No.65ベストアンサー
- 回答日時:
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最後
ほとんどが「~なのか」の類で、「なわけ・なもの」が少し。
その他、「最後な件」「最後な気がする」があった。
最愛
「最愛な人・君・もの・日」などがある。
面白かったのは「最高で最強、そして最愛な美容師軍団!!!」
以上、「最-な」の例を見てきて思うこと
これらを「誤り」として片づけることはもうできないだろう。
(それが「記述的言語学」というもの)
しかしやはり、これらの語では、まだ「最-の」が圧倒的に多い。
しばらくはこの状態が続くだろうが、将来、どうなっていくのか。
「な/の」が両方とも普通に使われる語(「いろいろ・特別」など)がどうなっていくかも注視すべき。(「健康・暇・自由・平和」の類はまた別だろう。)
名詞と形容動詞にまたがってつかわれる語はどれくらいあるのか。
その中で、
両者がはっきり別の用法と考えられるもの(「健康・自由・平和」の類)
これまで見てきたような、意味的な差のない(小さい)もの
それぞれを分けて考えること。
まずはそれぞれの大きなリスト(と実例集)を作ることが基礎的作業かなあ、と。
まあ、こんなところです。
saburoo
現在の考えは下記くらいです。
勝手にコメントを転載いたしました。申し訳ない。
非常に貴重な用例集ですが、雑音が多くて読みにくいもので。
いろいろありがとうございます。
【形容動詞? ナ形容詞? 名詞? 「最◯」限定〈2〉-1&2】
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12630860451.html
【形容動詞? ナ形容詞? 名詞? 「最◯」限定〈3〉】
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12631101954.html
形容動詞? ナ形容詞? 名詞? 「最◯」限定〈4〉
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12631743601.html
さてそろそろ下記へ。
こちらも雑音が多くて閉口しています。
【「ニ」の使い方】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11904835.html
No.82
- 回答日時:
No.81に
予想されたことだが、相変わらず、具体的な言語事実を無視し、現象論で誤魔化すしかないようですね。
>>「山は高いだ」ねえ。
共通語の文法と他方言の文法とを混ぜてどうすんのかねえ。
同じ日本語の文法に基づく認識の共通構造を捉えられない浅薄な発想です。
零記号という認識としては存在するが表現されないという言語事実が捉えられないようでは科学的、論理的な言語論、文法論を展開することはできません。
言語言霊論と呼ばれるのも道理ですね。
まあ、形式主義、機能主義という病膏肓に入るということですね。
お大事に!■
No.81
- 回答日時:
No.78に。
予想されたことだが、相変わらず、具体的な言語事実の提示への具体的な反論はなしか。
三浦と時枝の論を繰り返すだけ。
「山は高いだ」ねえ。
共通語の文法と他方言の文法とを混ぜてどうすんのかねえ。
そうすれば、でまかせも誤魔化せる、か。
なにしろ、零記号というごまかしは便利だからねえ。
まあ、好きにやったら?
saburoo
No.80
- 回答日時:
>>そういうSF文法用語には関わりたくありません。
まずは対象を正しく理解することが第一です。
勝手な思い込みによるSF文法用語を振り回しても何の進展もありません。
何度言えばわかるのですか!
いいかげんに、眼を醒ましましょう。
●●につける薬はありません。■
ようやくご理解いただけましたか。めでたい。
今後は、勝手な思い込みによる「静詞」などというSF文法用語を振り回すのはお控えください。
そんな「お念仏」を唱えても何の進展もありませんから。
本当に迷惑です。
>●●につける薬はありません。
自覚はあるんですね。ご自愛ください。
No.79
- 回答日時:
No.77 のお礼に応えて
>>一般の辞書や文法書は相手にしていないんですね。
そういう異端の文法はヨソで主張してください。興味ありません。
一般の辞書や文法書を相手にしても全く解明の糸口も見い出せずに質問しているのではありませんか。
興味云々ではなく、まずは事実を冷静に、論理的に理解しないと進歩、発展はありません。”百年一日のごとく”ほとんど変わらない与太を飛ばしていてもどうしようもありません。
>>で、夥しい念仏の中で、唯一まともそうなNo.66のコメントには「静詞」なんて出てきませんよね。
なぜなんでしょ。
なぜか理解できるように、まず<静詞>という定義の意味を良く理解しましょう。詳しい説明を挙げましたが?■
>なぜか理解できるように、まず<静詞>という定義の意味を良く理解しましょう
そういうSF文法用語には関わりたくありません。何度言えばわかるのですか。
夥しい念仏の中で、No.66がマシなのは、そういうSF文法用語が出てこないからでしょう。
●●が感染りそうです。
そういう迷惑な垂れ流しはヨソでどうぞ。
何度言えばわかるのですか。
No.78
- 回答日時:
No76に
A1
>>「判断を表現しないのが規範となっていました」が無根拠。
「おいしい」だけで「普通体として」判断が示されている。
・『~(だ)べ』…文末に付く言葉。推量「~だろう」や、意志「~しよう」の意。関東地方全域に加え東北方言でも用いられ、世代、地域によって接続の仕方や発音が異なる。(例:『そうでしょう?』を”そうだべ/そうだんべ/そうだっぺ”など)
〔『え!コレ方言だったの?!』〕
https://www.froma.com/contents/life/48342/
のように、判断辞「だ」が規範化している地方もあり、認識としては存在す
るが表現するか否かは規範の問題です。認識を捉えることのできない現象論としての記述文法では理解できません。
「普通体」とは教育のための便法としての単なる形式で、内容を論じているわけではありません。回答者の勘違いのレベルです。
>>「陳述作用」を機能辞の持つ作用と誤解している、と言うべきか。
陳述とは判断の機能であり、本質と機能の関係が理解できない回答者には理解不能というしかありません。ヘーゲル『概念論』、特に「判断」を熟読下さい。
>>水は流れるです
という例文の存在「零記号」の「陳述」に話を合わせるため、こんな例まで挙げるとは。
これは、主体の敬意の表現を論じているもので、存在ではなく「何々だ」という判断の表現を扱っています。肯定判断の丁寧形「です」という意義が回答者には理解できていません。中学校の文法解説書には、「です」について、
意味 ていねいな断定を表す。
と記されています。
>>その前の例文、
山は高いです
の「です」が「あれは富士山です」の「です」とは違うものだ、という話は以前にどこかで書いた。
後者は判断を表すが、前者は丁寧さを付け加えるだけで、判断を加えているわけではない。
これは前項からも明らかな通り、回答者の全くの誤断です。
「山は高いです」と「あれは富士山です」の「です」は同じ肯定判断の丁寧形です。
>>活用がなく、「だ」とも「である」とも置き換えられない。名詞文・形容動詞文の「です」とは別の語である。
当然、「山は高いだ(です)。」、「あれは富士山だ(です/である)。」と指定の助動詞「だ/です」を使用するように、活用を持ち、置き換えられます。
そもそも判断なしに、命題である「山は高い」が表現されると考えるのが誤りで、一語文の「山。」も「山■。」と零記号の判断が存在するのは当然です。
したがって、「山は高い(だ/です)」の「だ/です」という判断が省略されているもので、
>>あれは富士山です」の「です」とは違うものだ
などという話は全くのでたらめだ、
という結論になる。
英語でも、「The mountain is high.」で、「is」は肯定判断辞です。この点は、
英語:5文型説の誤り ― 形式主義文法論の混迷
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9503 …
参照。
A2「判断」の話
「叙述:陳述」というのは、時枝の言語過程説が理解できずに、判断を陳述や叙述という機能に解消し、助詞/助動詞の本質を接続の問題に矮小化した渡辺実『国語構文論』(1971)による機能主義への後退の産物です。
現在の寺村、仁田、益岡らの機能主義的な記述文法論は、この後退を受け継ぐものに他なりません。
>>その中のどういう議論が「用法の相違」を明らかにしているのかを示さなければならない。
「「多い」の装定用法では、量化される対象と比較される対象が必要で、後者の指示レベルが前者よりも上位でなければならない」
などというピント外れの議論のサンプルとして示したものを真に受けたもので、「多い」と「大きい」の意義の相違も理解できないようではどうしようもありませんということです。
言語は話者の認識の表現で、語は意義を表すもので、この意義と意味の媒介関係を正しく捉え展開しなければなりません。
それが「文法の議論」というもの。
この論文を本当に読んだのか?
というより、論者の誤りを理解する視点を持ちえないことを明らかにしただけということです。
語の意義と意味の相違と関連、媒介関係をまずは理解しないかぎり科学的な文法論を展開することはできません。
B「自然」と「わずか」の話。
B1
>>根拠のない「感想」だけである。
名詞の本質を明らかにした論理的な実証です。
>>その「何がどのように異なるのか」を論じたのが、No.68の、
形容詞、形容動詞、名詞の本質も理解できずに何かを議論できると考えること自体ナンセンスです。この点の解明なしにあれこれ言うのは、根拠のない「感想」だけになるしかありません。
B2
要点を繰り返す。
>>「自然なポーズ」は、「(その)ポーズは自然だ」ということを示しているが、「自然の法則」は、「(その)法則は自然だ」ということを示していない。この「言語事実」は確認できただろうか。
これは、
「不自然なポーズ」とは言えるが、「自然の法則」は実体ををとらえているのであるから、「不自然」ということはできない。
と記しているのを読み落としたのですか?
それとも、言われていることが理解できないのですか。
この事実をどう理解されますか?
結論:
「わずかな/の」は「装定」で、「わずか」の意味(意義)が異なる。
「自然な」「親切な」と「自然の」「親切の」は同様に属性表現と実体表現で意味(意義)が異なる。
B3
さて、「何がどのように異なるのか」を示した。
以上の議論に対して、具体的な反論は示されていない。
そもそも、意義と意味の相違を考えたこともない回答者には議論の流れがわかっていないのだろう。
>>なお、以上の議論の中で、「わずかの」の「わずか」が副詞であるか、名詞であるかは問題としていない。
この、転成体言という名詞の用法が理解できないところが致命的です。
C 山田の論の話。
> <転成体言>とも言わないし、「<体言>に準じる性格のものだということ」も論じていない。
山田は、学者が「何を基として論をなせるか」を理論的に反駁していないので、それを明確にしたものです。
回答者は以前どこかで、連体修飾節が修飾するのが名詞、体言ではない場合があるという珍論を展開されており、連体格という意味が正しく理解できていないようですね。
「三浦の論」が何を論証しているかの理解ができないということです。
さて、誰が「誤読」しているのだろうか。
D 結論
以上述べたとおり、名詞、形容詞とは何か、連体格とは何かという基本的な理解もないままに、「三浦の論」を論じても何も内容のある議論にはなりません。
他の方が指摘している、
庭 三郎『現代日本語文法概説』に見る非論理性―機能主義文法論の迷妄
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9466 …
という迷妄を脱しない限り、科学的/論理的な言語、文法の議論は無理というしかないのが率直な感想です。■
No.77
- 回答日時:
>>「静詞」について書いたまともな文献をご紹介ください。
三浦つとむ
『日本語はどういう言語か』(講談社学術文庫)
『日本語の文法』(勁草書房)
『認識と言語の理論 第三部』(勁草書房)
他で論じているので、しっかり理解してください。
ここでは、『日本語の文法』「第六章 <形容詞>の特徴をめぐる諸問題」の「三 <形容動詞>説は誤りである」の最後の部分を引用しておきましょう。
<形容動詞>説は、「だ」や「です」を<形容詞>の「い」とならべて活用だというのだから、両者をひとまとめにして扱ったら簡単ではないかという発想で、<形容動詞>を<形容詞>の一種に解消させる主張もあらわれた。<形容詞>のほうは<イ形容詞>、<形容動詞>のほうは<ナ形容詞>とよぼうというような提案が出ている。
<形容動詞>解体論のほうでも、解体すれば<形容動詞>の語幹とよばれるものを文法論の体系に位置づけなければならないから、内容から見て<形容詞>との関係を考慮することになる。松下大三郎は<形容性無活用語>とよんだ。
時枝誠記は形式的に見て<体言>の一種として扱い、とはいっても<名詞>ではないという。これは明治に岡沢鉦次郎の<体言>論がぶつかったのと同じディレンマであって、時枝は岡沢のように<準体言>とよばないだけのちがいである。この場合に、活用のあるなしを超えて、この種の活用のない属性表現の語と<形容詞>とを、共通の性質を持つものとして大きくまとめて扱うのが、当を得た扱いかたといえよう。その点で、私は松下の扱いかたに同意できる。
大きくまとめたものを<静詞>とでもよんで、その中にこの二種類の属性表現の語の共通性と差異をそれなりに位置づけたらいいと思う。
岡沢=時枝流に、語形変化でまず<体言>と<用言>に二大別してしまうと、活用のあるなしを超えて内容的に共通の語を一品詞に所属させることができなくなる。その時枝にしても、対象から強制されて<接尾語>では活用のあるなしを超えて大きくまとめ、その中に<体言>的なものと<用言>的なものとを区別しているのである。
私の<静詞>論もこれと同じで、いわゆる<形容動詞>の語幹を名なしのゴンベエにしないために、内容的に位置づけようというわけである。
(『日本語の文法』勁草書房;1975.7.30)■
ふーん。相変わらず三浦つとむしか出てこないのですね。
一般の辞書や文法書は相手にしていないんですね。
そういう異端の文法はヨソで主張してください。興味ありません。
で、夥しい念仏の中で、唯一まともそうなNo.66のコメントには「静詞」なんて出てきませんよね。
なぜなんでしょ。
No.76
- 回答日時:
No72に。
A1「ケーキはおいしい(です)」の話。
「楽しいです」が「丁寧体として」認められているのは事実として問題ない。
これまでは判断を表現しないのが規範となっていましたが、
すでに時枝誠記が零記号としてその認識の存在を指摘しているもので、
これが表現されるようになっただけで合理的、論理的な変化、移行に過ぎません。
「判断を表現しないのが規範となっていました」が無根拠。
「おいしい」だけで「普通体として」判断が示されている。
時枝誠記『国語学原論』の第3章
を覗いてみたが、どうにも議論がうまくいっていない。
「零記号」の導入がご都合主義で、論拠が不十分。これだけ重要な概念を、ほんのわずかな例と説明だけで済ませてしまう。
「陳述」のあるべき場所の議論を機能辞の位置と混同している。
というより、「陳述作用」を機能辞の持つ作用と誤解している、と言うべきか。
時枝の議論は、この時代(昭和十年代)の議論としては優れたものと言えるだろうが、その後の研究の深化から見れば、やはり非常に不十分なものでしかない。
今回驚いたのは、岩波文庫版p.287の
水は流れるです
という例文の存在。
「零記号」の「陳述」に話を合わせるため、こんな例まで挙げるとは。
それとも、時枝にとっては、この文は全く自然な日本語だったのだろうか。
その前の例文、
山は高いです
の「です」が「あれは富士山です」の「です」とは違うものだ、という話は以前にどこかで書いた。
後者は判断を表すが、前者は丁寧さを付け加えるだけで、判断を加えているわけではない。
活用がなく、「だ」とも「である」とも置き換えられない。名詞文・形容動詞文の「です」とは別の語である。
したがって、「山は高い」で、
>>「です」が省略されている、なんてのはでたらめ。
という結論になる。
A2「判断」の話。
叙述もまた、判断の機能に過ぎません。
「叙述:陳述」というのは、ある時期の国語学での特殊な対立概念で、哲学の用語とは何の関係もない。ここでヘーゲルを持ってきても何の役にも立たない。論外。
「陳述論争」を知らないから、何が問題なのかわからないのだろう。
A3「述定」「装定」の話。
>>「述定」「装定」とは、述語用法、連体修飾用法ということ。
「きれい」だけでは何も決まらない。
当然、「きれい」の用法の相違ということです。
こう書いたら、「当然」その後に「用法の相違」についての論がなければならない。
「多い」の装定用法と述定用法について
https://core.ac.uk/download/pdf/230301528.pdf
参照。
という論文を持ってくるなら、その中のどういう議論が「用法の相違」を明らかにしているのかを示さなければならない。
それが「文法の議論」というもの。
議論の仕方を知らない。
ただ、「述定」「装定」という用語が入った論文を探し出して、「参照」と書けば相手をごまかせると思っているのか。
この論文を本当に読んだのか?
どこがどう、「きれい」の「述定」「装定」について明らかにしていると言うのか。
詳しく論じてほしいものだ。
B「自然」と「わずか」の話。
何も異ならないということを明らかにしています。
誰が? どこで?
B1
三浦が書いたのは、
「僅か【な】光が差した。」という場合には<副詞>で属性表現の
語であろうが、「僅か【の】お礼しか出来ない。」という場合には
属性を実体的にとらえた<名詞>ではなかろうかと思われてくる。
それならここでの「の」も<助動詞>ではなく、<格助詞>である。
だけであり、「論拠」は、
属性を実体的にとらえた<名詞>ではなかろうかと思われてくる。
という、根拠のない「感想」だけである。
それ以外に何かあるか?
「異なる」というのであれば、何がどのように異なるのかを明らかにしないと、
そもそも何を議論しているのかがわかっていないということになります。
その「何がどのように異なるのか」を論じたのが、No.68の、
もう少し、言語学らしい、文法らしい議論をしてみよう。
の後の所。この議論がわからないらしい。
B2
要点を繰り返す。
光はわずかだ わずかな光
お礼はわずかだ わずかのお礼
「わずかな光」も「わずかのお礼」も、それらが「わずかだ」ということを示している。
(言い換えれば、装定でも述定と同じ意味関係を保持している。)
それに対して、
a (その)ポーズは自然だ 自然なポーズ
b (その)法則は自然だ 自然の法則
「自然なポーズ」は、「(その)ポーズは自然だ」ということを示しているが、
「自然の法則」は、「(その)法則は自然だ」ということを示していない。
この「言語事実」は確認できただろうか。
「親切」も同じ。
c (その)友人は親切だ 親切な友人
d (その)押し売りは親切だ 親切の押し売り
「(その)押し売りは親切だ」なら、「親切な押し売り」である。
「親切の押し売り」はまったく別の意味になっている。
この「言語事実」は確認できただろうか。
結論:
「わずかな/の」は、「述定」も「装定」も意味は共通している。
「自然な」「親切な」はそうだが、「自然の」「親切の」はそうではない。
B3
さて、「何がどのように異なるのか」を示した。
以上の議論に対して、具体的な反論は示されていない。
そもそも、議論の流れがわかっていないのだろう。
なお、以上の議論の中で、「わずかの」の「わずか」が副詞であるか、名詞であるかは問題としていない。
仮に名詞であると仮定してみても、「わずかのお礼」の「わずか」と「お礼」の関係は、「わずかな光」の「わずか」と「光」の関係と同じである。「わずかだ」ということを示している。
そこが、「自然の」「親切の」とははっきり異なっている。
(だから、「名詞である」という仮定が誤りだと言える。)
C 山田の論の話。
>>山田は例に挙げた語句を「副詞」(+「の」)だ、と言っているのだから。
これが「誤読」だと言う。
山田は『日本文法学概論』「連体格」の章で、<用言>が<体言>の資格を
獲得するいろいろな場合をとりあげ、それを六つに区分しています。
ふむふむ。
<副詞>とされる語が連体格にたつことを論じ
それはその通り。
<用言>が本来の性格を失うことなく<体言>に準じる性格のものだ
ということを論じているということです。
まず、副詞は「用言」ではない。基本の基本。
したがって、上の引用は副詞とは関係ない。
<体言>に準じる性格のものだということを論じている
副詞についてそう述べているところがあるのか?
ないだろう。
前にも書いたとおり、
山田は例に挙げた語句を「副詞」(+「の」)だ、と言っている
だけなのだから。
この山田のダイナミックな体言論の主旨を正しく理解し、
発展させなければなりません。
「体言論」ではない。「連体格」論である。
連体格には、動詞も来るし、形容詞も来る。それらは、当然、動詞であり形容詞である。(そうでない場合には、はっきり「<体言>に準じる性格のものだ」と述べる。副詞については述べていない。)
そして、副詞も来る。
ただ、副詞の場合には「の」がつけられる。そこが議論となる。
山田は、副詞については、
副詞にして連体格に立つをうるものは、属性の副詞を主とし、
その他のものにては慣例あるものは往々この格に立つことあり。
この時は助詞「の」を伴うを常とす。
としか書いていない。
<転成体言>とも言わないし、「<体言>に準じる性格のものだということ」も論じていない。
<副詞>とされる語が連体格にたつことを論じ、
<用言>が本来の性格を失うことなく<体言>に準じる性格のものだ
ということを論じている
というおかしな論(文の前後がつながっていない)は、どこにも根拠はない。
さて、誰が「誤読」しているのだろうか。
D 結論
以上述べたとおり、「三浦の論」は何の根拠もなく、それを支持するNo.72の議論も、何も内容がない。
E「ゆっくりの」と「べたべたの」の話。
これらは、「属性を実体的に捉えた名詞」であることは
三浦の論証により明らかなことです。
三浦の「論証」??
属性を実体的にとらえた<名詞>ではなかろうかと思われてくる。
論証? 「ゆっくり」「べたべた」が名詞?
そう「ではなかろうかと思われてくる」から??
基本的に、文法を論じる資格がない。
saburoo
以上、ざっと書いたものなので、議論が不十分なところが多いと、読み返してみて思う。
大事なのは B2 の議論。反論するなら、まずそこを。
あとは D か。
E は論外。
No.75
- 回答日時:
No.74 の補足です。
<形容動詞>という誤った品詞分類に囚われ、語と品詞の定義ができずに、形式と機能をもとに論じるしかなく、<静詞>という品詞区分を捉えられない議論一例を提示しておきます。
野中 博雄
日本語形容詞,形容動詞との比較による「―な」付加される英語借用語の語彙範疇化について
E8%A9%9E+%E3%81%AE+%E8%BE%9E%E6%80%A7+%E5%8C%96+%E3%81%A8%E8%BE%9E+%E3%81%AE+%E8%A9%9E%E6%80%A7+%E5%8C%96'
>> まずはそれぞれの大きなリスト(と実例集)を作ることが基礎的作業かなあ、と。
などと寝ぼけたことを口走っていても何の進展もなく、混乱、混迷する他ないことが理解いただけるかと思いますが。■
連投はお控えください。迷惑です。
何度書けばわかるのでしょう。本当にじゃまです。
日本語が理解できないのでしょうか。
No.73へのお礼を繰り返します。
===========引用開始
No.66に回答は、No.67のコメントの指摘どおりということにしておきましょうか。こういうちゃんと話をそのまま引用することをおすすめします。余計なことを書くからホニャララになります。
ところで、
〈No.66で指摘した通り、「~の~」の場合は「名詞+の」、「~な~」の場合は「属性表現の語(静詞)+名詞」〉
なんて書いてありますか?
「静詞」ってなんなのでしょう。SF文法の話はヨソでお願いします。
〈また先の回答者が指摘の通り、「自由の女神」の「自由」は名詞ですが、「自由な女神」の場合は「自由」は静詞になります〉
先の回答者って誰ですか? 〈静詞になります〉なんて誰が書いたのでしょう。
===========引用終了
「静詞」について書いたまともな文献をご紹介ください。
それ以外のSF文法の話はヨソでお願いします。
No.74
- 回答日時:
No.73 のお礼に応えて
>>「静詞」ってなんなのでしょう。SF文法の話はヨソでお願いします。
これまで何度も回答していますが、この点を理解できないと今回の質問を正しく理解し、回答することができません。
「自由な女神」の「自由な」を学校文法他では一語とし<形容動詞><ナ形容詞>と呼んでいますが、正しくは「自由」が活用を持たない静的な属性表現の語であり、これと活用を持つ静的な属性表現の語である<形容詞>とを纏めて<静詞>と呼ぶのが正しい品詞区分であるということです。
そうでないと、<名詞>の場合は「自由」だけを指し、「自由の」は「自由」+格助詞「の」と二語に分離し論ずるという恣意的な理解・解釈になり、何を比較しているのか混乱する他ありません。
これでは、「自由な」と「自由の」の正しい比較、理解が出来ずに、他の回答者のように単に用例集を作るだけで、内容の理解ができず、
>> まずはそれぞれの大きなリスト(と実例集)を作ることが基礎的作業かなあ、と。
基礎的作業を永遠に続けるしかなくなります。これが、記述文法という非科学的な欠陥文法論の実情ということです。
そう思いませんか。
当方は、名詞と属性表現の相違を明らかにし、話者による対象の捉え方が異なることを論理的、科学的に解明し質問に回答していま。この相違が理解できませんか?
毎回、単に現象を並べ、実例集以上の議論ができないどこかの奴シロウトの御隠居さんのホニャララなSF文法の話に何の意味があると考えられているのでしょうか?■
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暑い日が続きますね。ご自愛ください。
現在の考えは下記ぐらいです。
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12617604177.html
いったい何を主張したいのだろう。(No.30)
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11788778.html
辞書のひき方はわかったのだろうか。
某所で話をしたところ、フツーの日本語を使う人には意味のある表だとわかりましたのでお気遣いなく。
常識的な人の考えには、大きな違いはないはずです。それを「内輪のもたれ合い、乳繰り合い」と考えるのは異常です。
辞書も間違い、論文も間違い、何もかもみーんな間違い。正しいのは経文と自分だけ……という主張が、客観的にどう見えるのかわからないのでしょうか。
たいへんですね。おいたわしや。
本題に関しては、どこから手をつけてよいのかわかりません。
岩波国語辞典の態度に関しては、以前別の場所で少し教えていただいたことがありましたが、ここまで複雑だとは。
やはりこの問題について考えようとすると、下記の話に戻ってしまい、匙を投げるしか。
【名詞なのか 形容動詞なのか 健全 安全 偉大〈1〉】
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12416633329.html
以下は一部の抜粋(重言)。
形容動詞のなかで、「〜に」になりにくいもの、「〜な」になりにくいものetc.……を考え出すと、これはもう学者の仕事でしょう。
当方は下記のリンクを張って黙ります。
【ことば会議室】
http://kotobakai.seesaa.net/article/8174276.html
===========引用開始
(略)