アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

司馬遼太郎が、中国文明の成立の説明のなかで、次のように説明しています。

<鍬や鋤などの鉄板のふちに赤みそや白みそで壁をきずき、その中央に肉やねぎを置く。煮えるにつれて赤白の壁が溶け、中身がほどのよい味になってゆく。>

上記は、すき焼きをたとえに使って、中国文明の成立を説明しているのでしょう。

質問は、野良作業に従事している農民などは、実際に(大切な高価な)鍬や鋤などを利用してすき焼きを料理することがあるのでしょうか?

A 回答 (4件)

鍬や鋤を火に掛けたら刃先がなまってしまい、使い物にならなくなってしまいます。



兵士が戦場で兜を鍋にすることはあっても、農民が農具を鍋にしたりしないでしょう。

兵士は腹が空いてもすぐ家へ帰るわけにはいきませんが、農民は食事時間になったら家へ帰ることができます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<刃先がなま>りますね。

お礼日時:2023/09/27 15:06

No.3の回答者さんが書かれていることで、8割方は合っていると思います。


でも、司馬遼太郎が書いているのは、若干違います。

鍬や鋤などの鉄板のふちに赤みそや白みそで壁をきずき、その中央に肉やねぎを置く。煮えるにつれて赤白のみその壁がだんだん溶け、中身がほどよい味になってゆく。
中国文明という普遍性の高い文明が成立してゆく事情というのは、右のような料理法(?)に似ているのではないかといつも思っている。
極端にいえば、もともと漢民族というものは存在しなかった。高度の土器生産に長じた民族が最初にこの可耕性の高い大陸にやってきて住みつき、次いで青銅冶金に長じた民族がきて、殷帝国をつくり、さらにそれよりも冶金能力は粗采ながら政治・軍事という集団統御に長じた民族がやってきて、周帝国をつくったと見たい。ついで鉄をつくる能力をもった民族がやってきて、この大陸の農業生産を飛躍させ、新興地主の乱立する乱世のなかで古代的生産社会が崩された。
次いで、西方に発生した遊牧文明が東に移って、中国大陸の周辺を大きくとりかこむが、~~~~~~~

彼が頭に描いているのは、「普遍性の高い文明が成立してゆく事情」です。
色々のものがそれぞれ味を維持しながら、かつ、全体として一つの文明になっていくイメージです。

鋤焼きであるという器具の問題など気にしてないです。
もちろん料理法としてのすき焼きの起源は、日本の明治でしょう。
肉食をもっと前から日本でもしていた。 多くは生食です。 日本は結構、生が好きです。 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC …
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございました。

お礼日時:2023/09/28 12:18

>上記は、すき焼きをたとえに使って、中国文明の成立を説明しているのでしょう。


文字数の制限がありますが、ご質問の部分だけの引用だと、話が見えなくなると思いますので、その先の文章を書いておきます。

 【中国文明という普遍性の高い文明が成立してゆく事情というのは、右のような料理法(?)に似ているのではないかといつも思っている。
 極端にいえば、もともと漢民族というものは存在しなかった。】

つまり、赤白の味噌を使った料理法のたとえで漢民族の成立を説明しているわけですが、実際「鋤や鍬を使った料理」は日本独自のものです。

それを踏まえて
>野良作業に従事している農民などは、実際に(大切な高価な)鍬や鋤などを利用してすき焼きを料理することがあるのでしょうか?
に回答します。

結論から言うと「江戸時代まではあった、また日本では鋤や鍬はそれほど高価なものでは無かった」です。

実は、この疑問は私も考えたことがあり、かなり詳しく調べました。

で、実際に「鋤や鍬を使って、肉を調理していた」と分かりました。

なんで農業用の道具で料理をするか、というと「肉」だからです。
江戸時代までの日本では仏教思想の影響で、鳥肉(鶏に限らない)以外は禁忌で食べないものでした。

しかし、現実的に激しい農作業を行なう人たちが、動物性たんぱく質を全くとらないというのは現実的には難しく、実際には猪や鹿、熊などの動物の肉を食べていたのです。

ただし、これらの食品は「滋養強壮に効く薬」であって、また仏教として禁忌なので「家の中で調理道具や食器を使って食べるのは食事になってしまう」という問題がありました。

これを解決するために、農作業の合間の昼とか作業後の夕方に、鋤や鍬に肉を入れて食べたのです。

「鋤焼き」という言葉は「好きなように肉や野菜の具を入れて食べる」が語源だとされていますが、実際には「農作業道具である鋤で肉を煮炊きして食べていた」から「すきやき」なのです。

また、日本では砂鉄が豊富に取れます。砂鉄を鍛錬し刀をつくる鍛冶は室町から戦国時代にかけて非常に人口が多く、戦乱期の刀は「数打物」と呼ばれる粗製乱造品が多く出回りました。

しかし数打物でも、アジア各国の武器よりも切れ味が良かったのでかなりの量が輸出されたのです。

なので室町時代以降になると、日本の農業道具はそれほど高価なものではなくなり、小作農でも一つか二つは所有できるぐらいの値段になったので、高級品ではありませんでした。
    • good
    • 3
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
先達さんがいらっしゃったのですね。
表向きの食事を回避して、野良で鋤などを使ってこっそりと肉類を食べる、という行為があったのですね。
鋤類もそれほど高価ではなくなったし。

お礼日時:2023/09/27 15:24

今するわけないです。

    • good
    • 0
この回答へのお礼

御尤も

お礼日時:2023/09/27 15:05

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A