アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

古代、大和朝廷による統一性の高い国家ができました。
質問は、この成立過程についてです。
1. 戦国乱世風の大規模な攻伐があったのでしょうか?
2. あるいは、明治維新のようにわりに穏やかに決着がついたのでしょうか?

大和朝廷による

A 回答 (8件)

大王(おおきみ)が天皇に変わったのは、天武天皇からとされています。

わかりやすく言えば天皇制が確立したのはこの時。(その後、律令国家ができるまでは皇親政治と言います)その後摂関政治を通して武家の時代が来るのはご存知ですね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
大和朝廷による統一性の高い国家ができきたのは、<天武天皇から>なのですね。

お礼日時:2021/03/03 08:04

古事記や日本書紀に「神武東遷」の話があるのですから、天皇家というか天皇を指導者とする勢力が日本統一を行ったのは確実であり、出雲など大規模な反対勢力と大きな戦争をしたことも事実であると考えるべきでしょう。



しかし、世界の他国の歴史と比較するのに最も重要なのは「武力で統一を図った天皇家が、なぜ現代まで続く権威を打ち立てられたか?」です。

何処の国でも武力統一なのは当たり前ですが、その後何代にも渡って同じ家系が権威を維持できた例はほとんどない、からです。

この点を解きほぐすのが、他の方も指摘している「宗教的権威」です。
私はこれこそが「天皇による日本統一の鍵」だと思っています。

ここからは私見になります。

大和朝廷(ヤマト王権)成立の頃は「豪族たちによる緩い連合体」だったというのが一般的な考えですが「ゆるくても、連合体でも一つにまとまるのはものすごく大変」なのです。

これはたとえばEUなんかを見ても分かると思いますが、EUのような「緩い連合体」ですら、ギリシャ危機やイギリスがプレグジットしたするような事態がおきます。

しかもEUは「アメリカとロシアに挟まれた状態でヨーロッパが生き残るためには連合からできれば統一国家になるほうが有利」という認識で一致しているからこそ、なんとかやっているわけで、普通なら「そんなめんどくさいことはしたくない」のが国家であるわけです。

大和朝廷成立時期の日本で「統一国家になったほうがいい危機感」が有ったのか?という点を考えるべきです。

結論からいえばそういう危機はあり、それは「急激な寒冷化」だったのです。
これ見てもらうと日本で政変が起きるのは、前の時代にくらべて急激な寒冷化が起きた時、だという事が分かると思います
https://pbs.twimg.com/media/DVqZ4sQU8AEv4Bf.jpg

世界的にみてこの時期は寒冷化しているので、世界でも動乱の時代なのですが、面白いことに日本では「政権を強力化して一体となって乗り切ろう」という対策が見えることです。大陸なら「自分達の民族が乗っ取って、負けた民族皆殺し」なのですが、日本ではそうはならないのです。

ここに「天皇の宗教性」があったと私は考えています。具体的に言えば「朝廷に参加した各豪族の神々を、天皇がすべて認める事で、各豪族がすべて平等になった」ということです。

だから山陰地方で飢饉が起きても、山陽地方で穀物が余っていれば分けて揚げられる。九州で余剰が出れば近畿に運んで飢餓を減らしてあげられる、という統一国家のやり方ができるようになったわけです。

そのためには各豪族たちが「俺たち日本人だから助け合わないとね」という持つ必要があり、それこそが「天皇の宗教性」だったわけです。

なので、明治維新の時に官軍が錦の御旗をたて、徳川慶喜が「賊軍になるのを嫌った」ように、当時の豪族たちの中に「天皇家の宗教性」を認めるなにか、があったのではないか、と私は推測しています。

その点において面白いのは出雲で、出雲は天皇家と同じ程度の宗教的権威だったのでしょう。だからこそ国譲りが必要だった、のだと思います。

古代日本で大和朝廷が統一されていく過程には、当然に大規模武力の衝突があったわけですが、それだけではなく、何らかの宗教的作用が大きく働いた、と私は考えています。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
天皇家が<何代にも渡って同じ家系が権威を維持できた>のは、世界でも類がないのですね。
武力でで立ち上げた王朝は武力で倒されますね。
おそらく宗教的な権威で、大和朝廷が古代日本を統一し(当時の他豪族も権威を認め)、その権威は現代まで綿綿と繋がっているのですね。

お礼日時:2021/03/01 12:34

ヤマト政権は豪族の連合体です。


ゆるやかな連合から大王など畿内勢力が強くなっていく過程で、それに反発したと思われる戦乱が何度も起こっています。

邪馬台国連合ができる前の倭国大乱。
強力な大王となった雄略天皇に対する吉備氏の乱など。
屯倉が設置されることとなった磐井の乱。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<反発したと思われる戦乱が>ですね。
<倭国大乱><吉備氏の乱><磐井の乱>ですね。

お礼日時:2021/02/28 07:56

神話の世界っ

「大和朝廷による統一性の高い国家が成立した」の回答画像5
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2021/02/28 07:53

ヤマト政権が存在していたころ、日本には少なく見積もっても4つの権力集団があり、そこと争っていたと言うことは明らかで、「倭王武」の上表文などを見ると「大和政権の王」が戦争に明け暮れていたと言っています。


日本国内では「勝者の歴史」が多く残されているので「古事記」や「日本書紀」を見ても、質問者の方の言う「2」のパターンで、割と穏やかに決着をつけたとされていますが「筑紫の国造磐井」などはヤマト政権に公然と対立したという記録も残っています。もともと「ヤマト政権」自体九州にあった政権が移動してきた、という説もありいくつかの大反乱はあったと想像します。ただ、そのころは、日本列島での争乱が忙しく、大陸への使者が送れなかったため、記録が少ないことが、正確な状況がつかめない原因だと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<「倭王武」の上表文><「筑紫の国造磐井」><「ヤマト政権」自体九州にあった政権が移動してきた、という説も>ですね。

お礼日時:2021/02/28 07:52

>1. 戦国乱世風の大規模な攻伐があったのでしょうか?



弥生時代に大規模な戦乱があったのはほぼ確実です。

武器の傷をうけた人骨も多数あり、集落の周りに濠をめぐらせた環濠集落や、100メートル以上の比高差を持つような山頂部に集落を構える高地性集落
などが存在しています。

また縄文時代にくらべ弥生時代の石鏃が飛躍的に大きくなっているのは、弓矢が狩猟の道具から人を殺傷する武器に転用された可能性が高いです。

鳥取県の青谷上寺地遺跡では溝から100人分を超える人骨が見つかり、ほとんどが即死状態、女性や老人や幼児も含めて無差別に殺されています。まさに弥生時代にジェノサイドが行われたのですね。

「魏志倭人伝」にみえる「倭国大いに乱れる」と言う記事もあります。

この大いに戦乱がおこり、その中で大規模なクニが成立し、そしてクニをまとめる宗教的権威をたてることにより、統一国家ができていったのでしょう。

弥生時代
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E7%94%9F …
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<弥生時代に大規模な戦乱>なのですね。
証拠として<武器の傷をうけた人骨><環濠集落><高地性集落><石鏃><無差別に殺され><「倭国大いに乱れる」>が挙げられるのですね。

お礼日時:2021/02/27 18:43

あくまでも推測



成立に至る課程の初期には相当な騒乱や殺戮があった

でその結果、互いに疲弊が進むそんな状況を永遠には続けられない
という事で、ある時点からは集団指導体制、緩やかな同盟・連合的な関係に移行
その中で、比較的大きな勢力だったもしくは何らかの宗教的な能力があった
部族が大王として擁立されて行った
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
最初は、<相当な騒乱や殺戮があった>のですね。
その後、<比較的大きな勢力>が<大王として擁立されて行った>ですね。
<擁立>ですね。

お礼日時:2021/02/27 18:27

資料がほとんど残ってませんから、全て仮説ですが、


周辺は、村レベルの比較的小さな集落が点在してたとすれば、統一という意志で攻めると、比較的スムーズに支配下に置くことができた。

手塚治虫氏の火の鳥・ヤマト編に描かれてるように、団体をまとめてるリーダーを倒すか降伏することで、決着。人間はなるべく殺さず労働力として確保。

豊田有恒氏の騎馬民族征服説で、大陸から馬を持ち込んだグループの一人勝ちと言う解釈をされてますが、武器などで他のグループより有利な条件があって圧勝。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<周辺は、村レベルの比較的小さな集落が点在してたとすれば、統一という意志で攻めると、比較的スムーズに支配下に置くことができた。>のですね。
<騎馬民族征服説で、大陸から馬>も有利有利な兵器かもしれませんね。

お礼日時:2021/02/27 18:43

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!