プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

中2です
好きな勉強があるのに、嫌いな勉強をしないといけない理由はなんですか?
英語と数学と理科が好きです。建築や時事問題も好きです。
英語は親の都合で海外に行っていたこともあり、得意で2級は余裕です。
数学と理科は、どちらも中間は80点代に乗りました。僕は建築が好きなので、建築の仕事につくために(設計士など)絵も少しずつ上手くなってきました。でも国語と社会が少し点数が悪いです。正直国語と社会は勉強してますがしたくありません。
僕はちゃんと将来も、考えて勉強しようと思ってるし、高校まではちゃんと国語も社会も頑張って点数取ろうと思いますが...
なんでしたくない勉強までしないといけないのですか?

質問者からの補足コメント

  • 高校は高専に受験するつもりです。

      補足日時:2021/11/04 21:22

A 回答 (6件)

好きな科目をひたすらやればいいですよ。


心の底から本当にそう思います。

「数学の90点を100点にするよりも、
国語の50点を70点にする方が伸びが大きい」
みたいなこと言う人がいますが、本当にバカです。

100点取った後は、高校の数学やればいいし、高校の数学が
終われば大学の数学をやってください。
それも終われば大学院の数学をやって、論文を書けばいいです。

学力レベルが低い人は「テスト・偏差値」が大好きです。
そんなレベルを目指す必要はないです。
世の中を変えるような発明・発見をするためにあなたは
勉強しているのです。
そのためには、嫌いな科目に費やす時間なんてもったいないです。
好きな科目と嫌いな科目では成長の速度が10倍以上違いますから。

社会で生きていくって、
「得意分野がどれだけ得意か」
が超重要だと思います。

得意なものは科目じゃなくても、なんでもいいです。
手品でもいいし、トークでもいいし、カッコいいとかでもいい。
とにかく「自分に他の人のない価値があるか」です。
得意なもののレベルが高いほど、豊かで楽しい幸せな人生になります。
すごい人とも自然とつながります。
色々な体験が待っています。

私は研究者です。
もっと、若いころに好きな科目をひたすらやっていれば、
もっとずっと幸せだったと確信しています。
もっともっともっと数学が得意だったら、私の人生はいかに
楽しかったろうと思います。

中田もイチローは相当勉強できないと思います。
数学なんて簡単な方程式も解けないでしょう。
だけど、みんなから尊敬される成功者です。
幸せそうです。

大人は
「自分が頑張ったものを若者がサボる」
ということを猛烈に憎みます。
「自分たちの価値観に違反するもの」
を猛烈に憎みます。
自分の人生を否定しているように感じるのだと思います。
そういう意見は、無視していいです。
バカな意見が大半です。

嫌いなものを無理やりやっても大してプラスになりません。
寝てるよりマシですけど。
本当に人生に大きなプラスになるのは、楽しくて夢中に
なってのめり込んだものです。
そういうものに注力したほうが幸せです。
力も伸びます。

今の日本社会は平均年収400万円です。
子供を育てることもできない人が普通です。
それは、嫌いな勉強を嫌々やらされてきたからだと思います。
楽しめない勉強なんて、いくらやっても伸びません。
藤井君は嫌いな将棋を嫌々頑張って強くなったわけではありません。

あなたが本当になりたい人ってどんなですか?
その人はどんな青年期をおくったのでしょうか?
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「好きな科目しかやらない」のは教養ではないからです。


高い山は裾野も広いもの、教養という裾野が広くなければ専門という山も高くなりません。幅広い教養はその人の問題解決能力に繋がります。

また、職業人としてだけ生きるのであれば、教養など無くともなんとかなるのかも知れません。
しかし、我々は世界の中に生きているのです。他人に意思を伝える豊富な語彙と修辞法、暮らす土地訪れる土地の特色や歴史、法で規制されることや本来自由であるべきこと、得られたデータをグラフ化する、図形化する、物体の運動と自動車の運転、使用しそして廃棄する物質、動植物菌類原生生物原核生物および食料や医療、我々が踏みしめる大地の動きや気象、夜空に輝く星、心を豊かにする芸術活動や作品……
さまざまな面において世界とつながりを持って生きています。
これらへの理解を深める、深めようとすることはヒトが人として必要なことではないでしょうか。

最後にですが、明治政府が導入した学制に対しての反発として学制反対一揆が起こったこともあるようです。これは一つには当時は学費も受益者負担だったからと言うこともあるのですが、別の原因として「学校なんか行かなくても畑仕事は出来る。畑仕事もさせず学校に行かせて何の意味があるか」ということもあったようです。
いまでも発展途上国では学校に行けない子どもたちが大勢いますが、その理由の一つに「『子どもを学校に通わせるくらいなら、働かせたほうがまし』と考える親がいる」とJICAは指摘しています。
https://www.jica.go.jp/mobile/hiroba/program/pra …
質問者さんがおっしゃることは突き詰めると、この考え方になってしまいませんか?
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国語はあらゆる学問の基礎


だからです。

言葉に精通していないと、
意思を伝達出来ないだけでは
ありません。

複雑、抽象的な思考は言葉で
やるしかありませんが
国語が不得意ではそれが出来なく
なります。


社会も大切です。

人間は社会的動物であり、
社会でしか生活出来ないからです。

その社会の基本を勉強しないと
生活に、いや人生に支障が出て来ます。


そういうことを考えて、国語や
社会も学ばせているのです。
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高専を受験をするからには少なくとも国語も社会も必要です。


高校までに学ぶ国語や社会(地理・歴史・公民)は一般教養の基礎です。
この人は知識や教養が薄っぺらいと思われていいのなら、国語も社会も捨てていいかもしれません。

一見、設計とは何の関係もないようですが、日本語でしっかりした会話も文章も出来ない人に設計を任せたくないと思われたらおしまいです。
設計だけ出来れば、社会で成功出来る訳ではありません。
社会に出て仕事と共にあらゆる分野の職業や地位の人と接していく中で、あなたの言葉や文章や知識等がクライアントとの円滑なコミュニケーションを築き、信頼を得る上で大事なのです。

社会に出てからのあなたが見られるは外見だけでなく、むしろ中身です。
そこを考えて、基礎知識はきちんと身に着けておいた方がいいと言うことです。
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結構優秀な方の学生さんとお見受けしましたが、そんな方でもみんなと同じことを疑問に感じるというところに、少しほっとしました。



私のような大人から言わせると、テストで良い点を取るとか、受験の為だけに勉強するわけではないという当たり前的な答え以上に、人生の選択肢が広がるとか、今、目指している進学先など短期的な視野で考えないほうがいいですね。

もちろん、得意科目を重点的に伸ばすことは大事ですよね。最近のほうが昔より選択科目も増えて、本人のやりたいことを重点的にさせてもらえてる傾向はあると思いますが。

私事ですが、高校生時代は英語が好きすぎて、一日中英語勉強していたいと思っていましたが、貿易会社に入社して、社会科ももっと勉強しておけば良かったと思いましたね。もちろん、社会人になってから貿易、外国為替など、世界地理、宗教の食べ物制限とか色々なこと勉強しましたけど。外国人と商談したり、商談後食事したり、観光案内したりするとき色々なジャンルの知識が役立ちました。

頑張って無駄になることなんて、そうそう無いと思いますよ。勉強したことが無駄になるか、活かせるかは、貴方次第です。応援します。頑張ってくださいね。
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国語の字が書けないと書類も作れませんよ。

世の中の動きや市役所がどんな仕事をしていて建築許可は何処に取りに行くのか知らないと仕事は出来ません。必要だから教えるのです。何一つ将来貴方にとって無駄な物はありません。ここは日本です。英語は日本語に直して使われるのです。したくなければしなくていいですがテストや試験に落ちますよ。建築屋にはなれません。
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