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「パンとサーカス」とは誰の言葉でしょうか
またどういう意味なのでしょう

ご存知の方お教え願います

A 回答 (5件)

誰の言葉かは存じ上げないのですが、これは、ローマ帝国時代の政治のあり方について言われた言葉です。



史上初の、福祉的政策を実現したローマ帝国は、ヨーロッパ史上類を見ない、膨大な領土を持つ大帝国へと発展していきました。その福祉的政策の状態のことを言います。

ローマの為政者は、国民の願いをかなえる人が選ばれます。国民が楽な暮らしをしていけるような政策を掲げる人でないと、政治家には選ばれないのです。(選挙ならば当たり前のことなのですが)

その結果、生活に必要な食料が支給されたり、休日を与えてもらったりする、当時としては実に快適な生活が、国民に保障されるようになってきました。国は栄えます。

しかし、国民の欲求はとどまるところを知りません。
「もっと豊かな食料を」→これが、「パン」にあたります。
「もっと休日を」

と、人々は、より働かず、より豊かな食料を与えてくれる人を求め、それをかなえてくれる人を為政者として選び続けました。国の財政はあっという間に破綻に向かいます。働かず、収入を増やさせているのですから当然です。

しかし、生活が保障されて休日などが増えると、人々は、次の欲求を持ちます。
「暇で仕方がない。何か面白いことはないか。」→これがサーカスにあたります。

ローマでは、「サーカス」は、確か、戦車での競技のようなものを見世物にしていたと思います。(映画の記憶より)まあつまり、生活をより高いレベルで保障し、退屈な国民に過剰なまでにサービスを提供し続ける、この状態を「パンとサーカス」と呼びます。

ローマが滅んだ理由はさまざまですが、私は、「パンとサーカス」状態が、じわりじわりと長い年月をかけて破綻に追いやった、大きな原因のひとつに間違いないと考えています。

そしてこの状態が、現在の日本と、コピーしたといってよいほど似ていること、わかりますよね。
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この回答へのお礼

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お礼日時:2005/02/03 20:15

高校入試の教科書ですと、「パンと見世物」という表現がされています。

これはユウェナリスというローマの風刺詩人の言葉で、「パンと見世物によって魂を買収された平民・・」について書いています。
 これには共和政時代(皇帝が登場する以前)の二大戦争の影響があります。ポエニ戦争とマケドニア戦争という、地中海の覇権を巡った熾烈な戦いのあと、もともと農業国であったローマの平民(中小自作農民)が、この長年の戦争への従軍で財産である土地を失ってしまいます。さらに戦争で獲得した「属州」から、非常に安い農作物がローマに入ってきたために、平民の農業経営は行き詰ってしまいます。
 そんな中、有力者たちは、平民が手放した土地を買い占めて、戦争で獲得した奴隷を投入して大規模な農業経営を始めます。これを「ラティフンディウム」といいます。離農してしまった農民とその家族の多くは首都ローマに流れ込み、「食事と娯楽」、いわゆる「パンと見世物」を要求するようになります。有力者で野心家たちはこれをいいことに、食事と娯楽(コロシアムで繰り広げられる模擬戦争やグラディエーターによる殺し合いなど)を提供し、名を売ります。さらに没落した平民を傭兵として使い、自分の野望を遂げるために利用したりしました。そのような状況が続き、「自分の国は自分で守る」という原則が崩れ、野心を持った有力者が幅を利かせる時代、「内乱の1世紀」へと突き進んで生きます。
 「パンと見世物」はこのような状況を皮肉って表現されたものです。長くなってすみません。
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ローマ人にとってローマ市民権は一種のステータスであり権益でもあつたものです。

  ローマ市民に対し時の政府は食料(パン)と娯楽(見せ物)を無償で提供しました。
当時としてはとても有り難い恩恵です。  ローマ市民権は国家に対し功労のあった人、例えば退役軍人や高額納税者などに与えられたものです。
パンと見せ物を提供するのは権力者や富裕者の義務のようなものでした。
見せ物としては他の回答者のお答えにある戦車競争(映画ベンハーにでてくる)の他剣闘士の戦い、猛獣との戦いなど血なまぐさいものが多かった。
これをコロッセウムという円形会場で身分別座席で見物したものです。
このような政策を総称した表現が「パンと見せ物」というわけです。
このような政策でローマは広大な版図を獲得、維持できたのです。
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この回答へのお礼

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お礼日時:2005/02/03 20:16

1世紀から2世紀にかけて活躍したローマの風刺詩人ユウェナーリスの言葉です。


ラテン語原文ではPanem et Circensesとなっています。
「パンとサーカス」と訳されることが多いのですが、正確には「パンと見世物」です。Circensesはサーカスではなく、普通戦車競技のことです。ユウェナーリスは大衆がいまや望むこと、それは「パンと見世物」だけだと嘆いているのです。以後この言葉は為政者の政治方針を示す言葉としてよく使われるようになりました。大衆を手なずけるのにはまず「パンと見世物」だったのです。

参考URL:http://en.wikipedia.org/wiki/Juvenal
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この回答へのお礼

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お礼日時:2005/02/03 20:16

「パンとサーカス」で検索をかけるだけで、いろいろなサイトにつながるようですので、お試しください。



http://www2.airnet.ne.jp/shibucho/cgi-bin/forum/ …
↑このサイトでは、紀元前58年にパンの無料配給が始まったとあり、

http://www.uraken.net/rekishi/reki-eu17.html
↑このサイトでは、紀元532年にそのような政策を取りやめたとあります。

おそらく、ギボン「ローマ帝国衰亡史」(E.Gibbon,The history of the decline and fall of the Roman Empire.)あたりが出典ではないかと思いますが、未確認です。
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この回答へのお礼

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お礼日時:2005/02/03 20:15

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