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私は幕末が好きなので大河ドラマ、青天を衝けで出てくる役職、伊勢守(いせのかみ)ってどういう役職なんでしょうか?また〇〇の守系統のやってどんな感じなんですかね?藩主や家老、老中とかとは違うんですかね?

質問者からの補足コメント

  • またどんな仕事内容なんですかね?

      補足日時:2021/06/13 15:54
  • うれしい

    できれば○○の守の仕事内容を教えてくれると嬉しいです

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/06/13 15:58
  • 自分の肩書き程度という解釈で大丈夫ですかね?

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/06/13 22:49

A 回答 (6件)

幕府の役職ではなくて、朝廷(天皇)から任命される役職です


ゆえに、○○の守 は天皇のご家来ということになります。
一方、藩主は幕府から領地の経営を任された者のことで、征夷大将軍の家来という位置づけです
家老は藩主の家来
また、老中は幕府の中の役職で、大老などがおかれていない通常時では将軍に仕えるものの中でTOPの役職です

要点は
武士は、それぞれが主君をもちその家来 であるケースがほとんど
そして主家につかえる武士の中でもTOPの地位にあるものが家老
さらに、主家もまた主をもち 武家の頂点が征夷大将軍
征夷大将軍1人だけでは幕府という行政機関が動かないので、それを補佐する役職を幕府の中に多数設けたが、そのTOPが老中(ただし、非常時などには老中の上に大老という役職を設置した時期もあった)
しかしながら、その将軍でさえも天皇の家来(征夷大将軍もまた朝廷の役職)で、主の主の主は・・・とたどっていくと日本の頂点には天皇がある
こういう構造です
この回答への補足あり
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〇〇守



平たく言えば、〇〇國の領有者

今でいう知事みたいなものでしょうが、
当時は自称。現実には領有していない人もいたでしょうね。

織田信長は尾張にいた。
それで織田上総介三郎信長
完全に自称。 上総など担当せず。
これでは有名無実。

源義経は伊予守と朝廷が役職くれた。
でも伊予など生涯得られず。
何のためのものだったのやら。
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○○守


これは単なる名誉職的な側面が強いので
具体的な仕事はなかったと思われます・・・
反して、幕府から与えられた領地はそれこそ命がけで安定的に治めなければ、将軍に領地を減らされたりお家とりつぶしされたりなど
憂き目にあうことになるので、藩主という仕事としては領地経営を命がけで行うと言う心構えであったと思われます。(ちなみに藩主は幕府に従って、有事の際には軍事的負担を負います。)

そして、江戸時代のことはよく調べていませんが
武士が実質的な権力を握っていた時代
実際の領地と、○○守 という役職が合致していないケースも多かったようです
伊勢守 に任じられてはいるが実際の領地は別のところだよ
なんていうケースもあったと思われます・・・
○○守に任じられれば箔がつくかもしれないけど、この役職事態に実力はない といったところでしょうか・・・
(参考例として 大岡越前守を調べてみると良いかもしれません
彼の領地と役職名が一致しているか?
幕府での地位は?
越前守としての仕事がはたして存在していたかどうか?
などなどです)
この回答への補足あり
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こちらに わかりやすい説明があります。


https://www.edo-tokyo-museum.or.jp/purpose/libra …
『近世武家官位の研究』では「幕府より諸大夫を仰せ付けられると、即日に希望の名乗りを「伺書」という形で幕府に差し出し、決定された」例を挙げ、「同姓同名とならないか、老中など然るべき役職にある者の名前に抵触しないかなどを吟味し、支障がなければ当人が伺出た名乗りをそのまま認めたのであろう」としています。伊達家や島津家が代々名乗ることの多い「陸奥」や「薩摩」、また幕府の所在地である「武蔵」などは名乗ることを憚られていたようです。

伊勢守(いせのかみ)は、役職の名前ではないということです。
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かみ・すけ・じょう・さかん、というのは四等官という制度上の身分です。

人名の〇〇のすけ、などのスケはこのすけからきたものです。
伊勢守とかは伊勢の国のトップという意味ですが、後の時代には伊勢とは関係のない人たちが好き勝手に〇〇のかみと名乗っていました。〇〇は何でもよくて、守が名前についているとカッコイイみたいな感覚のものですw

それでやらかしたのが織田信長で、上総守(かずさのかみ)を自称したのですが、上総の国の守は天皇の子孫のみというしきたりがあったので皆からバカにされ、すぐに上総介(かずさのすけ)に変えたというエピソードが残されていますw
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朝廷より賜った役職。


伊勢の守といえば、伊勢の国の国主を朝廷から命じられた人、ということ。
江戸時代で言えば代官が近いね。
明治時代なら県令。

ただ、頼朝が鎌倉に幕府を開くと事情が異なってくる。
武士は頼朝を頂点とした組織であり、各々の武士が勝手に朝廷と関係を持つことは許されない。
義経はこの禁忌に触れて討たれた。
武士が朝廷の官位や役職を得るときは、必ず将軍を通して行われるようになった。
つまり、将軍から配下へのご褒美的色彩が濃くなった。
また、その人の位を示すシンボルにもなった。

戦国時代になると、領地を治める正当性を示すために各大名が直接朝廷から官位を貰うようになった。
将軍はいても形がい化してしまっていた。
各自でやるしかなかった。
たとえば家康は三河一国を傘下に収めたとき、姓を徳川とし朝廷に申請して三河守の役職をもらった。
三河一国を治める正当性を得るためである。

江戸時代になるとふたたび秩序の時代となり、鎌倉・室町時代と同じく征夷大将軍が朝廷に申請し配下に分け与えるものに戻った。
つまり「権威の高さを示すもの」「ご褒美的な意味合いのもの」に戻った。
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