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「神を信じなさい」などと言います。
教会ではそのよーに教えています。
しかしこれは正しいでしょーか。
神は信じるものなのでしょーか?
神は信じるものではなく、感じるものではないのですか。
神を感じることが出来なくて、神を信じることができるのですか?
神を感じることが出来ないのであれば、なおのこと神を信じることなど出来るわけがないのではありませんか?
であれば「神を感じなさい」と教えるべきではありませんか?
人の道においては神は信じるものではなく、感じるものですよ。

A 回答 (12件中11~12件)

神は 経験事象を超えています。



考えるあるいは感じるを超えています。

だから 信じるという言葉を人びとは用意したのです。


ところがただし 《超えている》ということは その超えて
いる者の側からは 超えられている者へと ハタラキカケを
成すことができます。

絶対性の側から 相対世界に向けて チカラをおよぼすこと
があります。


すなわち:
信じるという動態また過程にあって 信じる対象である神の
側から 信じているわれに向けて 

《考える》の要素としてヒラメキをあたえることがあり得ま
すし 

同じく《感じる》の要素としてヤマシサ反応を促したりそれ
につれて恥ぢをおぼえさせたりすること――つまり 良心と
してのハタラキですね――が あります。





さらには 信じる側のわれは 信じられる側の神に いかよ
うにもあまえることができます。

相対存在から 絶対性に向けて 何を思っても かにをやっ
ても あまえることができます。

いかに神の悪口を言っても ののしっても おさらばしても
なお神にあまえることができます。


つまり わたしは神を見たんだとか おれは神の声を聞いた
ぞといった《感じる》経験も 思う存分あじわうことが出来
るのです。これは 特殊絶対性とよびます。(ひとりの存在
としての主観の内部にとどまる事態ですが)。


これが 神です。

ちなみに だから 《無い神》も 神です。





ところで みちさん あなたは 神をどう感じるのですか?

どのような感じなのですか?
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この回答へのお礼

>神は 経験事象を超えています。

少し考えれば分かることですが、その考え自体が経験から来るものです。
つまりその発想自体が経験に根ざしているのです。
人間の思うこと、考えることは全て例外なく経験から離れることはできません。
それは神についても同じです。

お礼日時:2020/05/28 07:34

この場合、結果的に同じです。


感じるから信じるのか、信じたから感じるのか。
どちらもあり得ます。

人間の心理も脳もそんなに明快なものではないです。
寒くない寒くないと念じ続ければ、あまり寒くなくなってくる。
イヤな奴だイヤな奴だと思い続けると、心底イヤな奴と憎むようになる。

自分の思いこみで感覚は変わります。
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