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題名の通りなんですが、アジアやアフリカなどほぼ全ヶ国が列強の植民地にされていましたが、なぜ日本は、植民地にならなかったのですか?

A 回答 (13件中1~10件)

ソ連もイギリスもこてんぱんにやっつけてしまったから。

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この回答へのお礼

確かに相当な力を持ってますよね!

お礼日時:2021/02/21 16:01

ヨーロッパから遠い。


お互いにけん制しあって、強く出れなかった。

運がよかった。4か国連合艦隊が、下関で長州と戦った時の交渉でも、島1つ欲しいって要求があったけど、高杉晋作が突っぱねてる。
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この回答へのお礼

高杉晋作ってすごいですね。あまり授業では出ていないが、こういうところで役に立ったのか!!

お礼日時:2021/02/21 16:01

黒船が来た時、浦賀の代官達は武器を持って海岸に集結して、


更に小舟で黒船に乗り込んだ、絵をよく見ますよね。
アジア、アフリカ、アメリカの住民は大砲を撃たれると、蜘蛛の子が
逃げる如くに奥地に逃げ込みました。
逃げなかったサムライさん達の頑張りが有ったからだと思いますよ。
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この回答へのお礼

日本のサムライ。凄いです!!

お礼日時:2021/02/21 16:02

日本国中で組織だった強力な軍隊が、スペイン・オランダ艦隊以上の艦隊と兵士の数で迎え入れて、威嚇に成功したから。



また、1500年代でも、政権者はアジア諸地方に情報官を送り込んで、正確な情報を得ていたので、十分な準備もできていたのも大きな要素。

江戸時代の鎖国時でも、世界中に情報官を駐在させていたのを知る人は少ないですが。適切な情報が持っていたので鎖国400年も可能になったことを。
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この回答へのお礼

日本の知識量はすごいですね!!

お礼日時:2021/02/21 16:03

あと、島国で、特別広大な敷地でもなく、大半が山で、平地が少なく、資源もほとんど無く、おまけに四季があるので寒さと暑さの両方に対処する必要があるし、要するに、手間がかかりそうな割には使いでがなさそうだから、も、理由だと思います。

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この回答へのお礼

おおー!
確かに地形もありえますね~~!

お礼日時:2021/02/21 16:03

西洋諸国は鉄砲持ってない国しか


攻めてなかったのでは。
中国には手こずってたみたいだし。
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この回答へのお礼

鉄砲ってやっぱ強いですね!!

お礼日時:2021/02/21 16:04

植民地がつくられる大航海時代は確かな世界地図がなく、西洋から見た日本(ジパング)は東の果てにある僻地と見られ、謎めいた空白地帯だったんですよ。



辛うじてマルコ・ポーロが東方見聞録で東の果てに黄金の国があると伝え、西洋の各国は先陣を切ってジパング探しの大航海の旅に出るわけ。
一方でジパングは外国人を捕らえて人質にし、金銭と交換できなければ人質を殺して料理にし、親類知人を招いて宴会を楽しんだとも東方見聞録で伝えていて、困惑と魅力が混ぜこぜになった謎の地だったんです。

アフリカなら西洋から地中海を経れば行けますし、南アメリカなら大西洋を渡れば行けます。インドも喜望峰を通ればやがて着きますので、彼らのいい加減な世界地図でも辿り着けたわけ。

ですがジパングは当時の地図にはなく、コロンブスはジパングを目指して大航海に出ても辿り着いたのはキュ-バ近くの西インド諸島でした。それでも西洋の冒険家たちは船出をやめず、アメリカ大陸を横切って太平洋を渡るようになりました。

やがて日本にスペイン人が来るようになりますが、その頃には日本からもメキシコなどに交易船を出していました。当時は徳川家康が強い権力を持っていて、その言動は海外にも影響を与えていたので、日本は彼らの植民地とはならず、交易相手国になったわけ。
大航海時代に生まれ育った家康は外国船を見渡せる駿府城を築いています。
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この回答へのお礼

日本の位置も奇跡をうんだ訳か~~!

お礼日時:2021/02/21 16:05

一般的に植民地が広がったのは大航海時代、そして18世紀の列強の帝国主義の世界進出でした。



大航海時代に植民地にならなかった理由
・距離的にヨーロッパから遠く離れていた
・日本が軍事大国であった(ヨーロッパ全土よりも鉄砲の数が多かった)
・キリスト教が禁圧され、結果的に宗教を通じた侵略がなかった

帝国主義の時代に植民地にならなかった理由
・アヘン戦争で西洋の強さと危険性がわかっていた
 (高杉晋作が租借地の要求を拒否したのもこの理由)
・慶喜が武装放棄し、幕末で日本を二分する戦いにならなかった
 (天皇をいただく日本の概念が勤王・佐幕双方にあった)
・強力だった薩摩(薩英戦争では英国艦隊にもおおきな被害)
・英国の思惑(占領よりも友好国として処する方が対ロシアで有効)
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この回答へのお礼

いろんな回答を見て、改めて日本が凄いということが分かりました。
国家・鉄砲・位置・薩摩・禁教・高杉晋作・日本刀・情報量など様々なことが意味しているんですね!!satoumasaruさん!そして他の12人の方!
        本当に勉強になりました!!

お礼日時:2021/02/21 16:13

こんばんは!



>アジアやアフリカなどほぼ全ヶ国が列強の植民地にされていましたが、なぜ日本は、植民地にならなかったのですか?

そうですね…、16世紀に日本に鉄砲が伝来したのと同時に、キリスト教の宣教師も多数やってきて、布教活動をしながら日本人の民度や国力を調べて本国に報告もしていました。

しかも、鉄砲が伝来してからは、直ぐにそのコピーを造ってしまい、ポルトガルは商売にならなかったそうです。しかも性能もポルトガル製よりも良く、織田信長が戦で鉄砲を使用してから、瞬くまに鉄砲は日本全国の大名に伝わり、当時鉄砲の保有数は世界でも、日本が1番になっていました。

しかも、全国に武士がいて武装をしていたので、宣教師は日本を攻めるのは無理という報告をしていました。その上、布教もあまり進まず心が折れた宣教師も数多くいたそうです!

そして、文久3年旧暦7月2日–4日(1863年8月15日–17日)に薩摩藩と英国との間で薩英戦争がおきます。たぶん、学校の授業では、薩摩藩が負けて終わりと簡単な説明で終わっていると思いますが、薩摩藩もかなりの善戦をしていました。英国もかなり打撃を受け、戦艦も大破・中破と大きな損害を被りました。それで英国も薩摩藩と手を結ぶなど、その後トーマス・グラバーらが乗り込んできて、坂本龍馬をバックアップして倒幕運動を裏から支えて日本を内戦へと導き、江戸幕府を倒し明治維新がなされました。

日本は、他のアジア・アフリカとは違い、武士が日本全国にいて、藩が地方での都市国家みたいな勢力であり、ヨーロッパの都市国家と騎士団に似た感じでした。

また、江戸時代の識字率も40%と高く、庶民が「かわら版」等を読んで情報を共有している事は、ヨーロッパでは考えられないレベルでした。寺子屋での読み書きが画期的でした。

当時の日本は、簡単に攻めて攻略できるような国ではなかったという事です!(^-^)
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この回答へのお礼

鉄砲凄いですね!
それに、確かに薩英戦争はそこまで習ってないのですが、
へぇ~~その裏にはたくさんの出来事が起こっていたのですね!

お礼日時:2021/02/21 16:06

色々な理由があります。



1,列強の狙いは中国であり、資源の乏しい 
 日本などどうでも良かった。

2,当時の日本は武士が支配しており
 それなりの武力があった。
 

幕末、来日した英国人の手記が残っています。

その手記には、日本には、ローニン、という
両手刀をもったテロリストが百万人もいる。

こんな国を植民地にしたら、テロ対策に
明け暮れるだけになってしまう。

とてもじゃないが、採算が採れない。

当時の外国人の手記には、日本刀が恐ろしい
という表現が再三出てきます。

あの恐ろしい両手刀を・・・。

英国人が幕府の通事と江戸を散策した
ところ、怪我だらけの犬に沢山であった。

「日本の犬は、どうして怪我をするのだ」
「あれは、浪人どもが
 異人斬りの稽古をしているんですよ」

震えあがった、といいます。
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この回答へのお礼

日本刀凄いですね!
それに異人切りの稽古は初めて聞きました。
確かに外国から見ると怖いですね!!

お礼日時:2021/02/21 16:07

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