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三重県津市で毎年10月に開催される「津まつり」というお祭りがありますが、ここで催される演し物の一つ「唐人踊り」の唐人というのは朝鮮人のことを指すそうです。確かに、着ている衣装はパジチョゴリみたいですね。

380年以上の歴史があるそうで、要するに当時の日本人は江戸時代は朝鮮人ではなくて唐人と呼んでいたらしいことが分かりますが、
明確に支那人と朝鮮人を日本人が区別するようになったのはいつの時代だとからなんでしょうか?

A 回答 (4件)

唐人がトウジンなのかカラビトなのか分かりませんが、少し調べたら『転じて外国人一般を指す』といった意味が書かれていました。



日本語で「カラ」というのは外国を意味する言葉として、古く奈良時代以前から使われてきた言葉です。中国が「唐」という国になったときに、外国を意味する「カラ」の代表格のように唐が使われ、そのために唐をカラと読むようになります。そのためにカラだけでなく唐という字そのものも、外国を意味する単語になります。なので国の唐がなくなった後も、唐と書いてカラと読んだり外国のことを指したりしています。
その『唐人』も、そのような外国の人という意味の言葉だろうと思います。
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> 要するに当時の日本人は江戸時代は朝鮮人ではなくて唐人と呼んでいたらしいことが分かりますが、



そのようなことはないだろうと思います。
https://enchiren.com/documents/map_bizen/%E6%9C% …
上の図の中にも見えるように唐人と朝鮮人を記しているモノもあります。
「唐人」の語の用法には、ただ「外人」のようなものありますが、だからといって、朝鮮人も、中国人も、オランダ人、イギリス人も区別がないということではないです。 唐人で一括してしまうこともあるだけです。 西洋人、イギリス人、清国人、モンゴル人も、朝鮮人、ロシア人も区別するときには区別していたのです。
江戸時代ならば、中国の唐の時代の詩への憧憬は強かったです。

朝鮮と中国を区別しないということはあり得ず、朝鮮も中国と同レベルに感じて遇してしまうのではないかと危惧した一種の国粋主義の人が、朝鮮をことさらに蔑視しようとしたということなら、実際にありました。
https://tei1937.blog.fc2.com/blog-entry-671.html
なお、文書では「朝鮮人」は江戸時代でも頻出します。
http://base1.nijl.ac.jp/iview/Frame.jsp?DB_ID=G0 …
https://www.lib.pref.fukuoka.jp/hp/kyoudo/tyouse …
file:///C:/Users/hiroomi/AppData/Local/Temp/%EF%BC%92%EF%BC%90%E8%B3%87%E6%96%99%E7%9B%AE%E9%8C%B2.pdf

おそらく 高麗、高麗人と言っていた時代が長いのだと思います。
中国の漢、唐、宋、元、明、清と、朝鮮とを、同じ種?類?と思うような人は、僧侶や文字を読み書きする人、儒教や朱子学を学んだ人の中にはいなかったでしょう。
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唐人てのは外国人、という意味です。



唐人お吉、なんてのが有名で
西洋人も唐人でした。



明確に支那人と朝鮮人を日本人が区別するようになったのは
いつの時代だとからなんでしょうか?
 ↑
WIKによると。

江戸時代中期以降に、それまで唐人などと呼んでいた
清国人を支那人と呼ぶべきとする主張が起こり、
この用語は、比較的すぐ普及した。

また、戦前から戦後初期にかけて、日本に渡ってきた
中国人が日本語では自らを支那人と名乗ることが多かった。

例えば魯迅も自らを支那人と呼んでいた。

維新後に、「支那人」との呼称が一般化していった。
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唐人は現代語なら「外人」であって「唐(国)人」の意味ではありません。


だすら西洋人は「毛唐」なんですね。

当時でも朝鮮国人と清国人の区別が付く人はしていたし、今でも区別が付かない人は沢山居ますね。
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