電子書籍の厳選無料作品が豊富!

人間は生まれながらにして罪を負っている、と言われています。生まれ落ちて間もない赤ちゃんにして、既に罪を持つ、ということも聞いたことがあります。罪とは煩悩のことでしょうか。でも赤ん坊に罪があるとは思えないのです。哲学素人です。このカテゴリでよかったでしょうか。よろしくお願いいたします。
 ご回答へのお礼、遅れがちになりましてもご容赦ください。

A 回答 (46件中31~40件)

魂の穢れを嫌う

    • good
    • 0

罪とは一体何ですか?

    • good
    • 0

神のみぞ 知る

    • good
    • 0

自分がただ”悪かったと認識した”と思えば



どんな罪でも

消え去るものなのでしょうか?
    • good
    • 0

No.3です。


前回スカすぎたようなので書き直します。


一つの事例でも人によってその解釈は違いますよね。
例えばユダヤ教の律法をイエスは正しくないとしたので処刑されちゃいました。
これは正しいか正しくないかがイエスの処刑の原因じゃなかったですよね。
ユダヤの律法を守ることを天職としていた人々の保身と恐怖が原因だったとわたしは解釈しています。

人間は恐怖をコントロールされるととても弱いです。
予想もしないところでブチって釘がささると、「あらら」って思いますが、「刺すぞ刺すぞ」と脅されるとそれは実際の痛みの1000倍くらいの恐怖を感じるのではないかと思います。

イエスは原罪とかなんかに固執してはいなかったと思う。
彼が言いたかったのは、どんな人も自分がやったことが悪かったと認識したことで罪は消えると考えたのではないかと思います。


イエスの死後、キリスト教は迫害されました。
なんたって統治者を一番に民衆は思ってくれないので扱いにくいったらありゃしない。

イエスは死後の世界を解きました。
現実の世界が駄目でも、死後天国という世界がある。
これはとても狭い門でほとんどの人は通れない。
釘を刺すぞ刺すぞと言われる方がとっても怖いので、天国に行けないってすっごいことになっちゃうと人々は恐怖に囚われてしまったのではないかと思います。
死後まで苦しんじゃあしょうがない。
それで今の統治者に背を向けてもイエスの言う天国を信じきった。
ライオンに食われた方が天国に行けないより全然マシって思えた。

それで統治者はそれならって考え、彼らが手放さないものを認めることにした。
あら? 言うこと聞くようになった。やっぱり~。
これで統治ができるようになった。

キリスト教を擁護したので、人気者になった。
キリスト教は支配者の庇護の元だんだん大きくなって勢力を伸ばしていった。

信者が多いほど寄付金集まるし、皇帝よりも一応上になったので、どういうルールを作ろうと誰も文句言わない。

もっと信者を集めるにはどうしたらいいか?
恐怖をコントロールするんだ。
ところが宗教はいりませんって言われた。
「ちっちっちっち あなたは知らないかもしれないが、全員生まれながらに罪があって、このままだとほらほら ほらほら 地獄に落ちますよ~ いいんですか~」
釘の心理と一緒。 恐怖1000倍。

一気に信者増えた。寄付金増えた。
集まった財宝で教会の建物を飾っていよいよ輝くばかりの栄華を極めた教会。

カソリックでは神父は予言者的な位置づけで、直接神と対話でき、神の意思を市民に伝える役職と定義されていた。
日本だって天皇が神だって定義しちゃったもんね。
お国のため天皇万歳って死んでいったもんね。

その神の言葉を直接伝える人の考えをおかしいなんて思うと地獄行きになっちゃうんだぞって、恐ろしくてとてもじゃないけど疑えなかった。


誰が人間には原罪があるからこのままだと地獄に行くって言い出したのか誰か調べて欲しいです。

人を恐怖でマインドコントロールして得した人って一体誰なんでしょうね。
それはやっぱり権威とか金からみなんでしょうかね。
誰か調べて欲しいです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

有り難うございます。参考になりました。

お礼日時:2005/02/20 00:25

血統書付きの



悪の枢軸
    • good
    • 0

参考程度に


[人間は生まれながらにして罪を負っている、と言われています。] というのは、まったくの「うそ」でしょうね。何を信じるのも自由ですけど、罪を背負って生まれたいという人間などどこにもいないでしょう。だから「うそ」の話ですね。ということで、「赤ん坊に罪があるとは思えないのです。」は至極まっとうな考え方です。人間は、成長するにつれ、社会の中で社会的な「罪」と「罰」を経験することになりますが、それだけですね。生まれてくる子供は、みんな天真爛漫な汚れなどないものです。よく詐欺師が使う手が「罪の子」理論ですね。詐欺師の理論がまかり通ってはいけないんですね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

お礼遅れて、申し訳ございません。
赤子にして罪を負っている、という考えには、「信じ(信仰)」が背景となっている。そんなことはない、という立場からすれば、そのような考え方は詐欺とも言えるというのですね。なるほど、参考になりました。有り難うございました。

お礼日時:2005/02/16 16:37

律法が多いのもその為だろう.



もしかしたら監獄での生活習慣だったりして
    • good
    • 0
この回答へのお礼

有り難うございます。参考になりました。

お礼日時:2005/02/15 17:01

罪の意識の宗教観は



罪を犯した者が,その後に興した宗教の故と考えられなくもない.

何か社会的な深い罪の改心後に

啓かれた宗教.

回心ではなく改心の宗教と言った所かな.
    • good
    • 0
この回答へのお礼

そうだと思います。深い、深い、罪を犯したものが啓いたのだと直感します。

お礼日時:2005/02/15 16:56

>人間は生まれながらにして罪を負っている、と言われています。



これはキリスト教では原罪といわれています。この原罪というのは罪を犯す性質といってもいいかもしれません。確かに生まれたての赤ちゃんは罪は犯さないかもしれませんが、罪を犯す性質を持ち合わせていると言うことです。ですから、子どもにウソのつき方を教えなくても自然にウソをつくようになります。もし罪を犯すことが後天的なものであるなら教育や道徳によって罪を全く犯すことのない人間に育て上げることが可能だと思いますが、それは不可能です。なぜなら人間が生まれたときから罪を犯す性質を持ち合わせているからなのです。

ここでいう罪というのは、人を殺すとかお金を盗むなどの警察に捕まってしまうような罪だけをいうのではなく、心の中で「あいつなんていなければいい」とか、「あいつなんて死んでしまえばいい」などど思うこともその罪に含まれます。うそをつくことも罪です。つまり、人間として生まれたならばすべての人間が罪人であると宣告されているのです。

では、どうして人間は生まれながらに原罪をもって生まれてくるようになってしまったのでしょうか。

神様は最初にアダムという男性を創造し、次にエバという女性を造りました。その時は人間に罪は全くありませんでした。

神様は、最初アダムとエバをエデンの園という庭に住まわせていました。どんなことをしてもよかったのですが、たった一つだけ「この園の中央にある善悪を知る木の実だけは食べてはならない」という命令をだしました。それは、人間をロボットに造らなかったという証拠でもありました。つまり、人間に自由意志を与え、人間との間に愛を存在させたかったのです。

しかし、悪魔に化けたへびに誘惑されたアダムとエバはその命令を破り、その木の実を取って食べてしまいました。そのために人間は罪人となりエデンの園を追放され、人間は必ず死ななければならなくなってしまいました。

これがキリスト教でいう人間が原罪をもって生まれてくる理由です。

さてキリスト教でいう神について説明します。

日本には八百万(やおよろず)の神といってたくさんの神々があるといわれていますが、日本人が神ということばを使ったときには、あまりにも神という概念がばらばらです。

もし、神が本当に存在するならそれは人間が造った神ではなく、もともと存在し(だれかが造ったものならそれは神ではありません。)天地万物を創造し、無から有を作り出せるからこそ神なのです。神は唯一(ただひとり)であり何でも出来る方ですからたくさん存在する必要はなく、すべてのことを知っておられ、どこにでも存在され、正しいお方で、完全な聖さをもっておられ、義なるお方で永遠から永遠に存在される愛なるお方です。

しかし神様は、きよい正しいお方であり義なるお方ですから、その人間の罪を罪として罰しなければならないのです。

その結果、すべての人間は地獄に投げ入れられてしまうはずでした。

しかし、人間を愛している神はその地獄に投げ入れてしまう人間を救う道を開いたのです。

その方法は人間に「いい人間になりなさい」「修行をして罪のない人間になりなさい」
「いいことをたくさんしなさい」という命令を出すことではありませんでした。そんな命令を出したところで人間は修行やいい行いをたくさんすることによっては罪のない人間になることは不可能だということを知っていたからです。

そこで、神は自分のひとり子であるイエスキリストをこの地上に誕生させ、全人類のすべての人間の罪の刑罰を負わせて十字架にかけて死なせ3日後に復活させることにより人間のすべての罪を完全に赦し天国へ連れて行く道を開いたのです。

イエスキリストは何の罪も犯さず一回もウソを言ったこともありませんでした。

十字架にかかって殺されようとしたときにイエスキリストは自分が無実であることを叫びませんでした。

ほふり場に引かれていく子羊のように何も言わず、自分がかかる十字架をかついで処刑されるべき場所へと歩いていき、十字架の上で「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのかわからないのです。」と祈りました。

私たち人間は無実で十字架にかけられているときに、自分を殺そうとしている人に対してこのように言うことはできません。

しかしイエスキリストはそのように言って十字架の上で息を引き取りました。しかし3日目に復活しました。

それは、イエスキリストが神のひとり子であったという証拠です。3日後に復活したのも彼が神のひとり子であったからできたことなのです。

イエスキリストは私たちを命をかけて愛し私たち人間の罪の刑罰を身に受けて十字架にかかって死に天国への道を開いてくださったのです。

そのことを自分のこととして信じる者はすべての罪を赦され天国へ行けます。しかし信じないものはその罪が裁かれ地獄へ行かなければなりません。クリスチャンはイエスキリストの道徳的な教えを信じているのではなく、十字架と復活を信じているのです。

イエスキリストの十字架と復活がなければキリスト教は存在しませんでした。

このことはすべて聖書に書かれています。

聖書は毎年毎年世界中の多くの国の人々に読まれ何年たっても世界のベストセラーです。しかしクリスチャンと同様、聖書ほど迫害を受けてきた書物はありません。ローマ時代の初期には王がクリスチャンを迫害して殺してしまうと同時に聖書も全部焼き払えという命令が出され聖書は全部焼かれてしまいました。

しかしどんなに人間がクリスチャンを迫害し殺しても聖書を焼き払ってもクリスチャンはこの世界からいなくなることはなかったし、聖書もこの世界からなくなることは決してなかったどころか世界中のほとんどの言語に翻訳され読まれ本当の救いと喜びと希望を与え続けているのです。

どうか、聖書を読んでみてください。

参考URL:http://bible-room.org/seisho%2Dnyumon/question-a …
    • good
    • 0
この回答へのお礼

お礼遅れて、申し訳ございません。
なるほど、エデンの園を追われた我々は、神に離反したのであり、そのことによっ原罪を負い、赤子にしてあまねく罪の性質を有している、というのですね。参考になりました。

お礼日時:2005/02/15 16:45

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す