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1 「そういう文脈では、権利の主体が個人とされる場合と、権利主体が人間という言葉で表現される場合とでは、有意的な違いが出てくることになる可能性がある。」

2 そういう文脈では、権利の主体が個人とされる場合と、権利主体が人間という言葉で表現される場合とでは、有意的な違いが出てくることが可能になる。

この2つの文は、同じく理解できますか。

教えていただければ助かります。

質問者からの補足コメント

  • ご回答ありがとうございます。
    追加質問ですが、
    2のような表現があり得ない理由は何ですか。
    教えていただければ幸いです。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/10/07 17:24

A 回答 (4件)

出てくる→自発の意味になります


出てくること→自発を名詞化。
出てくることが可能→自発が可能になる、自発は可能以前の内容です、可能でなければ自発はり得ません。
2、の表現はあり得ない表現です。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

勉強になりました。
ありがとうございます。

お礼日時:2020/10/07 21:42

前者は可能性がある=そう解釈できるかもしれないし、できないかもしれない。



後者は可能である=そう解釈できる。

そういう文脈では=そういう言い方では

権利主体が個人=特定の誰かの権利


権利主体が人間=誰にも権利がある

有意的な違いが=違いに客観的理由がある


とまあこんな感じかな
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2020/10/07 21:42

1 有意的な違いが出てくることに「なりやすい」


2 有意的な違いが出てくることに「なることができる」
  (2.は違いを出したいときの言い方。出すことが可能だ)
1が本来の文で、2は質問者が変えた文でしよう。1が普通で、2は多分言わない。
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この回答へのお礼

勉強になりました。
ありがとうございます。

お礼日時:2020/10/07 21:40

2択であれば 1 が正しい文。



「有意的な違いが出てくることになる可能性がある」は、「有意的な違いが出てくる、ということが実現する見込みがある」という意味なので文としての整合性は取れている。

「有意的な違いが出てくることが可能」は「有意的な違いが出てくることができる」という意味になるため不自然。

いずれにせよ、1の場合も、日本語としては不自然な文です。

「そういう文脈では、権利の主体が個人とされる場合と、権利主体が人間という言葉で表現される場合とでは、有意的な違いが生じる可能性がある。」

「そういう文脈では、権利の主体が個人とされる場合と、権利主体が人間という言葉で表現される場合とでは、有意的な違いが出てくる可能性を排除できない。」

などとするのが自然な日本語。
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