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最近思うんですが、歴史学の知見が時代とともに変化しやすいのは、新しい発見や研究の進歩によるものというよりも、歴史上の現象に対する認識がイデオロギーと強く結びついており、その時代の社会情勢等に常に影響を受けやすいからではないですか?

A 回答 (12件中1~10件)

私は違うと思います。


年代を特定できる技術などの科学の進歩が大きいと思います。

歴史的な出来事は大別して以下の三つに分けられると思います。
①記録が残っていないので何が起きたかわからない。
②時の権力者が過去の記録やその時の記録をすり替えた。
③歴史的な出来事の詳細を後年になって粉飾した。

日本の古墳時代までは①に該当すると思います。
②は中国や李氏朝鮮で散見され、日本では少ないと思いますが、西郷隆盛の征韓論はこの事例になると思います。

③は非常に多いと思います。NHKのテレビ番組で関ヶ原の戦いについて検証していましたが、家康が小早川秀秋に鉄砲を打って裏切りを催促した話は後年の作り話だったとか、いろいろと面白かったです。

天皇家の歴史に限った話だとは思いますが、南朝・北朝の正当性については時代とともに変化していますので、③の事例については質問者様の考えているようなことが起きている可能性あります。

余談ですが、日本の戦国時代のドラマは歴史的な出来事が割と細かいところまでガチガチなので物語としてはあまり面白くないと思います。それに対して、韓国の歴史ドラマは歴史的な出来事と出来事の間の自由度が大きいのでドラマとしては非常に面白いと思います。
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還暦世代の爺さんの時代で言うと、


考古学の専門誌で、日本人のルーツに関する考え方を巡って、韓国人と日本人のトップクラスの研究者がイデオロギーと権威主義全開で議論を繰り広げてましたよ。議論と言うより、非難・中傷合戦に近い感じ。それが一般誌じゃなく、学者たちの論文の投稿先となる専門誌の出来事です。

でも、日本人のルーツを解き明かしたのは、権威ある学者ではなくて、その頃には見向きもされていなかった若い考古学研究者たちが、医学の分野から持ち込んだ遺伝子解析という手法でした。

現代に残る遺跡や遺物から推測すると……という権威者の「推測」が、
祖先から子孫に伝えられる遺伝子では……という「事実」で明確に示されたんですね。

イデオロギーが、有無を言わせぬ事実で解明され、歴史的な共通認識になることもあるんですね。
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学問としての歴史自体が浅いというのもあります。


江戸時代までは分かりやすいというか大衆受けする話にすり替えられて伝えられているものがたくさんありましたからね。
またイデオロギー云々もその通りで、戦前などは天皇崇拝がきつくて、ヤマト王権以前に各地を支配していた豪族が居たのでは?などと言おうものなら、神話時代から日本の支配者であった天皇家を愚弄するとは云々wと拷問を受け殺されてもおかしくない状況でしたから、天皇マンセーという学者?ばかりでした。そういうやつらが戦後も長生きして昭和の時代まで歴史学を支配していましたし、そのようなのについて研究していた者が今でも牛耳っているようなところもありますから、まだまだ歴史学という学問自体が、科学と呼べるようなレベルではないところも多々あったりします。
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> 最近思うんですが、歴史学の知見が時代とともに変化しやすい



どのようなことを見聞して、[歴史学の知見が時代とともに変化しやすい]と思ったのでしょうか。
「歴史学の知見」、「歴史学の知見が時代とともに変化」の両方を示さないと、ただの誤解や思い込みで、「最近思ってしまった」ということかもしれません。

https://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-18 …
史学の分野においても、近年、学術的な活動の研究成果が、新しい知見として、社会的注目を集めることが多くなった。
これは、新しい研究分野への積極的な取り組み、学問に対する柔軟な視点が重視され、そのような新知見を生み出す姿勢が尊重されてきたことによる当然の結果である。
新知見が学術的に評価されるためには、厳密な検証システムにもとづく裏
づけが必要なことはいうまでもない。そこでは、科学的な根拠の提示と検証が欠かせない。地層分析、年代測定、文書の紙質・筆蹟・花押などの分析といった伝統的な検証の方法に加えて、さまざまな分野の研究成果の利用や、最新技術の導入はすでに始まっているが、そのいっそうの発展が必要である。同時に、数多くの事例研究、比較研究が重要であり、資料の利用の平等・公開が不可欠である。新しい知見については、研究者による十分な吟味が重要であり、諸学会が主体的に組織する研究会・シンポジウムなどを介した自由な相互批判の機会を重ねることが必要である。学会誌は、在来の研究分野やテーマに限定されることなく、多面的な視野に立った編集が肝要である。書評や評論などは、ともすれば仲間内の褒め合いになり、同じ研究分野の執筆者・関係者の範囲に限られた評価にとどまっている場合も存在することは否定できない。なお学会誌は、学説批判、史料批判の類を幅広く掲載していくことが望まれる。研究成果の多面的な検証、相互批判については、開かれた研究発表の機会・場の保証が必要であり、関係学会があまた存在している歴史学界の現状においては、そのような公開性を保証するための特別な努力が欠かせない。さらに新しい知見を検証する場は、国際的にも積極的に開いていく必要がある。日本における資料状況、研究状況を、諸外国の研究者に広く伝え、国際的に意見を交流する機会を今まで以上に拡げていくことが重要である。

時代が進めば、仮に新資料がなくとも、新技術で新しい知見が得られ、従来の理解が誤りであることも判明することもあり、結果として従来の理解が改められることはありますが、そのことは「時代とともに、知見が変化しにくくなる」ことになります。 従来は判然としていなかった、見解に幅や異論のあったものが範囲が絞られたり、誤解が正されていって、次第次第にちょっとづつ知見が固まっていくようなものです。 
「時代とともに、知見が変化しやすくなる」ことにはなりません。

歴史学ではなく、単に思い込みのようなものならば、社会の関心の赴き、価値観の変化で人気や視点が変わりますから、社会の状況変化が短期で生じやすい大衆情報化社会の現状では、映画演劇、ドラマ、出版、ネットでみている範囲ならば、「最近思うんですが」のような感覚になる人が出てくるのはあり得ることです。
特に人間ドラマの仕立てなら、小説家、脚本家、プロデューサ、映画会社、テレビ局、また、「~~の真実」「謎の~~」「~~を解く」のような本で印税や出版履歴獲得を目指す気鋭の執筆家の出番です。 
それらと歴史学の知見とをゴチャゴチャにしてはダメです。
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そういう面は確かにあります。



歴史は、本来科学のはずです。
だから、歴史の知見が変化するとすれば
それは新発見や検証技術の進歩に負うべきで
それ以外は無いはずです。

しかし、実際は違いますね。
その時々のイデオロギーに左右される
のが現実です。

たとえば、マルクス史観によれば
過去に遡るほど悲惨でなければならず
事実、そうした歴史観が大勢を占めて
いた時代がありました。

江戸時代の庶民、農民の生活は
悲惨だったはずだ。
だから悲惨だ。

しかし、実証研究が進むと
結構豊かな生活をしていたことが
明らかになります。

これなどは、歴史がイデオロギーに
左右される典型です。



歴史上の現象に対する認識がイデオロギーと強く結びついており、
その時代の社会情勢等に常に影響を受けやすいからではないですか?
  ↑
その通りなのですが、ではどうして
イデオロギーと結び付いてしまうのか。

それは、国民を統治するためです。
国家、というのは、日本のような国では
血と歴史を共有する人々の集合、という面が
あるからです。

歴史教育をすることにより、国民という
意識を醸成させることができます。

国民意識など、日本では当たり前ですが。
途上国ではこれが希薄なんです。
だから、年がら年中揉めている訳で、
そのために途上国のままなのです。

誇るべき歴史が無い国、現政権にとって
都合の悪い歴史を持つ国では
ねつ造した歴史を教え、なんとかして
国民をまとめようとします。
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イデオロギー云々による変化は歴史学の知見と言うよりは歴史的人物ないし出来事に対する評価と言うべきだと思います。

なお歴史学上の新しい史料等の発見によっても評価が変化する場合があるようです。
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>その時代の社会情勢等に常に影響を受けやすいからではないですか?


その、代表例が天下の謀反人とされた、足利尊氏でしょう。
朝廷に政権を戻しましたが、後醍醐天皇は元の公家の世にする、政策
を取り行ったので、当然、武家が反発しましす、武士の不満を引き受け
政権を取り返して、時代の時流に乗って武家の世に、したのです。

明治政府の政策に不満を持つ武家軍を率いて、反乱を起こし自害したのが
西郷隆盛です。
他の武家の支持を得られず、失敗した、西郷隆盛は上野に銅像が作られ、
多くの武家に支持されて、成功した足利尊氏は天下の謀反人となり、
時流を読めず、足利尊氏に破れた、楠木正成は大楠公として、皇居前に
銅像が建てられています。

未だに肩身の狭い思いで暮らしている、足利市民が居ます、歴史の記述
から、謀反人の項目を削除して、解放して、やって貰いたいと思ってます。
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歴史だけに限らず



個人の認識って千差万別だから
実際には事実や真実って
ないのかも知れないですよ


歴史は、その時代に行って確認することが出来ないから

あくまでも、考察や推論の積み重ねであって

歴史的事実なんて言葉は
( ̄~ ̄;)怪しい話ですもんね

歴史の変化が社会情勢の変化によるものが大きいってな話だけど

受け取りやすいように改竄された歴史を垂れ流してる場合なんかは
そうみたいですね

地道に古書の発掘や研究など
地道に歴史を調べてる人々がいてるから
社会情勢の変化だけによるものではないとは、付け加えときますね
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韓国の捏造史観を観るとその通りでしょうね。


中国や北朝鮮も共産主義の影響を強く受けていますし、日本にしても皇国史観やその反動で登場した自虐史観もそうでしょう。

とはいえ、日本に関しては、新発見や世界史レベルとの比較検討史学、気象学・推計学など自然科学系からの新しい切り口の導入など研究の多角化によって、従来とは違った観点の新説が数多く誕生していることも間違いありません。
今の日本史学界に関しては、どちらかと云えばイデオロギーから切り離された自由度の高い研究が為されていると思います。

もちろん、小説家など多少専門家から外れた人たちも歴史小説や歴史書的なものを執筆したり発表したりしていますが、これらは自分の信じるイデオロギーに基づいて、歴史をつまみ食いしていることが多いですね。
これはこれで読み物としては面白いですし、様々な観点からの説が出版・発表されていますので、これも自由度の高さの現われでしょうか。読み比べることができるのもありがたい話です。
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歴史は勝者のものと言われます。

ただし、真実は勝敗とは別ですので、仰る通りと思います。日本の敗戦は共産主義イデオロギーによる敗戦革命の影響が強く、戦後長らくこのリベラリストが、歴史を支配する事実があります。そのため、日本人は特に感じられるのでは無いでしょうか。
1946年11月16日内閣告示の当用漢字は、その最たる例でしょう。これにより、戦前の書籍が一気に読み難くなり、歴史は分断されます。結果的に、イデオロギーに汚染された情報が流布しても、その検証が一般市民には難しくなりました。
下記の、1852年にニューヨークで発刊された、この日本に関する書籍を読むと、イデオロギー情報に洗脳されていた事が解り、愕然とするかも知れません。
【日本1852: ペリー遠征計画の基礎資料 渡辺惣樹(著)】
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