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明智光秀の子孫って、明智光秀の子供が逃げて僧侶になりその子孫が、明8年の平民苗字義務の際に、「明智」という苗字を使い出したという説からなんですか?
明治時代に「明智」という苗字にしたというのが、証拠なんですか?

で、本当どうでもよい些細な疑問なんですが、戦国時代、出家した僧侶って子供作れましたっけ?
本当どうでもよい疑問なんですけど、僧侶の子孫って事は妻がいることが前提で、その妻との間に子を設けないとならないんですが、当時の僧侶って女との性行為は禁止されてたのに、子供を僧侶が代々作るなんてことが出来たのですか?

A 回答 (5件)

肉食妻帯を許されていた宗派もあるし、禁じられていたのは妻帯であって性行為ではない。

グレーゾーンもあったろうし、実際僧侶と女性との恋物語や艶聞は多々ある。それに子があるものが出家したというケースもあるだろう。だから僧侶=子孫があるのはおかしいとはならない。
 で、要は明智(もしくは麒麟が来る)をディスりたいんでしょ? なんでそんなに嫌いなの?どうしてそこまで執着するの? 理由を知りたい。
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詳しくないのでちゃんと調べていただきたいのだけど、当時の僧にはマジメに仏法を求める人と、そのような人をサポートし、また寺社のシステムを維持管理する事務方のような人たちが居たようです。


で、7~8割が後者の事務方の人たちで、僧兵などもこの後者の人たちとのこと。でもってこの人たちは全員が僧というわけではなくて、家族あげて〇〇宗を支えてたりな人たちなので妻も子供も居たようです。
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浄土真宗の場合は、僧侶の妻帯を認めていました。


ですので、子どもや孫達は当然にいました。

とりわけ浄土真宗本願寺派第8世宗主の蓮如は、男子13人・女子14人の計27子をもうけ、教線の拡大につなげたんですよ。
蓮如以前は天台宗の一派としか思われていた浄土真宗を日本最大の教団につくりあげました。

他の宗派は公には妻帯をみとめていなかったのですが、密かに妻をめとっていた僧侶もいたようです。
そのような女性は、梵妻とか大黒とかよばれて、形のうえでは寺の炊事当番というかたちで居住していました。
その間で生まれた子ども達がどうなったのか、秘匿すべきことだったので記録はほとんどないようですね。

明治5年の太政官布告133号「僧侶肉食妻帯畜髪等可為勝手事」が契機となり、僧侶も公的に妻帯できるようになりました。
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浄土真宗以外は妻帯できませんでした。


なのでどこかの子を修行させてあとを継がせました。

浄土真宗以外の僧侶が妻帯できるようになったのは1872年(明治5年)に太政官布告133号が発布されて僧尼令は廃止され、僧侶の肉食妻帯はこの布告をもって自由であるとされました。
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妻帯を認められている浄土真宗は鎌倉時代からあったので、戦国時代にもそういうことはあったんじゃないでしょうか。

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