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時間とは何ですか?どのように定義されるものですか?
さらに、時間のは連続しているものですか?非連続なものですか?
 場違いかもしれませんが、科学的な見地から教えてください。
ブラックホールなど、強力な重力場のもとでは、時間は相対的におくれますよね。その辺から、考えられそうな気もしますが・・・。

A 回答 (9件)

時間とは何ぞや?を語る時に、アインシュタインの相対性理論は


欠かすことのできない知識です。

特殊相対性理論の基礎がわかれば、疑問のほとんどは解決すると
思われます。

詳しくは、自分で学んでください。
参考URL(高校生のためのアインシュタインの特殊相対性理論)はわりといいです。

アインシュタインの人生と、一般相対性理論まで知りたい場合、
このサイト(アインシュタインの科学と生涯)がオススメです。
 ↓
http://homepage2.nifty.com/einstein/

参考URL:http://homepage1.nifty.com/tac-lab/
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「時間とは何?」これは科学の永遠のテーマではないでしょうか。


こんな難しい問題に答えられる人を私はいまだかつて見たことはありません。

参考URL:http://nova.earth.s.kobe-u.ac.jp/~matsuda/review …
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>時間とは何ですか?どのように定義されるものですか?


難しい質問ですね。
まだ物理学者のあいだで答えが出ていないのです。

>連続しているものですか?非連続なものですか?
今の段階では力学、電磁気学、相対論、量子力学、場の理論など
どの理論においても連続的なものとして扱われています。
しかし、連続でないといけない理由はありません。
空間やエネルギーと同様不連続なものである可能性は十分あります。

>ブラックホールなど、強力な重力場のもとでは、時間は相対的におくれますよね。
>その辺から、考えられそうな気もしますが・・・。
そうですね。
後は、量子力学についても考えなくてはいけません。
相対論ともう一つ量子力学がいまのところうまく統一して論じることが出来ていないのです。
それらを統一する候補として超弦理論等があります。

全然回答になってなくて申し訳ないです。
私自身は素粒子物理の専門家なのですが、
この質問に対する答えはわからないとしか言いようがないのです。
下記URLなども参考にしてみて下さい。

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?qid=40277
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 私たちが時間が流れていると感じる、あるいは時間としてその存在を認めることの根本には、周囲におけるひとつ前の状態がたった今の状態と何らか違った状態になっていると認識できることに由来するのではないでしょうか。



 そして、これらは私たちが周囲の状況を把握することのできる視覚や聴覚等の五感をもっていること、1つ前の状態を記憶できること、そしてその記憶がある方向に従って整理されている(と思える)ことに起因するものでありましょう。(状態の変化の記憶について情報整理の結果、一定の方向性が生じてくるのか、または状態の変化の記憶をある一定方向に整合性を持って整理することにより時間という概念が生じてくるのかは分かりませんが・・・)
 人間の認知の立場から時間を考えると以上のことが基本にあると思います。
 これは何も人間に限らず他の動物や虫やアメーバーの視点たって考えるとすれば、それぞれの生物の知覚機構、記憶、知覚情報処理機構等に応じ、それぞれの時間が存在するようにも思えます。

 以上のことは、物質の状態を規定する物理上の時間を議論する時にも言えることではないかと思います。
 宇宙に存在している諸々の物質的存在の将来(あるいは過去)といった一定方向に対する状態を記述することを目標にする時、いわば座標軸的な時間(軸)を先ず定義し、それに沿って目当ての物体の状態(位置等)の変化を追っていけば良いでしょう。以上では物体の状態(位置等)が変化することが前提になっています。

 ここで、全くの想像上の極論ですが、宇宙に物体がたった1つと自分の視線しかなくて後は真っ暗闇という状況を想定してみますと、その物体がずーっと全く動かず、また自分もその物体に関する情報以外、何も変化が知覚できないとしたら・・・多分、どのくらい時間が経ったのか、あるいはそもそも時間なんて経っているのか、そういうものがあるのかどうかということが分からなくなってしまうでしょう。
 数式で以上のことを記述したとしても、先ず時間というものに一定方向の流れがあるという時間軸の形で定義せずしては何も語らないことになるでしょう(観測対象物は何も変化しないので当該物の変化から時間を逆に規定することはできません)。

 通常の私たちの周りの環境はこうではありません。対象物以外にも何かしら状態が変化しているものが存在している(と認識できる)でしょう。別に対象としているその物自体の状態が変化している必要はなく、周囲の何かが変化していれば、その対象物は逆に変化していないことが認識され、ひいては逆にその対象物の状態が時間が経っても変化がしないこと認識されることになるでしょう。

 その時間の存在を、「座標軸みたいに過去から未来へ一定に流れていますよ」と決め事的に定義することなしに、他のものから裏付けるようとするならば、上の自分のような周囲の状態の変化を認識することができるいわば”観測者”なるものがいなければならないでしょう。また、実際に状態が変化したことが観測されることも必要です。
 マクロといいますか我々の日常的に知覚できるスケールでは一定方向の流れの存在を疑えないような周囲の物等の状態の変化が認められることにより、座標軸な時間が流れているような認識が正当性を持ちますが、ミクロ(量子論的)な世界まで足を踏み込むならば---聞きかじりと想像で書いちゃいます、すいません---観測可能な長さの限界が存在すると同時に時間にも限界があると考えられていることから、もはやそれ以下の長さの時間になってくると物の状態変化自体を観測することができず考えることができなります(一般に思われている一定方向に流れる時間という形では規定できないということにもなるんでしょうか??)

参考URL:http://www.nisseisg.co.jp/kouhou/_sapiens/_sapi0 …
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133Cs(セシウム)の超微細準位の周波数9,192,631,770周期が1sec・・・。


定義は定義なんだけど、ほんと不思議ですね。
連続してるものにあえて刻みをつけてA/D変換してると・・・。
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おおむねhishさんの意見に賛成です。


私も常々かんがえていたのですが、どうも時間と言うのは人間が発明したものではないかと思います。発見ではなくて発明です。
人間が居なければ時間を認識するものが居ないので時間の概念はなく、時間もない。と思うのです。だれも測定するものが居なければ時間はないと思います。
また、過去や未来も私たちの脳の中にあるものであって、実際は現在の一瞬しかないのです。時間の経過は私たちの記憶の中にのみ存在するのです。

だーれもいない山の中で大きな木が倒れたとしましょう。
当然大きな音がしたと思われますが、誰一人その音を聞く人はいません。
それでも音がしたといえるでしょうか?
未知の星に未知の生物がいても、それが確認されない限りは居たということにはならないでしょう。
時間もそうだと思うのです。測定する者がいなければ時間なんてないと思います。
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時間の観念(過去/現在/未来がある、過去から


未来へ時間は連続的に流れていく、など)というもの
は、確かに我々の考え出したものでしょう。

うろ覚えですが、清水博著「時間と自己」のなかで、
ある精神的疾患を持つ人のなかには、このような
時間感覚を持つことができない人がいるということが
書かれています。
その人達にとって時間とは、連続的に「流れる」もの
ではなく、ぽつぽつと離散的に知覚され、先立つ事象と
そのあとに起こる事象が一連のものであると感じられない
そうです。

このように、我々が時間に対して抱いている感覚は、
我々人類の中でさえも共有されないものであり、
普遍的なものではなさそうです。

それはさておき、どんな自然科学分野でも問題に
なることですが、観察者がいなければ、時間経過
という現象も存在しないのでしょうか?
時間という軸は我々が勝手につくり出したもの
なんでしょうか?

私は直観的に考えて、時間とはもっと本質的なものである
ように思うんですよね。

時間は空間と異なり、一方にしか進まない、という
ことを考えるのに、「不可逆変化」と関連付けて
説明することがあるようで、私も直観的に分りやすい
ように思います。

ニュートン力学における時間は空間軸(x,y,z)と同等な
軸tで表され、例えば落下運動の方程式は、x,y,z,tの間の
関係を言っているだけで、tの向きは全く規定しません。
そのため、tを減らす方向に方程式を発展させれば
時間が逆回転して元の状態に戻るわけで、このレベルでは
まだ時間に一方向性はありません。(例えば、落下した
物体を全く逆の速度で投げ上げれば、エネルギーや位置などの
物体の状態はそのまま元に戻ります。したがって、高い
ところに物体がある状態と、落下した先の低いところに
物体がある状態はどっちが先でも後でも良いことに
なります)

しかし、これは可逆変化の場合だけで、世の中の大部分の
現象に見られる不可逆な変化はそうではありません。
例えば、ガラスのコップが割れるという現象があったときに、
落下運動と異なり、元来た道をそのまま逆にたどって元に戻る
ということは絶対にあり得ません。

このように、あるAという状態とBという状態に対して、
A→Bという変化はあり得るが、B→Aという変化は
絶対にあり得ない、という事実が状態の間に順序付けを
し、それが時間の前後というものを生み出している、
という考え方です。

(まあ、これも当然いろいろ批判があって、マクロな
レベルで見て不可逆なものも、ミクロな可逆変化の
集合として記述されるので、そう考えると、上の話は
何も言ってないことになってしまいます)

熱力学の理論では、物質やエネルギーの出入りの無い
空間は不可逆変化を繰り返し、最終的には何の変化も
起こらない、平衡状態に陥ります。宇宙全体がそのような
空間であるとすると、不可逆変化が時間の流れの要因で
あるとした場合、最終的には時間は止まる、ということに
なるのかな?

まあ、考え出すと切りがないですね。
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 「時間とは何か?」という疑問に付いて、私は常にこの


事について考えてきました、そして、一つの答えに辿り着
きました。それは「時間は物差しで計れる」ということです。

それはどういうことかと申しますと物理学者は時間という
ものは時間が遅れるにせよ歪むにせよ時間は流れているも
のと考えられてきました、かつてのアインシュタインや
ニュートンなどがそうです。

 しかし私の考え方では過去未来、現在という存在は今ココに
存在していると思うのです。

 いたい何を言っているのだと思うでしょうが、これは
私の考え方なので信じる信じないは貴方様の自由にしてく
ださい。

 それはどういうことかと申しますと時間は遅れたり
進んだりしている事はご承知かと思いますが、私の考え
では時間というものは流れているのではなく水平に動いて
いるのだと思うのです。仮にここに物体A,B,Cがあると
します。物体Bは物体Aよりも速く、物体Cは物体Aより
もゆっくり動いているとします。そうすると我々が時計で
測っている時間というものはB>A>Cと遅れます。次に
そのA,B,Cの中に私が分身の術を使って入ったとします。
するとAに入った僕からしてみると過去、現在、未来の僕
が3次元の空間に存在しているという事になるのです。こ
れが「時間が物差しではかれる」ということになのです
(実際にはかれるわけじゃないんだけど… (^_^;) )。

 単純に言いましたが、もう少しで図式が完成いたします。
この図式はアインシュタインの考え方を紐解いて考えたも
のなのですが、このことを言いますと私の制作問題に
関わってきますのでお気遣いねがいます。
 この式が完成したならばもっと詳しい事が説明できると思います。
いまや物理学は調べ尽くされいます。これからは疑問や発想が科学を作り
上げてゆくでしょう。

 貴方様の発想や疑問が花咲く事を期待しております。
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時間についての問いには、実質2つの要素が内包されており、回答が混乱しがちである。


要するに質問者は、「時間とはどのように生じたか」と問いながら、その『時間』とはどのようなものであるか分かっていずに、「何だか分からないものがどのように生じたか分からない」という、正しく答えるのには長い道筋が必要な問いなのだ。

たとえば、「無の潜在としての認識可能性の“断面”の移動=自我仮説に対する、相補的な時空仮説の発生」と端的に言ったところでよく分からず、たとえば;

1.時間の不可逆性は、一般的(統計力学的)には「エントロピー増大」とされるが、微視的(本質的)にまで通用する不可逆現象としては、宇宙の膨張=不確定性(h)で相殺すべき空間の増大=不確定性の収束(cの減少)。
即ち各時点で、原理的レベルで異なる定数によって成る=異なる認識可能性を一つの軸(自我同一性)にするところに、時間性は依拠している。

2.全ての環境認識は、認識体の感受表面における量子相互作用(光だけでなく、音や触覚のような運動量の交換や、味覚や嗅覚のような化合物の反応も、最終的には量子相互作用であり、その“向こう”にある媒質の違いに過ぎない)である。
そこにおける、光や音のような情報性(先行感覚)に対して、触覚や味覚のような実体的感覚の蓄積を相関させる、即ち経験(時間的記憶)による予測(空間的広がり)として、時空は生じている。

3.存在の実態において、現象表面的には静止していても、細胞レベルでは新陳代謝し、分子は振動し、原子レベルでは回転し、という具合に、現象階層性を遡るほどに、より高速で運動しており、スーパーストリングやM理論といった“究極の理論”においては、量子相互作用=光速に至っている。
光速で運動する物体は時間が経過しないという事からいえば、宇宙の発生は階層現象表面性に付随して派生するものであり、原理的には宇宙の果てのビッグバンの壁と“瞬間相互作用”でつながっている=現象表面的時空仮説に対する“光の風(量子相互作用)”=認識可能性における無の射影として、存在性は発生している。

4.無の無限性(確率的存在を無限に詰め込むと、存在確率の山が平坦になって無と等価)の潜在としての認識可能性の仮説的移動の相殺としての量子相互作用=光速に対して、その時空仮説における階層現象表面的に生じる非光速性の、超光速(エネルギーが虚数になる=相互作用(自乗)においてマイナス=時間軸逆行と等価)領域を過去とし、光速以下を未来として、「自己(現在=光速)からの過去(超光速)と未来(光速下)の対発生」という構造が成り立つ。
その過去(経験)による未来(予測)による仮想的現在において存在性が生じる時、その超光速(光速下と超光速領域を分ける認識体はブラックホールと相同)における時空軸の転換において、仮想的延長において直交基底をなす時間軸(過去の経験)と空間軸(未来の予想としての空間的広がり)は同一軸であり、即ち、存在性の本質をなす不確定性原理における二対の相補性、「位置(S)と運動量(位置の時間的変化St)」「時点(T)と質量(時間的相対運動Ts)」は、本質において同一軸であって「相補的」ではなく、仮想的現在への延長において生じているということだ。

5.こうした条件を認識した上で、相対性理論の規定する四次元時空の方程式を見ると、時間項がマイナスになっていて、時間軸と空間軸の等距離点に“ライトコーン(量子相互作用)=0の広がり”、という界面原点が生じることも納得できる。
時間軸は、自我仮説性が持ち込んだ“余分な軸”であり、それによって生じた時空仮説に対して、相対性理論における光速限界や量子力学における相補的不確定性は、無の射影としての補完的なものなのだ。
原理的に無であるとは分からないことが、有限性を生じている=存在の本質なのだ。

基本的な内容だけでも、こうした認識論から素粒子論までの幅広い(それも等価性による再解釈を伴う)理解が必要であり、「時間とは何か」という問いは、それを行う者を選ぶ、と言えよう。
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