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終戦までの軍国主義の日本に於いて士官学校と旧制高校どちらの方が難関且つエリートだったのかという議論は必ずと言って良いほど意見が分かれますが、実際何が真実なのでしょうか?
ミリオタや大日本帝国を崇拝してる人は士官学校を持ち上げ、軍部を嫌う人や平和主義者の人は旧制高校→帝国大学を持ち上げてます。
主観や願望抜きで本当はどちらが日本最高のエリートコースだったのでしょうか?

A 回答 (6件)

<主観や願望抜きで本当はどちらが日本最高のエリートコースだった


のでしょうか?>

想い出話です。
高校に入学して直ぐに、功成り名遂げた大先輩の講演がありました。
その大先輩は講堂に集められた生徒に次のように話し出しました。
「ご紹介を受けて皆の前に立っていると気恥ずかしい思いがする。
振り返れば同窓生の中には頭も良く体も良い者が大勢居た。彼らは
軍関係に進み、敗戦と共に社会の表舞台から姿を消した。ひ弱で
勉強位しかできなかた私のような者が、今皆の前で講演の栄を受けて
いる。・・・」 その後の話の内容は覚えていません。
半世紀以上前の話です。

戦前は「末は博士か大臣か」と言われたような官・民のコースと
天皇の軍隊の頂点を極めるコースの二つが並行して有ったのです。

そして、コースの選択には経済的な事情、生まれ育った環境(地域や
人脈)、および当人の心身的な状態が影響したと思われます。

軍のエリートコースに進んだ人の多数は官民のエリートコースに進む
知的能力はあったでしょう。しかし、その逆は極めて稀だったのでは
ないでしょうか。

これを出発点として、戦前の歴史を見ると、天皇に直属し、軍という
暴力組織を統率する気力と体力を有し、決断力を誇る軍エリートが、
軟弱な官民エリートを見下していたのは明らかです。その軍が暴走を
始めた時に、ひ弱で優柔不断な官民エリートは無力でした。

戦争で軍が社会の表舞台から去り、官民エリートだけが残りました。
彼らがひ弱で優柔不断で決断力が無くとも、海外に手本が有る物を
追っている限りでは、問題は起こりませんでした。

しかし、今回の疫病のような例の無い事態に陥ると、その場しのぎの
アリバイ対策に終始し右往左往するだけです。昔の軍のように彼らに
命令する者はもう居ない訳ですから。

歴史から学ぶべきものは、どちらがエリートだったのかではなく、
それらのコース出身者がどう相互に作用し、社会に何を及ぼしたか、
今の社会との関連はどうなのかを考える事と思います。
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士官学校は「成績優秀だけど貧乏な人の行くところ」という評価でしょう。


その下のクラスだと師範学校、国有鉄道→鉄道学校大学課程あたり。

学費がいらず給料が出る事が現代の防衛大学校より重要だった。
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寒村の農家の次男坊から貴族の子弟まで全員が挑戦できたのが士官学校。



それなりに高額な授業料を支払える家庭の子弟だけの競争が旧制高校。
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旧制高校が、今の4年制大学。


士官学校が、今の防衛大学。
体力が必須の士官学校のほうが、難関だったかもしれませんが、
軍隊以外では、当然、旧制高校が上。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
軍部持ち上げが如何に異常かがわかりました。

お礼日時:2021/01/09 17:06

やっぱり国家の官僚、博士とかになるんだから、旧制高校帝大ですよ。

最初は大学生だけは招集されませんでしたから、理由は将来のお国のため必要な人材だからです。軍人なってのは所詮消耗品みたいなもんですから。
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この回答へのお礼

まあ、普通に考えればそうですよね。士官学校異常な程持ち上げられてる気がしますね。

お礼日時:2021/01/09 16:30

> 主観や願望抜きで


優劣の判定基準は世相により変わるので、
これ抜きでは議論ができません。
その当時は士官学校が、今の時代では旧制高校が、
と言う事です。

香港でも、以前は自由思想が尊重されましたが、
今では、中国共産主義思想を重要視しないと生活さえができません。
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この回答へのお礼

確かに考えてみれば偏差値なるものが当時無かったので、意見が分かれるのは当然でした…
本当の真実を知ってるのは当時のそのレベルの受験者層だけかもしれません。

お礼日時:2021/01/09 16:17

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