プロが教えるわが家の防犯対策術!

慶應義塾大学ではどんなに優れた業績を残した偉い大学教授でも先生と言ってはいけないのです。おかしいとは思いませんか?慶應義塾大学では先生とは既に亡くなった故人の福沢諭吉だけとか。
あり得ないですね。学生は別にして、職員や先生同士は皆君で呼ばないといけないそうです。幼稚園、小学校、でも先生は皆先生です。例えば偉い教授が休講の場合でも「ーーー君休講」とか、といって掲示するそうです。笑っちゃいますね。今時、何を考えているのかと。おそらく慶応大学の教授がノーベル賞を受賞した時でも「---君ノーベル賞受賞おめでとう」とかという垂れ幕を出すと思います。大変違和感を覚えます。その受賞者に対しても失礼なことです。この古臭い体質について、皆さんはどう思いますか?

A 回答 (6件)

>慶應義塾大学ではどんなに優れた業績を残した偉い大学教授でも先生と言ってはいけないのです。


かまいませんよ。
学校の発する文書では使わないだけ。
他の大学でも文書で「先生」は使いませんね。教授、准教授、講師等でしょう。


>でも先生は皆先生です。
教員同士で「先生」などと呼ぶところの方が今は希少ですね。

>笑っちゃいますね。
あなたの無知をね。
    • good
    • 0

単なるローカル・ルールです。

関わりのある人は、従ってあげればよいと思います。正しいとか、正しくないとか、間違っている、とかとは関係ないです。
そうしたことを守ることに価値観があるという組織の考え方であるとともに、それを継承・継続して来ているのですから。
ただ、多くの関わりのない人々にとっては、どうでもよいことです。
    • good
    • 4
この回答へのお礼

そういうことです。典型的な一種の宗教的ローカルルールですね。
他人にはどうでもいいことであって、賛同する人は賛同すればいい。いやな人は嫌いになればいいだけのこと。慶応大学学内にも「お妾さんを沢山作っていた小泉信三」が大嫌いな教授は大勢います。講義の最中に、「私は小泉信三は嫌いです。」と学生にいう教授も何人か知っています。福沢諭吉が嫌いな人がいてもいいし、宗教的に信奉する人がいてもいいということです。しかし今時、北朝鮮じゃあるまいし偶像崇拝みたいなことで珍しいことです。いつまでこの崇拝信仰がこの大学で続くのかを見てみたいです。

お礼日時:2022/04/26 12:01

「そう言う考え方もある」と言うだけであって何の問題もないと思います。

現役の教授がないがしろにされていると言った事があれば問題かもしれませんが、質問文を読む限りそんな事はないようですし。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

そういうことです。単なるローカルルールであり、単なる宗教の一種といえます。創価学会やオウム真理教のような。

お礼日時:2022/04/28 17:57

そんなことないよ。

学内では普通に先生と呼んでいる。

ただし文書や掲示板、対外的に示す時は、教員は全員「君づけ」で呼ぶ伝統がある。
その中で先生と呼ばれるのは福沢諭吉先生と小泉信三先生。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答有難うございます。それは誰でもわかっています。小泉信三は嫌っている塾員もいる。妾を何人もつくっていたそうだ。一種の宗教みたいです。宗教は恐ろしい。内部にいるとそれが当たり前となってしまう。

お礼日時:2022/04/26 08:37

そういう宗教なのです。


慶應義塾はそれに共感した人以外はいらないのです
    • good
    • 0
この回答へのお礼

そいうこと。一種の宗教です。創価学会やオウム真理教と同じ。内部にいるとそれが当然と思うが、外部から冷静に見ると違和感を覚える。塾生や塾員でもおかしいと思っている人はいくらでもいる。そろそろ変革の時期が来ています。

お礼日時:2022/04/26 08:39

別にいいんじゃない?


そういう風土が、今の慶應を作ったとも言えますから。
古臭い体質と言ったって、私学の雄には変わりありませんよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

私学の雄はどうでもいいことで、それは別にしてそういうローカルルールであり、宗教の一種でもあります。慶応内部にもこの偶像崇拝的信仰を嫌がる人もいるし。妾を何人もかこっていた小泉信三を嫌う人もいます。ひょっとして福澤諭吉を嫌う人もいるかもしれない。社中にも塾員にも塾生にも。いたとしても不思議ではない。

お礼日時:2022/04/28 18:03

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!