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戦前の日露不可侵条約は、日独伊軍事同盟が上、つまり同盟が成立した時点で、不可侵条約は破棄と見なされ北方領土は見捨てられたのでは?

A 回答 (2件)

違います。



日独伊の三国同盟が成立した時点で、日ソ不可侵条約が破棄されたわけではありません。
日ソ不可侵条約は昭和20年8月、ソ連が一方的に破棄する形でおわりました。

北方領土が見捨てられたのは、戦後1951年のサンフランシスコ講和条約です。
ここでは千島列島の主権放棄がうたわれています。

その前の1950年、国会の質疑応答で「千島列島にどこまで含まれるか」という問いに
「歯舞、色丹は千島に含んでいない(すなわち国後、択捉は千島列島に含まれる)」と答弁しています。
ですから国後、択捉は日本から捨てた形になっています。

池上彰が説く「北方領土問題」の歴史、超基本
https://toyokeizai.net/articles/-/261166?page=2
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別にどっちが上でもない。


だから同盟国ドイツとソ連の不可侵条約が反故になっても、日本とソ連の不可侵条約はあの時まで生き続けた。

中国に加え三国同盟によってアメリカまで敵に回すのに、さらにソ連を敵に回すのは、愚としか言いようがない。
敵国以外は味方に引き入れるのが、戦略の基本である。

日英同盟が切れたのは、三国同盟の結果でなく、お互いが継続しなかったからである。
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この回答へのお礼

ありがとう

日独伊三国同盟が成立した時点で、北方領土はあきらめたのでは?

お礼日時:2020/08/07 19:30

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