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李氏朝鮮時代に日本語の通訳官をやっていた康遇聖さんは10才の時に豊臣秀吉の朝鮮侵略で日本に強制連行され、その後10年間日本で暮らして日本語を覚え、その後帰国して通訳官になり、日本語通訳官用にテキスト「捷解新語」を出版したそうです。
少し調べてみたのですが日本に強制連行されてからの10年間はどのような待遇で生活していたのか?よく分かりませんでした。
そんなに待遇は良くなかったのではないかと想像はしますが。
というのは家康の時代に強制連行した朝鮮人は故国に帰ることを許されていますが、
朝鮮人陶工職人たちは本国では半奴隷状態の境遇だったので日本の方が待遇が良かったので朝鮮には戻らず日本に永住することを希望して帰りませんでしたが、康遇聖さんは帰国したので日本の待遇は李氏朝鮮と比べると悪かったのでしょう。
牢屋に10年間つながれていたのか?よく分かりませんが、
詳細分かる人いましたら教えてください。

A 回答 (1件)

>牢屋に10年間つながれていたのか?よく分かりません



牢に入ってたら情報は殆ど有りませんね
連れて来た目的が判れば想像なり出来ると思います
例えば陶工職人の子供で陶工より学問が好きなら日本で学ぶものも有ったのではないでしょうか
陶工職人と同様に下手な扱いはしなかった様な気がします

また、後に出てくる朝鮮通信使に何らかの影響が出ているのではないでしょうか
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