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織田信長の指出検地という政策はどのようなものだったか教えてください。

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A 回答 (2件)

戦国時代から江戸時代初頭にかけて行われた検地の一方法。


大名が直接立ち入り調査することなく、領内の家臣にそれぞれ知行する土地の等級・面積・作人・分米などを書いて提出させた。これを指出検地という。
戦国諸大名の検地は殆んどこの方法である。
特に織田信長が天正8年滝川一益、惟任長秀を大和に派遣して、興福寺領などの国内の寺社領に指出を強制的に提出させたことは有名である。
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以下の記事を参考にして下さい。



指出検地(さしだしけんち)は戦国時代に行われた検地方法の1つで、織田信長がおこなったもの。
指出検地は家臣や自社・村落などに土地の面積や収穫量、作作などの明細を報告させる検地方式。
各耕地を一筆ごとに記載したものから、面積や収納高の合計だけのものまであった。
この指出検地では、領主が直接奉公を派遣して、土地面積、その収穫量などを調査する丈量ではなかった。
つまり、大名が直接立ち入り調査をすることはなく、基準も不統一で細部まで正確な把握は困難だったから、きちんとした調査ではなかったとも言われている。
ちなみに、信長だけではなく、今川氏、後北条氏、武田氏、上杉氏、朝倉氏、毛利氏らの戦国諸大名の検地も指出検地の方法が採用されていた。
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