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ソビエト軍は独ソ戦において崩壊寸前まで追い込まれ、1000万人以上の死者を出しました。
しかし、最終的ににはドイツ軍を叩き潰しベルリンを占領して大戦の勝利に最大の貢献をしました。
このタフさは何処から来るのですか❓
ソ連全体では2700万人もの死者を出していて日本の死者とは桁違いです。

A 回答 (8件)

これは、ソビエト軍でもあり、刑務所から動員した犯罪者であったり、逃げたら味方から撃たれる同胞民間人だったりするからです。


ロシアの冬の寒さで兵站を阻止されたドイツ軍のせいもあるのですが、幾らでも動員できる都合の良い「兵」がどんどん補充できる、それに尽きます。
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ソ連は人口や物資の多さでゴリ押しただけですね。

例えるなら…

ドイツ「よし!この戦車ならソ連の戦車を一台で二台は破壊できるぞ!この戦車を千台用意してやる!」

ソ連「んじゃこっちは三千台作るわ」

ドイツ「」

まあ適当ですがこんな感じですね。
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やはり冬将軍を味方につけたからでしょう。


ドイツ軍をどんどん進撃させましたが、食料など入手しにくいように仕掛けていたといいます。
いったん帰ろうとしたドイツ軍、冬の寒さと食料不足で酷い目にあったようです。
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<崩壊寸前まで追い込まれ<>たのは


1937~1939年にスターリンによって行われた赤軍幹部の大粛清のためです。
粛清で、海将5人中3人、15人中13人の陸将、85人中57人の軍指揮官、師団と
旅団の指揮官ほぼ全員が流刑または処刑にされました。
ドイツ語のWikiに粛清の状況が記述されています。
https://de.wikipedia.org/wiki/Rote_Armee#Stalins …

その結果、ドイツ軍進行開始時の指揮系統は壊滅状態で、軍の士気も低下して、
赤軍捕虜の中にはドイツ軍と協力してスターリン体制を打破しようとした者も
数十万は居たと推測されています+。

流れが止まり、反撃に移れた理由としては、
1)占領地に侵攻した親衛隊の住民に対する残虐行為、
2)戦線の拡大と冬の厳しさとロシア人の粘り強さ*に対する認識不足、
3)英米による武器や物質支援、
4)数で勝る兵員の動員と兵器の生産、等です。

1)に付いては、ドイツの一部には陰で国防軍無罪論を唱える人々がまだいます。
 親衛隊の残却行為が住民を指導者スターリンの下に再結束させたとされています。
2)に付いては、留学中の想い出があります。ある冬の日、書店の店頭に黒い縁取り
 の作家の写真が有りました。彼の著書「Tushima」はヒットラーの時代に発禁に
 なっていました。同盟国日本がロシアに大勝した海戦に関する本なのにです。
 海を見たことも無い農民が召集され、皇帝お気に入りで実践の無い提督の下に、
 錬度の高い日本軍の待っている海に行き、ほぼ全滅する。
 その中にもロシア人の不屈の逞しさが感じられるのが発禁の理由だったそうです。
 ヒットラーのスタッフの中にも何らかを予感した人も居たのですね。
3)、4)は他の方々も指摘して居られるとおりです。

∔)読んだ本に「ヒットラー猊下の積軍兵士」があります。内容はドイツと協力して
 スターリン打倒を夢見た赤軍兵士捕虜の話です。
 開戦初期の数十万人に上る彼らは、ドイツ軍に協力を申し出ます、前線が伸びて
 困難を抱えていたドイツ国防軍将軍達は、後方支援に彼らをヒットラーの許可なく
 使い出しますが、武装まではできません。許可が下りたのは、東部戦線が崩壊して
 敗走が始まった頃で*、赤軍出身者からなる一旅団を編成し、かれらのウクライナ
 方面への進軍を認めます。そして彼らは歴史から痕跡も無く消え去ります。

*敗走に付いては、軍医によるドキュメント小説「見えざる旗の下で」があります。
 敗走する軍のほぼ最後尾で負傷兵を抱え、治療しながら移動する医療部隊。
 彼ら彼女らは、戦争という狂気の時代に「ヒューマニズム」と云う見えなく
 なっている旗を心の支えにあの状況を生き延びたという回顧録です。
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凄い将軍がいたからです。


冬将軍と言います。
ドイツ軍はナポレオンと同じ目にあってます。
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勝利できたのはレンドリースと米英軍のドイツ本土爆撃のお蔭でしょう



レンドリースがなければソ連のアルミニウムは完全に欠乏、枯渇します
航空機生産や戦車エンジン軽量化に支障が出ます
またレンドリースによる大量のトラックや機関車の援助がなければ43年秋以降の進撃スピードは維持できず、補給が滞り43年春のハリコフ戦のような逆転劇を繰り返すでしょう
新たな工場などを作る建築資材、自動溶接機器、大型発電機、食糧、衣類などの援助も過小評価できません

米軍の爆撃航空団が44年6月に爆撃目標を合成石油製造工場と鉄道網に変えなければ44年にドイツの戦車・突撃砲・航空機の生産がピークになっており、連合軍の苦戦は免れない

合成石油製造工場が甚大な被害を受け地上車輌は燃料不足となり、米英爆撃機を迎撃する昼間戦闘機、夜間戦闘機の出動機数が半減
鉄道網に甚大な被害を受け経験豊かな前線部隊に補充用の戦車や修理用部品、燃料、弾薬が届かず
土素人を召集した装甲旅団を編成し新戦車を配属して送り、ベテランの米軍機甲部隊に壊滅させられる事態が生じました

兎に角、ソ連単独では対独戦には勝てません
史実ではソ連の全力、イギリスの大部分、アメリカの3分の2の戦力を集中してやっと対独戦に勝利したのです
ソ連軍は独ソ戦初年度ドイツ軍が1.5ヶ月キエフへの迂回攻撃を含め11月末までの僅か5ヶ月で確保した領土を34ヶ月かけてようやく奪回できたのです
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スターリンにとって国民の命なぞ興味が無い、国民にシベリアへ行くか、戦場へ行くかの選択しかなかったからね。



工場でT -34を作って、出来上がったら自分達がそのまま乗って戦場に向かうのはごく当たり前。

質より量、下手な鉄砲数撃ちゃ当たる、1台のティーガー戦車にT -34が10台でアタックすればどれかヒットするだろうレベル。

それでも攻勢をかけて勝ち目が見えてきたら、士気が高くなったのか組織的な戦闘が出来る様になってきたけどね。

押されたドイツの方と言えば、総統閣下の頭が逝かれたのか余計な口出しをする様になり、、どう見ても勝てるわけが無い作戦を押し付け、戦場が混乱し油に火を注いだ状態になっちゃってジ、エンド。

こんな感じでソ連国民にとって、徴兵を拒否してシベリア送りになって過労死するか、戦闘に出て僅かながらの生に掛けるか、どちらかの選択しかなかったから必死で戦ったのです。
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棚ぼたです

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