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こんにちは。
カナダで日本語を勉強しています。
いつも助かります。

今日は、助詞「に」と「で」について、質問があります。

「に」は持続行為の行われる場所を示し、
「で」は活動場所の行われる場所を示しますよね。

家にいます。
家で遊びます。
のように。

だったら、
OOで地震があったそうですね。
OOに地震があったそうですね。
この二つの中では、どっちの方が正しいですか。

私は「で」の方だと思っていますが、
ネットで調べたら「に」もよく使っていて
質問いたします。

いつも、ありがとうございます。

A 回答 (57件中31~40件)

#24です。


#25、#26で相変わらず矛盾だらけの御託を並べていますな。

アスナロウ君の理解能力に合わせるため、簡単でわかりやすい点だけ指摘しておきます。
放っておいてもよいのだが、質問者さんに誤解を与えることは避けたいのでね。

1.

★ 東北地方で地震がありました。

の「で」も「活動の行われる場所を示し」ているのではありません。場所を示しているのは「東北地方」です。

では、「(地震という)活動の行われる場所を示し」ている語は何ですか?
答えられますか?

答えられないだろ?

「東北地方」は「場所を示している」わけではありません。
「東北地方」は「=場所」、つまり「場所そのもの」です。

「東北地方」という場所が「地震がありました」という活動の場所であることを示すために格助詞「で」が使われている。
こういうことです。
わかりますか?

2.
>★ 東北地方に地震がありました。

の「に」も又、
「活動の行われる場所を示します」
ということになってしまいます。そう思いませんか?

「何のために本質的意義について論じているのか?」という根本的なところを全く理解していないことが明らかになったね。
まさに、こうした混同を防ぐためにこそ、「に」や「で」の本質的意義を明らかにしておくことが必要なわけだよ。

まあ、しかし、そこに着目できたことだけは褒めてあげよう。
そこまで気づければ、あともう一歩だろう。
少し解説させてもらうので素直な気持ちでよく聞くように。

(ア)★ 東北地方で地震が発生した。
(イ)★ 東北地方に地震が発生した。

たしかに、君の言うとおり、どちらの表現も「活動の行われる場所を示している」のは間違いない。
ただ、「に」と「で」では場所の【示し方が異なる】という点が重要なのだ。

格助詞「で」の本質的意義は、
『状況(環境)や成立条件を表わす』
というものです。
君の主張するように「手段・方法を表わす」でも構わない。
いずれにせよ、
「で」の場合、「 東北地方」は、地震活動の発生した舞台(場所)として【動的に】捉えられている。

(アー2)★ 東北地方で地面がグラグラ揺れた。

といったニュアンスだ。

一方、格助詞「に」の本質的意義は、
『動作などが行われる時間的・空間的・心理的などの静止点を表わす』
というものです。
大辞林の語釈、あるいは君の主張するように、
『格助詞「に」は時間的・空間的な位置付けの認識を表わす』でも構わない。
いずれにせよ、
「に」の場合、
「 東北地方」は、地震活動の発生した場所として【静的に】捉えられている。
【静的に捉えられている】とは何か?
それはたとえば、

(イー2)★ 東北地方に地震というものが存在した。

といったニュアンスを意味する。
(アー2)のように「地面がグラグラ揺れた」というニュアンスは無い。
「に」を使って動的に捉えようとすれば以下のように不自然になる。

★東北地方に地面がグラグラ揺れた。

そして、ここがさらに重要な点なのだが、
このような「動作を静的に捉えるニュアンス」が成立する理由は、格助詞「に」が『動作が行われる空間的な静止点を表わす』からに他ならない。

フィードバックして、
(イ)★ 東北地方に地震が発生した。
については以下のように言うことができる。

格助詞「に」は「地震が発生した」という動作が行われる空間的静止点が東北地方であることを表わす。

あるいは、君の考えに沿って、

格助詞「に」は「地震が発生した」という動作を東北地方に空間的に位置付けている。(因みに、これが正しい解釈なのだから、いい加減覚えろよな?笑)

と言っても構わない。
いずれにせよ、
「動作が行われる空間的静止点が東北地方」
「動作を東北地方に空間的に位置付けている」
の意味を正しく理解することが重要だ。

つまり、動作は東北地方という地点に静止、あるいは、東北地方に位置付けられる【だけ】なのであり、それ以上、動的に動作が実行されることはない。
「に」の場合、そんな静的な場所として「東北地方」は示されているわけだ。
「で」のように、地震活動の発生した舞台として動的に捉えられているわけじゃない。

「活動の行われる場所を示している」点では同じかもしれないが、「に」と「で」では場所の【示し方が異なる】。

というのは、こういうことです。
こうした微妙な差異を明らかにしておくために、それぞれの本質的意義を正しく理解する必要があるわけだ。
論理的な反論があれば遠慮なく言ってくれたまえ。
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なお、



★ 東北地方で地震がありました。

の「で」も「活動の行われる場所を示し」ているのではありません。場所を示しているのは「東北地方」です。したがって、「で」が

「活動の行われる場所を示し」ている

というのは決定的な誤りです。これでは、

★ 東北地方に地震がありました。

の「に」も又、

「活動の行われる場所を示します」

ということになってしまいます。そう思いませんか?

このように、格助詞「に」「で」は場所や点などという客体自体を表すのではなく、客体を話者がどのように捉えているか、客体の多様なあり方のどの側面、関係を捉えているかという話者の主観を直接に表す語です。

この本質を理解できない人たちの誤った解釈に惑わされると混乱するしかないので注意しましょう。■
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No.2 です。



No.24 の誤りについて。

>>大体そのとおりですが、もう少し詳しく定義すると以下のようになります。
【に】=動作などが行われる時間的・空間的・心理的などの静止点を表わす。

相変わらず質問者を混乱させる与太を飛ばしていますね!

天国に行きました。
母に出会う。
綺麗になります。

どこが「静止点」ですか?
何度も指摘していますが、格助詞は客体である「点」などを表すのではありません。
頓珍漢なことばかり言ってるんじゃないよ?

格助詞「に」が表すのは「静止点(地点)=場所」でないことぐらいは理解できるだろ?
日本語が理解できているのかね?
日本語学習者に負けないように素直にちゃんと勉強したらどうかね?(笑)

>>それぞれの動作を位置付けるということなのだよ。

語が動作を位置づけることなどできません。

天国に行きました。
母に出会う。
楽になります。

これらは、「天国」「母」「楽」を位置づけており、「動作を位置づけ」てなどいないのは自明です。
まったく話にならんのだがね。(笑)

どうも hakobulu君は本質を見る能力に欠けているようですな。
そもそも論理的な思考ができていません。
そして、というか、だからと言うべきか、全くピント外れの点にばかりこだわろうとする。

誤りは誤りと認めた上で顔を洗って出直し給え。(笑)
実に、見苦しい!
素直な気持ちで真摯に質問すれば答えてさしあげるにやぶさかではありませんぞ。

まず、喝!
を入れておこう。■
「助詞「に」と「で」について…」の回答画像25
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#16です。



>例文が違うのだから当たり前というのは、先に述べたように文での意味で、格助詞「に」自体の意義ではありません。規範としての語の意義は変わりません。そうでなければ話者が「に」を使用する根拠がありません。(#18)

へえ~~?
《格助詞「に」は時間的・空間的な位置付けの認識を表わす》というのは本質的意義ではないのかね?
時間的か空間的かは例文によって使い分けるんだろ?
頓珍漢なことばかり言ってるんじゃないよ?

どうもアスナロウ君は本質を見る能力に欠けているようですな。
そして、というか、だからと言うべきか、細かい点にばかりこだわろうとする。

《格助詞「に」自体の意義》が例文に反映されなくてどうするのかね?
そんな「意義」なら「意義」とは呼べないことぐらい理解できんのか?(笑)

もっとも、

《家にいます。
は家を空間的に位置付け、》
などと言っているようでは、
《格助詞「に」は時間的・空間的な位置付けの認識を表わす》という本質的意義を正しく理解していないことになるのだから、まったく話にならんのだがね。(笑)

いずれにせよ、
「家にいます」なら空間的地点に、「5時に来てください」なら時間的地点に、それぞれの動作を位置付けるということなのだよ。

《「に」は持続行為の行われる場所を示し、》
という表現に瑕疵があるとするなら、「持続」という箇所だけだろう。
広義の「場所」、つまり「地点」なのだから、
《「に」は行為の行われる場所を示し、》なら何の問題も生じない。

だから私が#2で記したように、

大体そのとおりですが、もう少し詳しく定義すると以下のようになります。
【に】=動作などが行われる時間的・空間的・心理的などの静止点を表わす。

と言えば済む話ではないのか?
「静止点(地点)=場所」であることぐらいは理解できるだろ?
日本語学習者に負けないように素直にちゃんと勉強したらどうかね?(笑)

1~3では、何をどこに位置付けているのですか?
明記してください。
できるかな?

と質問したが、予想通りできませんでしたな。(笑)
逃げたわけだ。
正しく答えれば矛盾をさらすことになるという二律背反に陥ってしまうから、止むを得んと言えば得んのだがね。
いずれにせよ、こんな簡単な質問にも答えられないまま御託を並べたって、まったく説得力がありませんぞ?
誤りは誤りと認めた上で顔を洗って出直し給え。(笑)
素直な気持ちで真摯に質問すれば答えてさしあげるにやぶさかではありませんぞ。
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「中止」は注意の誤りです。



>>なんだか循環論法に成ってしまいましたが、

本質ではなく、機能を問題にするため循環論法に成らざるを得ません。■
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なお、(名古屋大学のサイト「着点」の話題)も「着点」などと認知言語学に基づく誤った理解を披歴しているので中止しましょう。

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No.20 について一言



>>考え方の問題であって、それは文法観(方法論)の違いです。

考え方や文法観(方法論)の違いではなく、言語本質の理解の誤りに基づくものです。言語は話者の認識の表現です。

>>「格助詞」の場合、働きは前にある「名詞(多くのばあい)」に格を与える訳です。

これは機能を述べたもので、本質を明らかにしたものではありません。

格を【表す】助詞
事柄に対する話手の認定の中、事柄と事柄の関係の認識を表現するものであるから、感情的なものは無く、殆どすべてが、論理的思考の表現であると云ってよい。
(時枝誠記『日本文法 口語篇』「第二章 語論 (四 辞)」)
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「に」は場所を表す、という考えは決定的に誤りではありません。

アスナロウさんがその考えはおかしい、批判されたのは考え方の問題であって、それは文法観(方法論)の違いです。「家にいる」の「に」は「家」が対象であることを示しているのが「に」である。「君にやる」という時、対象は「君」であって「に」では無い。それだけのことです。
だから、「家にいる」の「いる」の対象は「家」です。なんだか循環論法に成ってしまいましたが、「格助詞」の場合、働きは前にある「名詞(多くのばあい)」に格を与える訳です。
 「姉にバイオリンが弾ける」というのは、「姉」を場所のように扱っていますが、この「ニ格」も一つの用法です。(名古屋大学のサイト「着点」の話題)
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どちらが正しい、正しくないとかではなくて…



「○○で地震があったそうですね。」の場合は主に場所を指す場合に使う。
例)「東京で地震があったそうですね。」など。

「○○に地震があったそうですね。」の場合は主に時間に対して使う。
例)「20:00に地震があったそうですね。」など。

ちょっと応用して組み合わせると「20:00に東京で地震があったそうですね。」となる。

日本語の勉強頑張ってください!
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No.15 の根本的な誤りについて



>>だから、例文が違うのだから当たり前だよね。

例文が違うのだから当たり前というのは、先に述べたように文での意味で、格助詞「に」自体の意義ではありません。規範としての語の意義は変わりません。そうでなければ話者が「に」を使用する根拠がありません。

何やらグダグダとピント外れの講釈をたれていますが、この点が根本的に理解できていません。■
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