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先に、「<形式名詞>という誤り」
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/12815657.html

で指摘の通り、<抽象名詞>「の」を正しく単語として理解できないため、現在の文法論では「のだ」「ので」「のに」を一語とし<接続助詞>という誤った品詞分類をしている。

精選版 日本国語大辞典「ので」の解説
の‐で
〘接助〙 (格助詞「の(一)①」に断定の助動詞「だ」の連用形の付いてできたもの。→補注(1)) 活用語の連体形を受け、順接条件としての原因・理由を示す。→補注(2)。
※歌舞伎・好色伝受(1693)中「会ひたいと思ふので、殿の御座るも眼が付かなんだ」
[補注](1)語源については「の」に格助詞の「で」が付いたものとする説もある〔「助詞助動詞詳説」など〕。

これは、「<形容動詞>という誤り」
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/12798219.html

での指摘と同様に一語とは何かを明確にできない現在の言語論の欠陥を露呈するものである。このため、学習者から「弟が運動場へ急いでいるの「で」ってなぜ接続助詞なのでしょうか」
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/questio …

などという疑問が提起され、これに正しい回答ができないというのが現実である。これは、「で」を無意識にではあるが一語と理解した真っ当な疑問、質問である。

本質問コーナーの回答者も同様なレベルではないかと推測されますが、こうした言語論、文法論の欠陥、現状を諸賢はどのようにお考えでしょうか?

A 回答 (1件)

日本語に限らず自然言語文法理論は、個別の語の個別の用法の個別の発話意図ごとに考察が必要である、という認識に至っており、つまり言語現象は混沌としたもんだ、ということを認めちゃっている。

ですから、品詞論なんざもちろん瀕死の論であることは、別に専門家でなくたって周知の話です。
 そういう文脈において、「のだ」の機能を語用論の観点から統一的に説明しようとした
 名嶋義直 ノダの意味・機能
というなかなか秀逸な研究が出て、(もちろん、こんなもん認めんぞと自説旧説を擁護する連中は減らないにしても)結構光明が見えた気がしています。
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この回答へのお礼

早速の回答をありがとうございます。

言語現象は混沌としたもんだなどという関連性理論は話者の理解過程を飛び越えた丼ぶり勘定の現象論に過ぎないのではと愚考しております。

「のだ」の本質ではなく機能をあれこれ弄ぶことに一体どのような意義があるのか疑問に感じています。■

お礼日時:2022/02/26 12:24

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