なぜ暗くてじめじめと思ったかわかりませんが、当時に実際に生活をしていた人の書いた本などを読めばある程度はわかるでしょう。今の人が書いた新聞やテレビはあまり信用できませんよ、実際に体験した人はもう
社会を引退しているので、マスコミは知らないで放送しているので母が
テレビを見ていて戦前の実際と違うことを怒っていました

貧しさは今のレベルで比べることはできないでしょう、選挙も男のみでしたがありましたし当時の世界でみれば欧米にならぶ先進国の仲間入りをしていたでしょう

母が大正生まれでよく戦前の話をしいました、昭和11は小学生ですが
生活は別に普通で戦後で言えば昭和30年ぐらいと同じようだといってました、国は軍事優先で学校でも男子は軍事教練があったそうですが、当時
は世界全体がそうでしょうし、欧米を見習って外国に勢力を伸ばしていた
ころですから国民全体が意気揚揚と外国に進出していたようで、満州に
行く知り合いが、新天地にいくのがうらやましかったと言っていました
 本当に軍事一辺倒になって配給になって警察がうるさくなったのは昭和17年ごろ...続きを読む

Q1940-50年に起こった大きな出来事

戦争、経済関係中心で、お願いします。

また、日本と世界の2つの観点から教えて下さい。

Aベストアンサー

●1940年

・9月27日 - 日独伊三国軍事同盟成立。

●1941年

・10月18日 - 東條英機が内閣総理大臣となり、東條内閣を組閣。
・12月9日 - 中華民国(重慶政府、蒋介石政権)、日独伊に宣戦布告。

●1942年

・1月18日 - ベルリンで日独伊軍事協定調印
・2月15日 - 日本軍がシンガポール陥落
・6月5日 - ミッドウェー海戦( - 6月7日 )

●1943年

・1月14日 - アメリカのルーズベルト大統領とイギリスのチャーチル首相によるカサブランカ会談
・4月18日 - 山本五十六大将、米軍機の攻撃を受け戦死

●1944年

・7月18日 - 東条内閣総辞職
・11月7日 - ゾルゲ事件: リヒャルト・ゾルゲ・尾崎秀実が処刑される。
・12月7日 - 東海道沖で東南海地震発生(軍需工場の崩壊により戦争敗北が早まったと言われる)

●1945年

・2月4日 - ヤルタ会談開催
・3月10日 - アメリカ軍が東京を空襲(東京大空襲)
・4月1日 - 米軍が沖縄本島に上陸
・4月30日 - 独総統アドルフ・ヒトラーと妻エヴァ・ブラウンが自殺
・7月26日 - ポツダム宣言発表。連合国は日本に降伏を要求する
・8月6日 - 午前8時15分米軍が広島市へ原子爆弾投下
・8月9日 - 午前11時02分、米軍が長崎市へ原子爆弾投下。
・8月14日 - 午前11時、天皇が御前会議でポツダム宣言受諾の意思を表明。日本政府としての戦争終結
・8月15日 - 午後0時、昭和天皇の玉音放送で日本国民にとっての戦争終結
・8月30日 - マッカーサー元帥が沖縄本島より厚木飛行場に到着し、米太平洋軍総指令部GHQを横浜税関に設置。
・9月2日 - 東京湾上の戦艦ミズーリ艦上で、重光葵・梅津美治郎らが降伏文書調印

●1946年

・1月1日 - 天皇の人間宣言
・1月10日 - 国際連合総会第1回開催
・2月28日 - 公職追放令公布
・5月3日 - 極東国際軍事裁判所開廷
・7月1日 - 米ビキニ環礁で原爆実験
・11月3日 - 日本国憲法公布

●1947年

・5月3日 - 日本国憲法施行
・7月3日 - GHQ: 財閥解体の一環として三井物産・三菱商事の解体を要求
・9月14日 - カスリーン台風来襲

●1948年

・1月26日 - 帝銀事件発生。警視庁は旧731部隊員を調査するが、GHQが調査停止命令
・2月16日 - 朝鮮民主主義人民共和国樹立宣言
・3月17日 - イギリス、オランダ、フランス、ベルギー、ルクセンブルクにより、ソ連に対抗するブリュッセル条約締結(NATOの前身)
・6月28日 - 福井大地震
・7月20日 - 李承晩が大韓民国初代大統領に当選
・8月15日 - 大韓民国樹立宣言
・9月9日 - 朝鮮民主主義人民共和国成立

●1949年

・3月7日 - 日本、ドッジ・ライン(財政引き締め)実施
・4月4日 - アメリカ合衆国を中心に北大西洋条約を調印。NATO発足
・7月5日 - 下山事件発生(自殺説・共産党員、国鉄労働組合員による他殺説)
・7月15日 - 三鷹事件発生(日本共産党員をGHQが調査)
・8月17日 - 松川事件発生)日本共産党員をGHQが調査)
・9月7日 - ドイツ連邦共和国(西ドイツ)正式に発足
・10月1日 - 中華人民共和国成立
・10月7日 - ドイツ東部のソ連占領地区にドイツ民主共和国(東ドイツ)成立

●1950年

・6月25日 - 朝鮮戦争勃発

です。

●1940年

・9月27日 - 日独伊三国軍事同盟成立。

●1941年

・10月18日 - 東條英機が内閣総理大臣となり、東條内閣を組閣。
・12月9日 - 中華民国(重慶政府、蒋介石政権)、日独伊に宣戦布告。

●1942年

・1月18日 - ベルリンで日独伊軍事協定調印
・2月15日 - 日本軍がシンガポール陥落
・6月5日 - ミッドウェー海戦( - 6月7日 )

●1943年

・1月14日 - アメリカのルーズベルト大統領とイギリスのチャーチル首相によるカサブランカ会談
・4月18日 - 山本五十六大将、米軍機の攻撃を受け戦死

●1944年

・7月1...続きを読む

Qケンケンパ(ケンパ、石蹴り)のルールを教えてください。

地方によって呼び名も細かいルールも異なるでしょうが、ケンケンパ・ケンパ・石蹴り、と呼ばれる遊びのルールを教えてください。

地面に枠を引いて、そこに石を投げ(蹴り)入れ、片足跳び(ケンケン)を使う遊びです。

私が知っているものは、地面に案山子風の絵を書いて、
足を3マス、腕と胸で左右に3マス、
首1マス、顔に大きい丸で1マス、
山笠に大きい三角で1マス、
を描いていたような・・・

あとはうろ覚えですが、
・複数人で遊ぶ
・各マスを片足跳びで進まなくてはならない
・他人の石が入っているマスは飛び越えなくてはならない
・自分の石が入っているマスは入ってもいい
・案山子の腕だけは左右同時に両足をついてもいい
・片足飛びで山笠まで行って帰ってくる
・片足飛びしながら、自分の石を蹴ってマスを進める?
だったような気がします。
他の遊びとごっちゃになってるかも・・・

Aベストアンサー

racoon_asiaさんが書いておられるのは
私はケンパ、石蹴り遊びの中の一種の「案山子」として覚えています。
ちなみに大阪です。

「案山子」に限定してル-ルを書きますが

>山笠に大きい三角で

は、私も三角を左右二つに分けて2マスでやってました。
だから手前(かかしの足元)から順に

ケン・ケン・ケン(足3マス)
パ・パ(腕と胸の左右を反復横飛びみたいに)
ケン(首)
ケン(顔)
パ(笠)
 ↓ (パのまま飛んで180度反転して)
パ(笠)

で、足元まで同様に戻ります。


全員1往復出来たら、石をまず一番手前のマスに投げ入れます。
石をマス内に入れられなかったら、次の番まで待ってもう一度飛び直しです。
石が入っているマスは踏んではいけません。
復路で自分の石の1つ手前のマスで止まり(ケンのマスなら当然片足のまま)、
それを拾って(石があったマスはやっぱり飛ばして)
ゴールします。
また全員終わったら、次のマスに石を投げ入れ、同様にやります。
もし、石のあるマスを踏んだり、ケンのマスで両足ついてしまったら失敗。
石を次に進めることが出来ないので、もう一度です。
胸と腕のマスは、左・右・まん中、どこから石を入れてもOK。
そうやって続けて行って、一番最初に全マス制覇した人が勝ち。

各人の進み方によっては、足3マス全部石が入っていたりするので
その場合はいきなり「腕&胸マス」に飛ばなければならなかったり、
「腕&胸」の3マスすべてに石があれば「足」から「首」に飛ぶし、
「顔」と「首」に入っていたら「腕&胸」から「笠」に飛ぶ、という
状況も生まれます。

ちょっとうろ覚えですが大体こんなルールでやっていたと思います(^_^;)

ただ、

>片足飛びしながら、自分の石を蹴ってマスを進める

というのと、あと石を投げ入れる方法が「後ろ向き」だったような気もします。

racoon_asiaさんが書いておられるのは
私はケンパ、石蹴り遊びの中の一種の「案山子」として覚えています。
ちなみに大阪です。

「案山子」に限定してル-ルを書きますが

>山笠に大きい三角で

は、私も三角を左右二つに分けて2マスでやってました。
だから手前(かかしの足元)から順に

ケン・ケン・ケン(足3マス)
パ・パ(腕と胸の左右を反復横飛びみたいに)
ケン(首)
ケン(顔)
パ(笠)
 ↓ (パのまま飛んで180度反転して)
パ(笠)

で、足元まで同様に戻ります。


全員...続きを読む

Q昭和30年代の食事を真似したい!!教えてください。

自分の食生活を見直そうと決意して、いろいろと調べてみたのですが、
どうやら昭和30年代の日本の一般家庭の食生活というのが
理想だそうなのですが、昭和50年代生まれの私には全然想像がつきません。

どういうものを食べれば良いのでしょうか?
料理初心者なので、できればレシピを教えていただきたいです。

ワガママ言ってすいませんが、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

確かに、昭和30年代の食事は、ここ20年ほどには欧米化していなかったし、かといって終戦後数年のように、極端にまずしときから脱皮しつつあった頃です。
質素なりに、伝統的な食事がまだ生きていたともいえます。
30年代は、池田首相が進めた高度成長期が始まった時期であり、30年と39年では相当違いがあるような気もします。

まず、特徴は、白いご飯がやっと食べれるようになった、でも一部では、麦や雑穀をいれたご飯もあった。増量のためおかゆもまでありました。質素を忘れない為か、私の子供の頃かすかに覚えているのは、週一回日曜の朝は、おかゆでした。まだ小さい頃で、むしろ私は大好きでした。

おかずは、味噌汁、漬物以外は、煮物が多かったですね。肉なんか入らない、芋、大根、にんじん、ごぼう他のしょうゆ味の田舎煮です。

魚介は、海近かったので、よく食べていました。焼き魚、煮魚、刺身---これは恵まれていたかもしれません。子供なので私は白身魚の煮魚をよく覚えています。

冷蔵庫普及前で、乾燥魚が多かったかもしれません。めざしとか。(また、めざしかー、という感じでしたが、今は好きです)
海から離れたところは生魚は入手困難だったでしょう。

確かに、昭和30年代の食事は、ここ20年ほどには欧米化していなかったし、かといって終戦後数年のように、極端にまずしときから脱皮しつつあった頃です。
質素なりに、伝統的な食事がまだ生きていたともいえます。
30年代は、池田首相が進めた高度成長期が始まった時期であり、30年と39年では相当違いがあるような気もします。

まず、特徴は、白いご飯がやっと食べれるようになった、でも一部では、麦や雑穀をいれたご飯もあった。増量のためおかゆもまでありました。質素を忘れない為か、私の子供の頃かすか...続きを読む


人気Q&Aランキング