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私は西郷(隆盛)先生を慕う者ですが、西郷先生自身、友といえるのは「橋本左内だけ」と話され、まさにその死のとき懐中には橋本左内からの手紙を大切に持っていたとの事です。大変失礼ながら私は福井県については、どの辺にあるかぐらいしか知りませんでした。この事実を知って自分なりに書籍やインターネットで橋本左内について調べているところです。しかし晋作や竜馬他の人気者達と違って情報は非常に少なく思い入れのあるような方も見当たりません。そのような方がおられましたら人物の素晴らしさや、福井を訪ねる際に行くべきところなどお教え願えれば幸いです。よろしくお願いいたします。

A 回答 (2件)

ちょっと先になりますが、5月11日(水)から7月13日(水)まで、福井市の郷土歴史博物館で、特別展「 橋本左内を知っていますか 」が開かれます。


なかでも、6月18日(土)午後2時から角鹿尚計氏の講演があります。

http://www.history.museum.city.fukui.fukui.jp/

あと、こちらのページも参考にしてください。

http://www.city.fukui.fukui.jp/eibun/page/ijin/

参考URL:http://www.history.museum.city.fukui.fukui.jp/,http://www.city.fukui.fukui.jp/eibun/page/ijin/
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私もどちらかというと西郷さんに思い入れのある人間です^^;


私の持っている西郷さんの本の中の橋本佐内は、西郷さんの師匠にあたる島津斉彬公が一橋慶喜を擁立して幕府内での発言権を強めて幕政改革しようとする考えを、すでに20代前半の若さで知っており、さらに一橋慶喜を将軍にするには水戸嫌いの大奥を何とかすることが一番の問題だと西郷さんに伝えていた場面がありました。

考え方は島津斉彬公と、安部正弘、松平慶永といったいわゆる一橋派とほとんど同じ路線のものを持ち合わせていた人物だったと思われます。ご存知と思いますがこの時点では倒幕ではなく、あくまで幕政を改革して国家を近代化するという考えなのだろうと思います。

私もネットで探しましたが本当にないですね。
あくまで私個人の考えですが、当時の日本には斉彬公ほどの統一した日本近代化の思想を持っていた人間は少なかったのではないかと思うんです。後の長州藩でさえ、尊皇攘夷の心は持っていても、近代化することの難しさ、外国が介入してくると近代化は成功しないということ。幕府の存在のあり方などまだまだ考えが足りない部分がありました。下関で戦争して負けるまで外国の脅威に気づくことがありませんでした。
斉彬公が一番心を砕いていたのは、(1)外国がアジアに迫る中、一刻も早く近代化すべきだという事。七十余国が一丸となって外国に対する中央集権国家を樹立しない限り日本、アジア共に欧米の奴隷と化してしまう事。(2)しかし、近代化を急ぐ中でも外国には絶対に介入させてはならない事(そのために国内の内乱は極力避けること)。(3)それゆえ幕政改革が必要であり、そのために一橋慶喜公に将軍になってもらう事(それ程の人物だったらしいです)。一橋公を将軍にするためには幕府内で発言力を得る必要があり、それに全力を注ぐ事。そしてそれは薩摩藩一国のみでなく各藩と連合して行う事。
と大まかに言えばこの3つです。しかし、これを理解している人物は先に述べた一橋派と呼ばれる人々のみで、それを明確に理解し、さらに問題点まで見抜き、しかもあの若さで藩に認められてるという所が、またこの日本という国を思い、苦慮している点が西郷さん自身や斉彬公とかさなり、共感を覚えられたのではないかと、私は解釈してます。勝手な解釈なので、人に間違いだと指摘されることもあるのですが、参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

なるほどなるほど。いやいやとても参考になりました。西郷先生はこの若き天才の中に斉彬公に通じる何かを見つけて惹かれていったのかも知れませんね。ネットには特に思い入れたサイトは無く幕末人物の中ではあまり人気は無いようです。しかしこの人がもう少し長く活躍できたなら、幕末の展開も単に倒幕ではなく、うまく言えませんが、もっとこうわくわくしたスリリングなものになっていたのではという気がします。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/03/19 01:06

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