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ユダヤ人と日本とどのような関係がありますか。周りに日中戦争を経ての歴史的な建物があるので、由緒から理解したいと思います。よろしくお願いいたします。

A 回答 (5件)

無関係!キリスト教徒との関係は深い、ユダヤ人の歴史を学ぶ。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2020/09/17 15:22

「周りに日中戦争を経ての歴史的な建物がある」と言う点を踏まえれば、戦中の日本のユダヤ人政策ということになるでしょう。



それ以前の日本とユダヤ人の関係はほとんどなく、せいぜい日露戦争直前に「新興国で弱小国でアジアの小国に過ぎなかった日本の戦時国債を買ってくれた人」という関係性ぐらいしかありません。

さて、第2次世界大戦前にドイツがナチス党の独裁政治に入ると、ユダヤ人排斥が始まりました。実は排斥されたのはユダヤ人だけでなく、ロマ人(ジプシー)や東欧人なども排斥され、それが年々過激なものになっていったのです。

当時日本は三国同盟でドイツ・イタリアと同盟を結んでいましたが、どうもドイツとは仲があまり良くなかったようで、特に満州国や朝鮮などを持っていた日本政府は特に満州で「五族協和」を目指していて、民族排斥には非常に敏感であったのです。

その為ユダヤ人がドイツからの脱出を試みると、いくつかのルートを日本政府が開き、ユダヤ人を脱出させることに成功します。

そのひとつが有名な杉原千畝のリトアニアルートで、当時の海外渡航には「現地のビザを持っていれば、原則的に通過する国の通過許可も得られる」というモノがありました。つまりリトアニアの日本大使館で「日本へ入国するビザ」を持っていれば、日本までのルートがすべて開かれる、と言うモノだったわけです。

で、リトアニアで日本入国ビザを得たユダヤ人はシベリア鉄道に乗り、日本を目指すことになります。彼らのほとんどはウラジオストクに到着後船で日本の敦賀に行き、そこからアメリカなどに移住していきました。

このほかにも当時の満州はシベリア鉄道ルートに含まれていましたので、杉原千畝以外の諸外国が発行したビザでアジア方面に逃れた人々もたくさんいました。しかし彼らは日本のビザを持っていない人がたくさんいたので、満州から上海租界を目指したのです。

そして日本政府は日中戦争の中、満州から上海までのルートも確保し、上海でも受け入れ態勢を整えました。いま残っている遺構はその時のものいわゆる「上海ゲットー」と呼ばれるものだと思います。(当時は辛亥革命で清国が滅亡し、中国に主権国家がなかったので、日本が率先して確保するしかなかった、と言う事情が大きいです)

また上海租界は日中戦争以降、日本軍の管理下に置かれており、同盟国だったドイツから再三「ユダヤ人を締め出すように」という圧力があったようです。
 同盟国であるため、日本もある程度までは従ってゲットーの管理を強化したようですが、それでも「ここを閉鎖するとユダヤ人の逃げ場が無くなる」と判断し、閉鎖することはしませんでした。

なので日本の敗戦までの間、入れ替わりは激しいものの、常時2万人ぐらいのユダヤ人達がここに集まっていたとされてます。
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この回答へのお礼

今回もご親切に教えていただき誠にありがとうございます。だいぶわかるようになりました。心から感謝いたします。

お礼日時:2020/09/17 15:22

旧約聖書にある失われた十支族の一部が日本に来たという話がありますが、これは古史古伝に基づく日猶同祖論で、歴史的根拠はありません。

古史古伝のほとんどが江戸後期から昭和にかけて書かれた偽史と鑑定されています。
キリストの墓も竹内文献に記載したの和山根キクや酒井勝軍がでっち上げたものです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9 …

なお、失われた十支族に関しては世界中に伝説がありますが、その多くが古史古伝レベルです。偽史運動というのは世界中にあるんですね。

なお、日露戦争では、高橋是清の依頼を受けたジェイコブ・シフによって、ユダヤ資本が日本の戦時公債を購入したり資金援助することで、日本軍を支えました。日本とユダヤの一番大きなかかわりはこれでしょう。ユダヤ人を最初に弾圧したのは帝政ロシアですからね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2020/09/17 15:15

杉原千畝っていう人が第二次世界大戦中、ナチスドイツから迫害されていたユダヤ人にビザを発給して助けたそうです。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2020/09/17 15:13

青森県の戸来(ヘブライ)村。

日本に定住したユダヤ人。
世界史的には、ユダヤ民族の一部が何度か、1世紀に大部分が、世界中に散らばりました。
その一部が日本まで来てる可能性は否定できない。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2020/09/17 15:13

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