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ことし80歳のおじいちゃんが、東北大学の出身なのですが、この当時の大学は、

【お金があるから行けたのか】 
【学力があるから行けたのか】

この比率はどのくらいになるのでしょうか?

昔の人に言わせると、この時代は貧しくて大学に行くのは【裕福な家庭】と言っていました。

ところが祖父曰く、国立の授業料は安かったし、実家も親(私の曾祖父)が教員ではあったが、特別裕福ではないと言っています。

次に学力ですが、この世代はとにかく子供が多いわりには、大学の数が圧倒的に少ないので、競争倍率も高かったのではないかと思うのです。

ただ、これでは矛盾もあります。
確かに子供は多かったでしょうが、しかし裕福でなければ大学に進学できないというのなら、貧乏な子供が多くても競争倍率が高くなる訳ではありませよね?

結局のところ、現在80歳の人たちが大学に進学した時代は、学力と環境のどちらに影響を受けていたのでしょうか?

A 回答 (18件中1~10件)

圧倒的に学力です。


私の親族にも82歳のおじいさんがいますが、
京大法学部卒です。
家は普通の会社員です。資産はありません。
高校でも常に上位3位ぐらいに入っていた秀才です。
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この回答へのお礼

あのー、今でも京大に進学するには高校で上位3位とかいますよね。

ただし、この時代は高校進学率も低い時代でしたので、まずは高校に進学できるのかという話から始まり、そして大学受験では競争がどのくらいあったのかを比べないと、比較できないと思うのですが。

お礼日時:2021/03/10 11:11

発想が・・・


  
当時であれば、おそらく中学卒で働く人が多かったと思います。
それは、中学を卒業したら働いてお金を稼がなければ食べて行けないからです。
高校まで行けば、その間は「働かない=収入がない」という事なのです。
  
学校にお金が掛かる以前に「そこそこの年の子供がいれば稼がせる」のが普通だった。
稼がせるまでは行かなくても「独立して、自分の分は自分で生きて行け」なのです。
  
子供の収入をあてにしなくてもいいというだけで、裕福とは言わなくてもそこそこの生活レベルだったという事。
  
当然、東北大学であれば頭はよかったのでしょう。
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この回答へのお礼

ええっと、高校進学率が低い時代ということは、大学進学時の競争も少なかったということになるのでしょうか?

お礼日時:2021/03/10 11:16

もちろん、学力と環境の両方ですよ。


いくら裕福な家庭に生まれたって学力が無ければ帝大に進学なんてできませんし、能力の高い子供でもまともな教育を受けられる環境になければ学費が安かろうが大学どころか中学校の進学さえままなりませんでした。 

絶対的な学力に於いて、戦前に帝大に進学できた人々は群を抜いたエリートだったわけですから、競争率について考える必要は無いです。

ちなみに、学費について言えば国立大学の学費は今世紀に入ってどんどん上がってしまっています。
大卒の初任給を30年前と比べると10%程度しか上がっていないのに学費は500%ほどになっています。
勉強のできる環境以前に文字通り裕福でないと進学できない状況になっていますね。
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80代の人が大学に進学したのは今から60年前ということになります。

そのころは敗戦後の新教育制度が生まれた時代で、大学進学希望者も少なかったですが、大学の数も定員も今から見ればとても少ない時代でした。多くの人達が、そのころは大学に進学するのは特別な「裕福」な人か「学力のある人」かでした。学力のある人は旧帝国大学といわれる大学に進み、「財力のある人は「私立大学」に進む傾向がありました。
とはいうものの「私大」もある程度学力が必要な時代となってきたころです。また「同窓生」のつながりが強かった時代なので「社会で成功するため」に苦学して大学を卒業することを目指す人もいた時代です。
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おじいちゃんは昭和16年生まれで、大学入学は昭和35年頃。

当時は学制も現在のものになっていたから、旧帝大である東北大学の難易度は今とそう変わらないと思います。

人口がどっと増えるのは、昭和21-23年に生まれた団塊世代が大学進学した昭和40-42年の話です。
なのでおじいちゃんは、旧帝大に合格する学力があったのと同時に、進学にかかる費用や生活費が賄えるだけの経済力が家庭にあったということです。
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この回答へのお礼

競争倍率はどうなのでしょうか?

大学はおろか、高校すら進学しない子供が多かった時代となると、大学受験をする学生はそれほど居なかったと思うのですが、それでも競争が激しかったのでしょうか?

お礼日時:2021/03/10 11:24

今年80歳のお祖父さまが18歳の頃は昭和34年(1959年)。

日本で高度経済成長が始まって好景気の時代です。
当時の大卒初任給(公務員)が1万円くらいで、国立大学の学費(年間)は9,000円でした。現在の大卒初任給が21万円で、国立大学の学費(年間)が約53万円ですから、当時の学費を現代の感覚に置き換えると年間約18万円。特別裕福な家庭でなくても出せる金額です。

お祖父さまのお父様が教員だったのなら、十分に大学まで進学させてあげられる環境です。昔の人の言う「大学に行くのは裕福な家庭」というのは、中卒で就職して家計を支えないといけないような家庭が今よりも多かったことを念頭に置いているのでしょう。当時の感覚では「教員」は「裕福な家庭」のカテゴリに入るのです。

とはいえ、当時の教員や会社員といった「特別裕福というわけではない、でも貧乏でもない」中流家庭でも、子どもを大学まで行かせるのは(現代のように)当たり前のことではありませんでした。教員はともかく、会社員(親)は中卒や高卒が多かった時代です。
そんな環境で、旧帝大に進学するのは何より学力が必要でした。現代のように進学塾や予備校などの受験産業もなかった時代ですしね。
学力があれば、貧しい家庭でも国立大学で学費免除を受けたり、自治体によっては出身者を援助する給付奨学金があったりしたものです。いまの大学生は親から仕送りを受けるのが当然のようになっていますが、当時は、大学生がバイト代を実家に仕送るようなこともあったらしいですよ。
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学力でしょう。


優秀なら奨学金の給付もありましたし、国費留学で留学費用も国から出してもらえていました。
戦後の復興時期でしたから、優秀ならお金がなくても進学できたのです。

そもそもその年代の大学進学率は低かったですし、農家だと学歴は不要という考え方もありましたから、お金がないから進学しないというのとは訳が違います。

裕福なら私立、というのは当時から変わりませんけどね。
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競争倍率についですが、確かに今より高校や大学の進学率は低いですが、大学の数も今より遥かに少なかったのです。


いまは大学とも呼べないような大学があふれかえり、学力が無くても「就職のために大卒資格を持っておけ」という就職予備校のような感覚で無理にでも大学進学する人が多いですが、昔は、「学力が無ければ、進学させる価値はない。就職して稼げ」という感覚だったのです。
相対的な学力でなく、絶対的な学力として、高校に進学、そして国立大学に進学する人は、学力が高かったのです。
もちろんある程度の財力(子どもを働かせなくても生活に困らない程度の家計)は必要ですが、まず何よりも、国立大学に行くのは絶対評価としての学力が必要だったのです。

競争と言うことで言えば、当時は、義務教育を終えた時点で進学できるかどうか(進学させる価値のある学力があるかどうか)という時点で既に競争が始まっており、ふるいに掛けられていた、と考えるべきでしょう。
大学入試の時点での競争倍率はあまり意味がありません。現代でも、東大の倍率が3倍程度、中堅私立大学の倍率が10倍でも、倍率の低い東大のほうが「受験段階で受験生のレベルが絞り込まれている」ということで、倍率に関係なく、受験生の学力レベルは上でしょう?
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その年代あたりの親戚がそこそこ居ますので聞いたところ、全員一致で「学力」だそうです。


中流以下も大学に行くようになったのが現在であって、
昔も今も一流大学に限って言えば競争率は似たようなものだろうと。
学力がある中で、経済的に断念した人は居るだろうけど、逆は難しいんじゃないか?とのことでした。
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おじいちゃんの時代は東北大学は東北帝国大学といわれエリートの大学ですよ。

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