プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

日本は開国後金貨の流出に伴って金の含有率の少ない万延小判など作ったみたいですが、そんなことしてまで金貨を作る理由はなんですか?
銀貨だけ発行して、銀貨だけで経済回すことはできないのですか?

A 回答 (4件)

幕府は金(きん)の手持ちが少なくなったので粗悪な小判を作ったのではなく金の海外流出を防ぐための措置だったと思われます。



安政6年6月2日(1859年7月1日)に日米修好通商条約が発効すると日本から大量の金(きん)が持ち出されます。金と銀の交換レートの違いのため日本で交換すると3倍程度有利でした。いわば悪用されたのです。
幕府はこのことは条約が発効する以前からわかっており、その対策として条約が発効する直前の安政6年5月末に「安政二朱銀」を発行します。1ドル銀貨をこの安政二朱銀に交換しようというわけです。額面を低くしたうえ、銀の含有量を増やしたことで外国での金銀レートとほぼ同じになったのですが、外国人の猛反対にあって撤回します。そのためこの年の秋には大量の金(きん)が流出することになります。
次の対策として翌万延元年2月に「万延小判」を発行します。金(きん)の含有量はわずか1.9g。天保小判が6.39gなので1/3にも満たない。これで海外でのレートとほぼ同じになり金(きん)の流出は止まります。

そのあたりをもうちょっと詳しく書いておきます。
1ドル銀貨は、重量26.73g、銀の含有量23.2g。10ドル金貨には15.05gの金(きん)が含まれており、外国での交換では 23.2gの銀は金1.505gになります。
幕府は当時流通していた天保一分銀(重量8.62g)との交換を予定していました。日米修好通商条約では銀貨の重量が同じなら等価値とされていたので1ドル銀貨1枚と天保一分銀3枚を交換する予定でした。
一分銀3枚では金額は三分です。小判では3/4両になります(四分が一両です)。当時流通していたのは天保小判で、これには金(きん)は6.39g含まれています。3/4両では4.79gになります。
つまり日本で 1ドル銀貨 → 天保一分銀 → 天保小判 と交換することで23.2gの銀が4.79gの金(きん)になるのです。外国では上記のように1.5gほどにしかならないので日本での交換は3倍ほど有利でした。
ここで万延小判が出て来るとこれには金(きん)は1.9gしか含まれていないので、3/4両では1.4gほどしかありません。これで金の流出を止めることができました。

万延小判が発行される直前、幕府は「増し歩」という不思議なお触れを出しています。
「天保小判は3両1分2朱に通用、安政小判は2両2分3朱に通用・・・」 銀に対する小判の価値が1/3程度に下がったわけですから外国への持ち出しは減ったでしょう。これらの小判はほぼ回収されていたはずですが持っていた人は喜んだでしょうね。額面の約3倍に通用するというのですから。市中にどのぐらい残っていたでしょうか。大量に残っていたのなら経済が大混乱になったはずです。幕末の経済不安の一因はこれかもしれません。

この件はずいぶんややこしい話です。要点だけを書いたつもりですが私の誤解もあるかもしれません。
詳しく知りたいのでしたら下の論文を見てください。
https://tohoku-gakuin.ac.jp/research/journal/bk2 …
この論文は書籍になっています。
https://www.nippyo.co.jp/shop/book/7918.html
    • good
    • 0

>銀貨だけ発行して、銀貨だけで経済回すことはできないのですか?



結論から言えば「出来なかった」です。
理由は「日本にある銀貨では金貨分の総資産を賄えないから」です。

質問者様がニクソンショックとか金兌換紙幣などの知識があるかどうかわかりませんが、ニクソンショック以前はどこの国も「自国の通貨発行銀行がもつ金資産と同じ額までしか通貨を発行できない」ものだったのです。

それ以前は金貨や銀貨をそのまま使っていて、つまり「国内に流通している金貨・銀貨の総量がその国の国力」だったわけです。

日本は自前で金山・銀山を持ち、鎖国経済だったので、自国内だけで通貨流通を考えて居ればよかったのですが、開国したことによって、金の国外流出という新しい事態になったわけです。
 
ちなみに、なんで金が国外に流出したかと言うと、銀との交換比率が、欧米諸国のそれよりも良かったからで、日本で銀を売り金を買うと、儲けることができたので、どんどん流出してしまったのです。

ただ金貨が流出しても、国内の富が流出するわけではありません。なぜならその分の銀貨が入ってきていたからです。だから経済的には問題なかったのですが、しかし金そのものが不足し始めると「同じ額面だけど金の量を少なくする」必要がでてきてしまったわけです。

でもこれをすべて銀通貨に替えるには、今まで発行した金貨をすべて銀貨に換える、必要があったので、それができるほどの銀の量はなかった、のです。
    • good
    • 0

金本位制と言って、当時は金の裏付けがないと貨幣を作れない制度だったけど、


はるか昔、古代ローマは銀本位制だった。
だから指摘のとおり銀貨で経済を回すことはできることもないかもしれない。
実際大阪は銀だったと何かで読んだ記憶がある。

ただ、世界のトレンドは金で、開国したなら日本もその流れに乗る必要があった。
    • good
    • 0

いまの円のように通貨に対する信頼が高いと、お金は金貨でも銀貨でも紙幣でもいいのですが、それが十分にないときは、貨幣の価値は貨幣自身の物質的な価値になってしまいます。


いまでもインフレでお金の価値が下がると、お金を持っておくよりも金塊を買っておくほうが安心だとされているでしょ。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!