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衆道は戦国時代のはるか前から存在し、江戸時代には陰間茶屋という衆道版遊郭もありました。
女の価値が蔑まれていた時代、卑しい女を全く受け付けられないという頭の固いドテカボチャはいます。身分制度廃止後に庶民文化との衝突によって、武士の文化が消えていったのでしょうか?

A 回答 (4件)

今も深く根付いています。


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普通の社会にも根付いています。
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昔から変態は居たんだねえ

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昔から批判されていたと思いますが。



だからこそ「陰間」「(若)衆道」などという差別的な言葉が使われていたと思います。
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まじめに答えます。


日本は比較的「性の問題」についておおらかな国でした。神が男女を作り、当然男女で愛し合うのだという
キリスト教やイスラム(二つは同じルーツですから)の教えは日本にありませんでした。

美しいものを愛でるのは当然だと考えですから、同性同士の愛情も認めていました。
仏教でもそうしたことはことはあり、今でも「理趣経」は危険な教えだということになっていますし、
「空海」もそうしたことを理解していたようです。それが最澄との対立になったという考え方もあります。

「男色」を武士の文化ととらえるのは無理があります。「男色」=「武士の世界」ではないのです。
力のあるものが「美しいもの」を集めるのは当然だからこそ、男が力を持った時代に「男色」ああったわけで
それが急に変化したのは、明治時代に入ってからです。政府の「欧化政策」の影響です。
ちょうど同じころ、階級としての「武士」がなくなったので、同一視されるだけです。
「身分制度廃止後に庶民文化との衝突によって」ではなく、
「キリスト教や西洋文化の流入」が日本文化を壊したということです。

江戸時代までの日本では「男色」ほめられてはいませんが、批判の対象でもありません。
「そんなもんだ」程度の認識です。
こうした明治初期の日本文化の破壊の例として、他には「混浴文化」があります。
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