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人間は生まれながらにして罪を負っている、と言われています。生まれ落ちて間もない赤ちゃんにして、既に罪を持つ、ということも聞いたことがあります。罪とは煩悩のことでしょうか。でも赤ん坊に罪があるとは思えないのです。哲学素人です。このカテゴリでよかったでしょうか。よろしくお願いいたします。
 ご回答へのお礼、遅れがちになりましてもご容赦ください。

A 回答 (46件中21~30件)

自分だけの罪と思うならそれは言いにくいということはありえるだろう.



しかし人類が普遍的に持つ原罪があるならば

それが解るならば

それを言うことは

人類全体の為になるだろう.


原罪それは一体なんですか?
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救済の為の人間が与える原罪なんてのは

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許すことを憶えるために人間がわざと与える罪



なんてのは無しでね.
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生まれながらにしてある



と思っている”原罪”とはいったいなんですか?

個人的でなく一般的に持つ”原罪”とは.

貴方には有ると解るのですね?

それは何なのですか?
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こんにちは、興味深い質問なので私なりの解釈でお答えします。



私は、学問としてキリスト教を学んだことがある者として、キリスト教的観念からの「原罪」はあると思っています。
確かに、「生まれたばかりの赤ん坊なのに」と思うかもしれません。ただ、ここで考えて頂きたいのは、キリスト教では「罪」は悪いことなのですが同時に救済への足がかりだいうことです。「どんな罪人でも神の国は彼らのものである」ってキリスト教では言うので。
つまり、「赤ん坊にも罪はある」というのは「生まれたばかりの赤ん坊にも、神のご加護はありますよ」「どんな人でも神の愛を受けているのです」という教義を示しているのではないかと私は解釈しているんです(こう書くのはちょっと気が引けますが)。だから日本人の考える「ケガレ」とか、法律的な「ツミ」とか、道徳的な「アクギョウ」いう概念とは異なるんではないかと思いますね。

引用文が普通と違うかもしれません。クリスチャンの方怒らないで下さい。英文でしか読まなかったので(>.<)。でも、脇で傍観者として宗教家を眺めてきましたから一般人の理解の仕方としては近いかと……。
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この回答へのお礼

回答有り難うございます。
【キリスト教では「罪」は悪いことなのですが同時に救済への足がかりだいうことです。「どんな罪人でも神の国は彼らのものである」ってキリスト教では言うので。】
上の言葉は魅力的な内容ですね。親鸞の悪人正機説でしたでしょうか、重なりますね。
【つまり、「赤ん坊にも罪はある」というのは「生まれたばかりの赤ん坊にも、神のご加護はありますよ」「どんな人でも神の愛を受けているのです」という教義を示しているのではないかと私は解釈しているんです】
なるほど、このような解釈もあったのですね。有り難うございます。参考になりました。

この質問をそろそろ「締め切り」に、とも思いましたが、もう少し継続させてください。gooの管理の方、すみません。

お礼日時:2005/02/20 00:47

大きな課題に対して問題意識を持っておられること、まず、尊敬します。


私自身が身近な例としてわかりやすい説明の一つに、サッカーなどのオフサイドがあります。何も「反則行為…相手を突き飛ばしたり…」をしていなくても、そのいる場所そのものが「違反」ということです。ですから、当然、そこで行うことはどんな行為でも…それがどんなにファインプレーでも、どんなに見事なキックでも…すべて「反則」となります。
「生まれながらにしての罪」も、決して「何か悪いことをした」ということで生じるものではありません。居る場所…他者との位置関係…が問題なのです。キリスト教では、その他者…絶対他者である神との関係が「オフサイド」ということではないでしょうか。
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この回答へのお礼

有り難うございました。「比喩」って面白いですね。なるほど、「オフサイド」ですか。参考になりました。

お礼日時:2005/02/20 00:32

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時空の連続的な

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親の在り方を含む環境

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血ではなく後天的な.



環境と教育のあり方による.
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