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日本政治で1993年及び2009年に政権交代が起こり、長期間にわたり政権を握っていた自民党が下野しましたが、その理由は何だと思いますか?
自民党の腐敗によるもの、経済情勢の悪化、冷戦構造の終結などが挙げられます。

A 回答 (4件)

自民党のおごりと油断です。

そのすきを野党の毛バリに国民が釣られたってことです。1993年は機を見るに敏いマインドが朝鮮人の小沢に足元をすくわれました。そして細川内閣は何もできなかったですよ。

2009年も同様です。国民は民主党というのはもう少しまともな党だと思っていたのに素人集団で国政を混乱させ今に至ります。辺野古が問題がかたずかないのも民主党のせいです。
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バブルとリーマンでしょ。


野球とかサッカーでも、監督変えりゃ うまくいくかも?・・って盲信する人いるじゃないですか?それと同じ。
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1993年は、佐川急便問題です。


自民党の金丸信などの汚職が発覚し
それが元になって、党内抗争が起り、
羽田派の小沢一郎さんなどが、離党
しました。

それで、国民の信を失い、細川新党
等に負けた訳です。


2009年は、小選挙区制が影響
しています。

英米のように、二大政党制を目指そう
として小選挙区制を導入しましたが、
これは首相の人気に影響される制度でした。

小泉さんの人気が高くなり、それが
長期政権になったのですが、
その反動が来た訳です。

その後の内閣が一年で交代する、という
日替わり内閣になり、これで国民に
嫌気がさし、政権交代に繋がりました。
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結局のところ、「自民党の内部分裂」が発端なので、党内政争が最大因子じゃないですか?



その一発目が1993年の8党連立の細川政権で。
自民党非主流派の造反が引き金や中心となって、倒閣や政権奪取には成功したものの、さすがに烏合の衆では全く政権運営の調整が付かず、ド短命の運命となりましたが、野党連立政権の練習みたいな意義はあったんじゃないですかね?

その残党が少しは成長し、民主党を主軸に集結したのが2009年の政権交代ですが、まだまだ練習不足だし、民主党自体が烏合の衆と言う有様。
「日本も二大政党制に突入?」と言う期待を裏切った罪は重く、結果、憲政史上最長の第二次安倍政権誕生を、お膳立てした感じです。

安倍一強とも言われましたけど、下野した民主党が弱体化しすぎて、問題だらけの安倍政権の倒閣も出来なかったと言う方が、安倍政権が長期化した最大の理由と思いますね。

一方、これらの政権交代の中で、最もダメージを食らったのは社会党でしょう。
55年体制下では不動の野党第一党であった社会党は、今やその面影もなく、もはや政党の体も成してません。

あるいは公明党も、野党時代はほぼ不動の野党第二党でしたが、連立与党の座と引き換えに、野党時代よりは議席を減らしてますので、もし連立を解消したら、中小野党に甘んじ、かなり辛い立場に置かれそうです。
従い当面は、自民党のコバンザメ的な立場で、存在感を保持する道を選択するしかなさそうです。
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