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日本語学習者の方や日本語教師の方、歓迎いたします。

2.【が】について
構文:「A が B 」
本質的意義: [ 主格補語の指定 ]
ー「が」は A を主格補語として指定する。
意味:
「B について言うならば A だ」(総記)
「A が B だ」(中立叙述)

※※※※※
ここで、「主格補語」の定義についての解説を挿入しておく必要があるだろう。
ここでの「主格補語」とは、

主格であると同時に述語の意味を補う役割を果たす連用修飾語

というものである。
では「補う」とは何ぞや?
と言うと「足りないところに足す。十分な状態にする」という意味。
「栄養の不足を点滴で補う」「説明を補う」などと表現する。
「述語の意味を補う」とは、述語だけでは意味が不十分なところに加えて十分な状態にするという意味であり、そのような役割を果たす連用修飾語が補語である。
実際の例で見ていこう。

・太郎が花子に本をあげた。

という文においては、「太郎が」は主語、「花子に」が補語で「本を」は目的語とするのが一般的かもしれないが、三上章(主語無用論)は

太郎が(連用修飾語) ⇒(あげた):主格補語
花子に(連用修飾語) ⇒(あげた):与格補語
本を (連用修飾語) ⇒(あげた):対格補語

のように、どれも同等の連用修飾語として捉えており、今回はその見解を部分的に踏襲する。
(「部分的に」とは、三上は主格や主語という概念自体を否定しているが、当記事では主格や主語を否定しないまま主格補語という概念自体は踏襲する、という意味)
いずれにせよ、
誰にあげたのか?という意味を補うために「花子に」と補語(与格:間接目的語)を使うように、
何をあげたのか?という意味を補うために「本を」と補語(対格:直接目的語)を使うように、
誰があげたのか?という意味を補うために「太郎が」と補語(主格:主語)を使う、という視点に着目していただきたい。
ここは三上の慧眼が示されている箇所ではなかろうか。
そして、「が」の本質に深く関わってくる視点と言える。

・太郎は花子に本をあげた。

の「太郎」はあくまで主題であり、補語では(むろん連用修飾語でも)ない。
この「太郎」は「花子に本をあげた」という述部が展開されるにあたって主題として提示されたものなのであり、「あげた」という述語の意味を補っているわけではないのだ。
「これから太郎について話しますよ・・・」という主題の宣言にすぎない。
要点をまとめると、

「太郎が」は主格としての役割を果たす以上に、「花子に」や「本を」と同じく、あくまで《(「あげた」という)述語の意味を補う連用修飾語としての役割》を果たす。

ということだ。
※※※※※
以上を踏まえた上で次に進む。

(ア)
確認だが、「A が B 」は、述語 B の意味を補うために A を主格補語(連用修飾語)として指定している構文である。
指定とは「指して定めること」という意味。
定まってないから定めるのであり、

主格補語 A は、聞き手にとって未知情報でなければならない。

聞き手にとって未知の情報だけが主格補語 A になり得る。
この場合の未知情報とは、あくまで「用言の主格としては未知」という意味である。

(A 以外を意識しながら A を主格補語指定する場合ー排他のための主格補語指定ー)
2-a. (父でも姉でもなく)私が社長だ。
2-b. (他の花ではなく)桜が咲いた。
2-c. (鮫ではなく)鯨が哺乳類だ。

2-a. 「私が」は「私について」言っている文ではないという点が重要だ。
では何について言っているのか?
といえば、述語の「社長だ」という内容について言っているのである。
「私」の他に父や姉が同席している状況などで、誰かから「社長はどなたですか?」と尋ねられたときの回答として成立する構文であるから、《述語=「社長だ」》となる点に関しては確定しているということに気づかなくてはならない。
つまり「社長(だ)」について「それは誰か?」という意味を補うために、(それは誰かと言えば)「私が(そうだ=社長だ)」と言っているのである。
「排他」とは《そのシチュエーションで求められている答えを(抜き出して)提示する》という用法である。

(父でも姉でもなく)という前提で発話したい状況にある場合、「私について言えば~」を意味する「私は」という構文は使わない。
「父でも姉でもなく、私について言えば社長だ」
こんな構文はあり得ないだろう。
( [ 社長は ] 父でも姉でもなく)という意味なのだから社長について述べようとしている文であり、「社長だ」という述語を補う形で「私が」と主格補語を指定すればよいのである。
「私が社長だ」と「社長は私だ」は同値である。

連用修飾語であるから「私が」は「社長だ」を直接的に修飾している。
(※「修飾」:文法で,ある語句が他の語句にかかって,その意味をくわしくしたり限定したりすること)
直接的に修飾することで「社長だ」という述語の意味を補っている。
前述したように、これは述語が「社長だ」という点に関しては確定しているシチュエーションである。
この述語に対して、当然のこととして想定される「誰が?」という暗黙の疑問に対応する答えとして「私が」という主格が補われているわけだ。
それゆえの「主格補語」である。

1ーa. (父は会長、姉は専務だが)私は社長だ。
1ーe. (単純な自己紹介などで)私は社長だ。
のように言う場合、「私は」は「社長だ」を直接的に修飾しているわけではない。
つまり、「私は」には「社長だ」という述語の意味を補おうとする意図はないのである。
「私について言うならば」という主題提示は、あくまで独立しているのであり、単に主題(話題)を提供しているだけなのだ。
「私は」の後に、「社長とは名ばかりで、姉の専務が実権を握っております」といった文が続いてもまったく自然だ。
「社長とは名ばかりで、姉の専務が実権を握っております」という内容が、「私について言うならば」すなわち「私は」という主題提示に引き続いて陳述された私に関する情報なのである。
「私は」は述語に対する連用修飾語ではない。

(イ)
ここで、
(対比用法)

(排他用法)
と比較してみると、対比・排他の区別はあれ、どちらも「A 以外を除外する要素」を伴なっていることがわかる。
要するに用法の意図が酷似している。
どちらも《A 以外を意識して》主題提示したり主格補語を指定したりしているのだから。
この意味で日本語学習者にとって、

1ーa. (父は会長、姉は専務だが)私〇社長だ。
2-a. (父でも姉でもなく)私〇社長だ。                                          

といった穴埋め問題で戸惑いが生じるのではないか。
この場合、対比か排他かという二義的な問題から離れて、主題提示と主格補語の指定という本質的差異に思考を巡らせると良いだろう。

1ーa. (父は会長、姉は専務だが)という前提は「次は私について言ってみれば~」という「私」の主題提示を導いているし、
2-a. (父でも姉でもなく)という前提は( [ 社長は ] 父でも姉でもなく)という意味なのだから「社長だ」についての表現であることは確定しており、(父でも姉でもなく・・)⇒では何なのか? に対する意味を補うべく「私」を主格補語として指定してやればよい。
ということに気づきやすくなるのではないか。

(ウ)
さて、
2-a. (父でも姉でもなく)私が社長だ。
という文に関して、《「社長(だ)」について「それは誰か?」という意味を補うために、(それは誰かと言えば)「私が(そうだ=社長だ)」と言っているのである。》
と述べた。
ここでは、

(A 以外を意識せずに A を主格補語指定する場合ー中立叙述のための主格補語指定ーー)
2-d. (散歩の途中でふと気がついて)桜が咲いた。

と述懐する構文についても触れておかねばならない。

2-b. (他の花ではなく)桜が咲いた。(排他)

という場合は、
《「咲いた」について「(それは何かと言えば)桜が(そうだ=咲いた)」と言っている》構文になるのであるが、

2-d. (散歩の途中でふと気がついて)桜が咲いた。

の場合は、あくまで、
「桜が咲いた」という命題全体について言っている構文である。
ただ、「桜」が「咲いた」の主格補語である点は変わらない。
つまり「咲いたこと」について言っている点は同じであるが、桜以外の排他を意識しているわけではないため、(それは何かと言えば)のように桜を取り立てる構文にはならない、ということである。
前述したところの《そのシチュエーションで求められている答えを(抜き出して)提示する》という排他の意図は全くない。
取り立てられなかった(抜き出されたわけではない)「桜」は、「咲いた」の主格補語として添え物のようにひっそりと付き従うしかなくなる。

これが中立叙述であるが、
「A が B 」という構文において、
A 以外を意識した主格補語指定(排他)と
A 以外を意識しない主格補語指定(中立叙述)
という違いがあるだけである。
いずれにしても、「が」は主格であると同時に述語の意味を補う役割を果たす連用修飾語であり、 [ 主格補語を指定する ]というのが本義であることさえ押さえておけば、A 以外を意識しようがしまいが「主題提示」の「は」と混同することはなくなるはずだ、と期待しておきたい。

質問者からの補足コメント

A 回答 (93件中61~70件)

>>一理あると思います。

でも再三書いているように、それだけでは片づけられない例はたくさんあると思います。

その通り。
単にその場凌ぎの思い附きです。

何ら論理性がありません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

自分の発言の矛盾を覆い隠そうと、必死ですな?(大笑)(大笑)(大笑)

お礼日時:2022/10/07 12:39

>>君は何もわかっておらんのだよ。



正しく君は何もわかっておらんのだよ。

>>「おばあさん」は特殊性だとほざいておる。

この粗雑な日本語は一体なんじゃ!!

回答以前に質問になっておらんと何度も指摘しておるが理解出来んのか!!

それにy/N の回答を要求するようでは単細胞の塊そのものではないか!!!
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>>「おばあさん」は特殊性だとほざいておる。
この粗雑な日本語は一体なんじゃ!!

君は#7で、

《 * おばあさん【 は 】その桃を家に持ち帰りました。

ここでは、「おじいさん」ではなく「おばあさん」という「おじいさん」との比較対象による「おばあさん」の特殊性が「は」で表されています。》

と宣っていたはずだが、違うのかね???

「おばあさん」は特殊性なのか、そうでないのか、どちらかね???

>それにy/N の回答を要求するようでは単細胞の塊そのものではないか!!!

y/N の回答すらできんほうこそ《単細胞の塊そのもの》ではないのかね???(笑)

お礼日時:2022/10/07 13:04

>>「おばあさん」は特殊性なのか、そうでないのか、どちらかね???



こういう粗雑な質問をするから何にも判っとらんことが露呈するのじゃ!!

対象の特殊性の側面を捉えた認識の表現だということが理解できんのか?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>対象の特殊性の側面を捉えた認識の表現だということが理解できんのか?

ま、それはいいだろう。
ただ、当方が申しているのは、

 * おばあさん【 は 】その桃を家に持ち帰りました。

と言う場合の特殊性について、君は、
[ 「は」と「が」についてー検証 桃太郎 ] の
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/13168938.html?pg=3& …
#7で、

《ここでは、「おじいさん」ではなく「おばあさん」という「おじいさん」との比較対象による「おばあさん」の特殊性が「は」で表されています。》

と宣っている。

#11では、

《(おじいさん、他の人ではなくではなく、)おばあさん【 は 】~
という意味です。》

とも宣っている。
しかし、

《* おばあさん【 は 】その桃を家に持ち帰りました。》

と書いた作者に、
《「おじいさん」ではなく「おばあさん」》
あるいは、
《(おじいさん、他の人ではなくではなく、)おばあさん》
などという特殊性を認識していたわけはないだろ???

ということを申し上げているわけ。

どう思われますか???

お礼日時:2022/10/08 00:04

たとえば……。



「誰が4番ですか」
「大谷が4番です」

「4番は誰ですか」
「4番は大谷です」

 この
「大谷が4番です」
「4番は大谷です」
 のことを言いたいのが「シンガポール方式」だと当方は考えています。

 ですから、
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12673740886.html
 に下記のように書きました。ほとんど同じ考え方だと思います。
===========引用開始
 疑問文と「ハ」と「ガ」って話になると、〈疑問詞を使う場合は「ガ」〉という説が出ることがある。
  10) 誰ガ担当者ですか。
 たしかにハにはしにくい。ほとんど「不適切」だろう。
 語順を入れかえる。
  11) 担当者ハ誰ですか。
 これならガにはしにくい。ほとんど「不適切」だろう。
 つまり、〈疑問詞を使う場合は「ガ」〉ではなく、〈疑問詞に直接つくのは「ガ」〉ってことじゃないかな。〈疑問詞の前に来るのが「ハ」で、疑問詞の後につくのが「ガ」〉と言うべきかな。疑問詞の前に来ると〈主題のハ〉になる、とも言える。
 このあたりのことも、〈続【「は」と「が」】──雨が降るそうです/雨は降らないそうです 〉のトピに出てくる。雑音も多いけど、役に立つトピだ。
===========引用終了

 ただ、すでに書いたように、例外があります。
「ハ」と「ガ」の話は、誰の説に従っても〈例外があります〉。
 だから長らく議論が続いているのでしょう。
 今回質問者が書いた

>主題 A は、聞いて何をさし示しているか分かる既知情報でなければならない

 がどこまで妥当なのかは当方にはわかりませんが、すでに書いたように「現段階では無理と感じています」。
 先例もないんですよね。そんな説に当方は何もいえません。
 もしこういう考え方が成り立つなら、誰かがすでに書いていると思います。

 いずれにしても、どんなに新しい質問をしても、念仏コメントが邪魔で不愉快なので、当方は極力関わりたくありません。
 念仏コメントの論理的な欠陥をいくら指摘してもムダだと思いますよ。
 三浦つとむ氏なら理解可能な補足をしてくれるかもしれませんが、念仏コメントの主は、三浦氏の理論をなんとなく理解したつもりになっているだけなので、論理的な説明はできません。
 だから意味不明の罵倒の言葉を並べているのでしょう。誰にも理解されないのは主張がメチャクチャだからです。
 誰も理解できない、何度繰り返してもわからない……当たり前です。念仏コメントなんですから。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

1.
>「大谷が4番です」
「4番は大谷です」
 のことを言いたいのが「シンガポール方式」だと当方は考えています。

大谷が主題ということですね。
「主題」の定義についての問題なのでしょう。
特にこだわる気はありませんが、
「これから述べる内容、これから始まる会話などの中心となる題材(テーマ)」といった意味に捉える当方には、若干違和感が残りますね。

2.
>  10) 誰ガ担当者ですか。
 たしかにハにはしにくい。ほとんど「不適切」だろう。
 語順を入れかえる。
  11) 担当者ハ誰ですか。
 これならガにはしにくい。ほとんど「不適切」だろう。
 つまり、〈疑問詞を使う場合は「ガ」〉ではなく、〈疑問詞に直接つくのは「ガ」〉ってことじゃないかな。

それは順当な解釈だと思います。
これは既知未知論に当て嵌めると以下のように。

10) 「担当者ですか」という述部の主格が「誰」という未知の人物になっている。
11) 「担当者」という既知の役職が主題提示されている。

3.
>>主題 A は、聞いて何をさし示しているか分かる既知情報でなければならない

 がどこまで妥当なのかは当方にはわかりませんが、

逆にお尋ねしますが、

聞いて何をさし示しているか分からない未知情報でも主題提示できる、とお考えになりますか?

4.
> 三浦つとむ氏なら理解可能な補足をしてくれるかもしれませんが、念仏コメントの主は、三浦氏の理論をなんとなく理解したつもりになっているだけなので、論理的な説明はできません。

同感ですね。(笑)

お礼日時:2022/10/08 20:00

>>《(おじいさん、他の人ではなくではなく、)おばあさん》


などという特殊性を認識していたわけはないだろ???
ということを申し上げているわけ。

なくはありませんが、あくまで「おばあさんは」という「おばあさん」の特殊性の認識を「は」で表しているということです。

上記は貴方が特殊なケースを想定していたので、それに合わせたということです。■
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>なくはありませんが、あくまで「おばあさんは」という「おばあさん」の特殊性の認識を「は」で表しているということです。
上記は貴方が特殊なケースを想定していたので、それに合わせたということです。

 * おばあさん【 は 】その桃を家に持ち帰りました。

これが、《特殊なケース》なのかね???
そんなわけないよな?

君が《特殊性》の意味を理解しとらんというだけの話なのだよ?
だから、こういう頓珍漢なコメントを平気ですることになるわけだ。

お礼日時:2022/10/08 23:19

>> つまり、〈疑問詞を使う場合は「ガ」〉ではなく、〈疑問詞に直接つくのは「ガ」〉ってことじゃないかな。

〈疑問詞の前に来るのが「ハ」で、疑問詞の後につくのが「ガ」〉と言うべきかな。疑問詞の前に来ると〈主題のハ〉になる、とも言える。

これは単に語順という表面的、形式的な視点でしかなく、話者の認識を捉えることができていません。

疑問というのは、実際には、【何かに気づいたから疑問を出す】という場合が少なくありません。帰宅したところが、玄関に家族のものでない靴がそろえてあった。この靴を見たことから、誰か客が来たことを推定する。つまり、

靴から人物を考えたこの既知が、「誰【が】来たのか?」という家人への質問の前提であり、「〔靴を見たが〕誰【が】来たのか?」というかたちの表現にもなります。

もし靴が二足なら「誰と誰【が】来たのか?」と質問する。「誰」を二つならべるところに、二人という既知が表現されるわけです。

しかしこの場合の【誰】は、【靴の存在から抽象的に個別的な人物としてとらえられた既知に関係しているだけであって、それ以上何らその人物について知っているわけではありません】。だから個別的な存在を疑う「が」を使って「誰【が】」としかいえません。

「誰【は】来たのか?」といわないのは、特殊性や普遍性についても何も知っていないからです。

「どれ」や「どこ」も、「このオモチャの中でどれ【が】ほしい?」「新婚旅行はどこ【が】いい?」のようにやはり既知の部分が前提になるし、同様に抽象的な事物や場所として把握しているだけであるから、やはり「が」しか使えません。

眼前の特殊な対象を捉え、「これ【は】何ですか?」と質問し、「これ【は】昔の用具です筆記です。」のように答えます。

そして、眼前の対象そのものを個別に捉えれば、「これ【が】あのTVで紹介されていたものですね!」のように「が」を使用します。

又、バスガイドは「右に見えますの【は】~」「左に見えますの【は】~」と「右に見えますの【が】~」「左に見えますの【が】~」を客の感心に合わせ使い分けます。

このように、疑問文などでも対象に対する認識の相違によって「は」「が」を使い分けることになります。単に語順という表面的、形式的な問題ではないということです。■
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

ま、横やりになるから、後はトビさんに任せるが、ひとつだけ触れておこう。
君は根本的な、且つ、極めて重大な勘違いをしていることがよくわかる例だ。

>「どれ」や「どこ」も、「このオモチャの中でどれ【が】ほしい?」「新婚旅行はどこ【が】いい?」のようにやはり既知の部分が前提になるし、同様に抽象的な事物や場所として把握しているだけであるから、やはり「が」しか使えません。

「どれ」や「どこ」が既知であるなら、なぜ、

どれ【が】ほしい?
どこ【が】いい?

という疑問文になるのか?
この本質的な矛盾に気づかなくてはいけない。
つまり、この文に(限らないのだが)おける「が」の役割は、「ほしい?」「いい?」という述語の主格として、「どれ」「どこ」という【未知】を示すことなのだよ。
「ほしいのは何か?」「いいのは何か?」それがわからないから尋ねるわけだろ。
判らないから尋ねるのに、それが既知だとういうのはおかしな論理だと思わんかね?
「どれ自体」や「どこ自体」が既知であるか未知であるかは、「が」の意義にとって何の関係もないのだよ。

お礼日時:2022/10/09 00:18

相変わらず、君は根本的な、且つ、極めて重大な勘違いをしていることがよくわかる例だ。



>>「どれ」や「どこ」が既知であるなら、なぜ、
どれ【が】ほしい?
どこ【が】いい?
という疑問文になるのか?

何度言っても理解できんようだが、既知とは一体どのレベルを言っているのかの問題なのじぁ!

「このオモチャ」は既知であるが、「どれ」かは未知なのじゃ!
要は、

既知と未知とは認識の問題であるが、認識は具体的なものから抽象的なものへ立体的な構造をもって成立するから、既知か未知かとあれかこれかの発想で形而上学的に割切るわけにはいかない。【抽象的でよければ何でも既知になる】。新しい素粒子もブラック・ホールも雪男も新聞雑誌で知ったから既知であるが、具体的にはどれも未知としかいいえない。

ということが全く理解できていないことを満天下に恥ずかしげもなく晒しているということじゃ!

この本質的な欠陥に気づかなくてはいけない。

>>「が」の役割

「が」の意義ではなく、文での役割という機能しか捉えられないところに本質的な欠陥があることを自覚しなさい。

>>つまり、この文に(限らないのだが)おける「が」の役割は、「ほしい?」「いい?」という述語の主格として、「どれ」「どこ」という【未知】を示すことなのだよ。

★ これ【が】ほしい。

の「が」が「これ」という【未知】を示すことなのかな?

少し考えれば判るでしょう!
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

1.
>「このオモチャ」は既知であるが、「どれ」かは未知なのじゃ!

それは当方の言っていることだろ???(笑)

《この文に(限らないのだが)おける「が」の役割は、「ほしい?」「いい?」という述語の主格として、「どれ」「どこ」という【未知】を示すことなのだよ。》

と申したとおりじゃよ。

君は、

《「どれ」や「どこ」も、「このオモチャの中でどれ【が】ほしい?」「新婚旅行はどこ【が】いい?」のようにやはり既知の部分が前提になるし、》

と言っておったはずだが???

「どれ」は未知なのかね?
それとも、
《既知の部分》なのかね?

ええ加減なことばかり言ってんなよ?

2.
>「が」の意義ではなく、文での役割という機能しか捉えられないところに本質的な欠陥があることを自覚しなさい。

何を言っとるのかね、君は?????

《「が」の意義に基づく文での役割》について話しているのだから、それでいいのだよ?

何か問題でもあるのかね???

3.
>★ これ【が】ほしい。

の「が」が「これ」という【未知】を示すことなのかな?

当然ですな。
そもそも君は「が」の意義について理解しておらんようだ。

「が」は個別性の認識を表わすのだろ?
しかし、「これ」だけでは個別性の認識を表わすことにはならないのだよ。
あくまで「これが」と言う場合に限って個別性の認識を表わすことができるわけだ。だから、

★ これ【が】ほしい。

と言う場合、「これ」は「ほしい」という述部の主格として個別性の認識を表わしていることになるわけだね。
《「ほしい」という述部の主格として個別性の認識》なのだから、
【「これ」は「ほしい」という述部に関しては未知】という構造でなければおかしいだろ?
ま、基本的なことだと思うのでしっかり把握したまえ。

お礼日時:2022/10/09 13:57

1.


>>「が」の役割は、「ほしい?」「いい?」という述語の主格として、「どれ」「どこ」という【未知】を示すことなのだよ。》

いいえ。
「が」にそんな役割はありません。
それは単なる結果論です。
何故、そんな役割が果たせるのですか???

ええ加減なことばかり言ってんなよ?

2.
>>《「が」の意義に基づく文での役割》について話しているのだから、それでいいのだよ?

えっ!!
いつの間に助詞「が」の意義ではなく《文での役割》にすり替えたのですか!!

そうしないと嘘がばればれだからじゃろう!!
大問題じゃぞよ!!

3.
>>「これ」だけでは個別性の認識を表わすことにはならないのだよ。

えっ!
自分で、≪「が」は個別性の認識を表わすのだろ?≫と言いながら、何を矛盾したことを???

>>「これ」は「ほしい」という述部の主格として個別性の認識を表わしていることになるわけだね。

いいえ。
全くの誤りです。

以前から何度も誤りを指摘していますが、語の意義(ラング)と文(パロール)の意味と
の相違と関連が全く理解できていない君の誤認、誤謬です。

>>《「ほしい」という述部の主格として個別性の認識》なのだから、
【「これ」は「ほしい」という述部に関しては未知】という構造でなければおかしいだろ?

いいえ。
こういう誤謬、誤認を堂々と並べるようでは救いようがありません。
一体、何が未知なのですか???

ま、基本的なことだと思うのでしっかり把握したまえ。

本当に全く進歩がありませんね!!
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

1.
>「が」にそんな役割はありません。
それは単なる結果論です。
何故、そんな役割が果たせるのですか???

以下のように詳述したはずだが、どの部分が理解できないのかね。
示してもらえば、さらに解説してさしあげるが?


「が」は個別性の認識を表わすのだろ?
しかし、「これ」だけでは個別性の認識を表わすことにはならないのだよ。
あくまで「これが」と言う場合に限って個別性の認識を表わすことができるわけだ。だから、

★ これ【が】ほしい。

と言う場合、「これ」は「ほしい」という述部の主格として個別性の認識を表わしていることになるわけだね。
《「ほしい」という述部の主格として個別性の認識》なのだから、
【「これ」は「ほしい」という述部に関しては未知】という構造でなければおかしいだろ?

2.

いつの間に助詞「が」の意義ではなく《文での役割》にすり替えたのですか!!

別にすり替えてはおらんが???
何を言っておるのかね、君は???

本質的意義: [ 主格補語の指定 ]
ー「が」は A を主格補語として指定する。

と明記しているだろ?

《指定とは「指して定めること」という意味。
定まってないから定めるのであり、
主格補語 A は、聞き手にとって未知情報でなければならない。》
というのは補足説明であることぐらい誰にでも理解できるぞ?

補足であるから、わざわざ「A が B だ」という別質問を立てただろ?

3.
>「これ」だけでは個別性の認識を表わすことにはならないのだよ。

えっ!
自分で、≪「が」は個別性の認識を表わすのだろ?≫と言いながら、何を矛盾したことを???

やれやれ。
「これ」に「が」は含まれておらんがな。
昼間からヤケ酒でも吞んでおるのか?(笑)(笑)(笑)

4.
>>《「ほしい」という述部の主格として個別性の認識》なのだから、
【「これ」は「ほしい」という述部に関しては未知】という構造でなければおかしいだろ?

いいえ。
こういう誤謬、誤認を堂々と並べるようでは救いようがありません。

この論理が通用しないではお手上げですな。
ま、お好きなようにおやんなさい。(笑)(笑)

お礼日時:2022/10/09 17:00

で、to×××××他「皆さん」から総スカンを喰らって君はどう考えているのじゃ!!



根本的な誤りの総括が必要じゃろうが!!

それなしに、見解の相違などと豚ずらをかましていては何の進歩もないが???
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>で、to×××××他「皆さん」から総スカンを喰らって君はどう考えているのじゃ!!

それがどうかしましたかの???
総スカンだろうが何だろうが、それをするのは個人の自由。
別に他人の自由を束縛する気はないが?

>根本的な誤りの総括が必要じゃろうが!!

そういう短絡思考が君の最大の欠点じゃな。
《根本的な誤り》かどうかを論議している、という(当たり前すぎる)本質にさえ気づけないようでは、どうにもならんな。(笑)

お礼日時:2022/10/09 17:04

又、頬かぶりして豚ずらこくといけないので、他からの指摘を再掲しておこう!



すでに書いたように「現段階では無理と感じています」。
 先例もないんですよね。そんな説に当方は何もいえません。
 もしこういう考え方が成り立つなら、誰かがすでに書いていると思います。

判るかな????
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

だからどうだと言うのかね?
答えられるかの?(笑)

そう指摘するのは、指摘する人の自由だろ???
何を言っておるのかね、君は?

お礼日時:2022/10/09 17:07
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