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1. 次の橋爪大三郎の議論を批評してくれますか?

▲ (橋爪大三郎:性愛論) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
2. それでは 人間の身体はなぜ 性愛へとさし向けられているのか? 
身体はなぜ もうひとつの身体を求めるのか?

3. 個々の人間にとって 他者の身体を求めることは 絶対の条件では
ない。少なからぬ宗教が禁欲を課し 生涯を通じて信者(特に聖職者)に
一切の性愛行為を禁じている。

4. 性愛を拒否して生きることは可能で そうしたとしても人間の条件
から外れたことにはならない。

5. しかし 注意しなければならないのは あるひとが性愛を拒否して
生きることは そのひとがそもそも性愛と無縁でありうることを意味しな
いどころか その反対だということだ。性的身体をそなえた存在だからこ
そ ひとは性愛を拒否できるのである。

6. 性愛を拒否するかぎりにおいて そのひとも潜在的にやはり性愛に
さし向けられている(他者の身体と性的に関係している)と言える。

7. この意味で すべてのひとは 性愛へとさし向けられている。そし
て 性愛(他者の身体を求めること)へとさし向けられている自己のなか
に ひとは愛を自覚する。

8. 愛はどのように修飾され 精神化されようと その根本は 他者の
身体を求める自分の身体のダイナミズム(欲動)にある。

9. そしてひとは そのダイナミズムがなぜ自分に訪れてくるのか 理
解できない。

   ☆ (引用者註) もし理解してしまえば たぶんそれはダイナミ
    ズムではなかったことになってしまうであろう。

10. それは身体にそなわっており そこから自分のところ(精神)に
まで立ちのぼってくるように感じられる。そのことは どうしようもない
与件である。

11. もっともひとは それに支配されるわけではない。それを否定し
たり それにあらがったり それを無視したりすることも可能である。身
体のダイナミズムは それによって押しとどめられ 一定の形態を与えら
れる。
   
12. 実はそうした選択と加工と変形のプロセスこそが 愛を形成する。

13. 誰かれ構わぬものを愛とよばず このひとでなければという選択
を愛とよぶように 身体に根ざしたダイナミズムがそのままストレートに
表われたものは 愛ではない。

14. 大脳の精神機能が介在し そのダイナミズムを特定の対象のうえ
に照準(選択)し その社会のコードに合わせて分節し言語化したときに
(加工と変形) それはその社会における愛のかたちとなる。

15. ひとは 性愛のダイナミズムがいったいどこから訪れるか 知ら
ない。だが それがどこへたどりつくかということならば 知っている。

16. それは その社会の性愛に関するコード すなわち性文化のシス
テムなのだ。それは こう言い換えてもいい。自分がなぜひとを愛するか
は たぶん誰にもわからないだろう。しかし いかに愛するか(愛すべき
か)ということなら 誰でも知っている(わきまえている) と。

17. 性愛のダイナミズム(いわゆる性欲)は もちろん 人間が有性
生殖をする動物であるという条件に由来している。脳のなかのどこかに 
そのダイナミズムが組み込まれていると思われる。ひとは 自分にそのダ
イナミズムがそなわっていると感じる。

18. そして どの社会も このダイナミズムを一定の規範に従わせる
性文化をもっている。

19. 《愛》の観念は 西欧社会からわが国にもたらされたが だから
といってそれ以前のわが国が 性文化(愛の文化)をまったく欠いていた
わけではない。しかしそれは ほかの文明の場合とちがって 明確な社会
規範をもたらさなかった。

20. 《愛》という漢字は 中国のものである。日本にはこれが 仏教
用語として入ってきた。・・・
 (『性愛論』1995 序章 ひとはなぜ愛するか pp.11-13 )
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
21. 引用を途中で切りました。この立論を批評・批判してください。
 
22. わたし自身の議論はほとんど無いのです。いかに議論すべきでな
いかについて 少しく述べます。
 
▲ (橋爪 同書) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
23. サカナをはじめとしてさまざまな動物の行動〔は〕 生得的な反
射の連鎖(積み重ね)によってできている。その証拠に・・・本物の代わ
りにそっくりの色をぬった張りぼてのサカナをくねくね踊るように泳がせ
たりすると 彼らはすっかり間違えてそれに応ずるのである。・・・ 

24. ・・・それに対してわれわれは 人間の《愛》は決して反射の積
み重ねなんかではない という感想をもつ。この感想が正しいかどうか 
いちおう疑ってみる必要があるとしても われわれは《愛》を 〔それよ
りも〕はるかに複雑なものと想定しよう。
  (pp.1-2 )
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
25. つまりこの《複雑さ》を 《反射行動の積み重ね》なる型に嵌め
込んでしまってはなるまい――というのが 質問の趣旨です。大命題です。

26. 嵌め込んだなら ひとは魚が《生得的な反射の連鎖(積み重ね)》
として行動するところを そうではなく(その本能による行動ではなく)
意識にのぼらせ・しかも意志として欲するところとしたようであるし そ
こでいろんな《性的指向》が 現われた。《多様性》というわけである。

27. つまり――しかしながら――こうなると 《趣味嗜好》である。
人間の意志とその想念や好奇心や欲望にもとづく《ともかくの文化(≒非
自然)》である。

28. その中で H(ヘテロ・セクシュアル)だけは――乱暴極まりない
議論をさしはさめば レイプにおいてすら―― なお 《自然》を――生殖
行為という前提を意識無きかたちででも――確保した。・・・のではない
か?

質問者からの補足コメント

  • №3つづき

    ★ 14 生殖が遺伝子の撹拌ならば対関係が最もそのパターンが多くなる事か種の保存=社会の保存欲求的には対関係を強要する
    ☆ ですから ナラハシとしての愛にしても 自然生成なのであって そのツイ関係が意志自由による選択の結果だと言うべきでしょう。《強要》とは無縁。


    ★ 15~18
    ☆ ここは 《性文化のシステム》が 自然本性(ツイ関係)とそれにもとづく文化的制度とから成ると言っている。

    ★ 23 条件反射
    24 反射行為と言うか脳は従動的反射的に作用する
    ☆ 愛が 欲動(本能)のみか 複雑化すなわち人間化するかの問題。


    ★ 25 複雑さの原因は不確定性原理によるゆらぎ
    ☆ どうも《本能》一元説らしい。次のふたつの項も同じく。
    ★ 26 脳が脳たる所以それは脳が古典物理だけではなくて量子物理にも従っているから
    ★ 27 意思は偶然 意識は量子もつれ的なもつれ

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/02/18 08:58
  • ▼ 石埼 学:生殖可能性のない同性婚を法律で認める理由はない…憲法学の専門家が「同性婚の法制化」にクギを刺す理由
    https://news.yahoo.co.jp/articles/5d72f8742c4754 …

      補足日時:2023/02/18 17:00

A 回答 (65件中11~20件)

生殖の有無は遺伝的に言えば結果論


何故ならば生殖脳の基本は細胞分裂による自己増殖だからです
それすら君は知らないみたいだね
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この回答へのお礼

同性愛で子が生まれたということは 聞いたことがない。

お礼日時:2023/02/19 06:27

質問者君へ


クオリアですでに説明している通り
君の脳は君にしか使えないように私の脳は私にしか使えない
故に非知なナゾは脳の使い方をも超えるとの点について当てはまるのは君の脳であって私の脳では無い
私の脳の使い方では非知のナゾであるとも私の脳の使い方を超えることは決して無い。何故私の脳を使っているのは私であって非知なるナゾではないから
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質問者君はやはり全く理解していないね 


全ての生物種は遺伝子のプログラムに従って繁殖行為を行う
これはヒトも同じ
つまり遺伝子のプログラムに従って繁殖行為を行っていると言うこと
繁殖目的でそれを行っていないと言うこと
その点を質問者君は全く理解していないね
言い換えならば繁殖可能不可能問わずどちら遺伝子のプログラムに従って繁殖行為をしているということでその点では異性愛・同性愛同じ
ついでに言えば
繁殖行為→繁殖可能なら→繁殖というステップを踏むという事
繁殖行為≠繁殖
となる
つまり上記によって繁殖目的ではない繁殖行為をしてもそれは遺伝子のプログラムに従っているとなる
故に異性愛者間で繁殖可能な関係であっても繁殖しないよう=避妊しての繁殖行為が普通に行われているのである
以上を踏まえれば遺伝子のプログラム=生理的に言えば繁殖可能性は二次的な問題と言うこと
それを一次的な問題とするのは繁殖に関する知識が0としか言いようがない
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この回答へのお礼

生殖の有無が分からないとは。

お礼日時:2023/02/19 06:05

No.46です。


>★「性愛」なる感情の定義をする必要がある
>☆《愛》がいろんな見方でいろんな内容を言うことがあるのではないかと。
愛の定義を広げる事は問題ありません。ただ、広げると曖昧模糊となり議論としての交流が難しくなるので、細分化や再定義が必要と思います。
自由愛、平等愛、博愛などに広がるのでしょうか・・・ただ、博愛には偽善臭が漂いその本質を見極める必要があり、自由平等愛も単に誤認かも知れません。何れにしても、取り扱い注意と思います。
さて、人類愛、地球愛なる「愛」が存在するとして、これに「性」を結合させると何が出来るか?「愛」+「性」にて、人の頭部とゴリラの身体のが合体した様な物が出現すると思います。つまり、ゴリラ人間というグロテスクが出現し、ここにLGBなる異常な多様性との奇妙なる一致が見てとれます。水平展開して、「恋」+「性」ならばどうでしょうか、人として常識的な普通の姿の出現です。
p.s.補足として
性愛論なる人間破壊の概念が、普及した現在人類への処方箋は何か?
今存在する限りの範囲では「論語」と考えます。
論語とは決して聖典では無く、常識の書です。古今東西一級の書である論語とは、一般常識であり普通を述べる書です。神聖な書物という間違った認識が蔓延し、この書の真価が誤って流布している事は残念です。
さて、東洋に於いて一級の書としてその評価があるの対し、西欧での評価は散々な物で無価値とまで言われています。この鮮明に違うコントラストの対比は刮目する現象で、西欧文明が行き詰りを見せ破壊再生という惨劇悲劇の道程の途中である現在、日本は先人がその真価を認めた論語を思い出し、この西欧的破壊の道から抜けるべきと考えます。
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この回答へのお礼

>★「性愛」なる感情の定義をする必要がある
>☆《愛》がいろんな見方でいろんな内容を言うことがあるのではないかと。

★ 愛の定義を広げる事は問題ありません。ただ、広げると曖昧模糊となり議論としての交流が難しくなるので、細分化や再定義が必要と思います。
☆ いや 《「性愛」なる感情》と言われたので 愛という言葉には いくつかのちょっとした概念をあてることがあるかと。


★ 自由愛、平等愛、博愛などに広がるのでしょうか・・・
☆ そういった人間の志向性にかんしてもあり得ますね。

★ ただ、博愛には偽善臭が漂いその本質を見極める必要があり、
☆ そのとおりでしょう。

★ さて、人類愛、地球愛なる「愛」が存在するとして、これに「性」を結合させると何が出来るか?「愛」+「性」にて、人の頭部とゴリラの身体のが合体した様な物が出現すると思います。つまり、ゴリラ人間というグロテスクが出現し、ここにLGBなる異常な多様性との奇妙なる一致が見てとれます。
☆ つまり そういう種類の愛だからです。


★ 水平展開して、「恋」+「性」ならばどうでしょうか、人として常識的な普通の姿の出現です。
☆ ですが この場合にも愛を当てはめ得るんです。それほど多様です 愛は。


★ 論語とは決して聖典では無く、常識の書です。・・・西欧文明が行き詰りを見せ破壊再生という惨劇悲劇の道程の途中である現在、日本は先人がその真価を認めた論語を思い出し、この西欧的破壊の道から抜けるべきと考えます。
☆ そうですね。いろんな主題や論点があるのと違いますか? 一概には言えないかと。

人間関係の価値判断をまじえた・つまり倫理の問題について 考え煮詰めたものであるように思います。

・・・

お礼日時:2023/02/19 05:49

神論と言う名の物語が君の脳にとって大変都合がテーマに関してわたしには全く関係ない


なぜならそのテーマは君の脳にとってはとても好都合だろうがそもそも私の脳に永遠に解決出来ないテーマなんて不要だからです
不要であるその理由は私の脳はいたずら必要性をアピールしなければならない環境下に無いから
これを一言で言えば脳の使い方となる
要するには君と私とで根本的にそれぞれの脳の使い方が違うと言うこと
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この回答へのお礼

★ 永遠に解決出来ないテーマ
☆ 理由説明として:
★ それぞれの脳の使い方が違う
☆ では あまりにも まづしい。

非知なるナゾは 《脳の使い方》をも超えており みづからの内につつみおさめている。

お礼日時:2023/02/19 05:38

質問者君へ


石崎学氏の主張を提示刷るのは良いが石崎氏が主張しているのは同性婚を法律で認めないその理由であって同性愛そのものではない
と言うか石崎氏は同性愛自体は認めている
それはそれとして
いかなる生物種であろとも繁殖によって子孫を残すのなら子孫を残せる対象に性的指向が向かうよう遺伝的プログラムされている
これはヒトも同じ
つまりヒトも繁殖可能な相手に性的指向が向くよう遺伝的にプログラムされていると言うこと
ヒト等でいくつか生物種におけるそのシステムがフェロモンの分泌
しかしながらその繁殖システムは完全ではない為に繁殖不可能な対象に性的指向が向く場合がある
同性愛はまさにそれ
つまり本来ならば異性に向くべく性的指向が同性に向いてしまったのが同性愛と言うこと
故に同性愛は繁殖不可能である点を除けば根底的には異性愛と同じ
君が述べている「じんるいの歴史を〜」のその主張は完全に的外れ
残念
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この回答へのお礼

〇 生殖の有無


★ 本来ならば
☆ この思考方法が だめ。生殖の有ると無いとで 初めから分かれているんだから。


★ 同性愛は繁殖不可能である点を除けば根底的には異性愛と同じ
☆ 同性愛をさばこうという問題ではないのだから あたかも――事実問題からして――そういった両指向が同じ次元にあるといった見方が 出来てしまうような段階に来ている。というのみ。

LGBは《趣味》 H(ヘテロ)は 《生きる》。といった区別を消してしまうかのようなツナミが押し寄せてきている。

お礼日時:2023/02/19 05:35

そうそう


性的指向性的嗜好どちらであっても
2021年の札幌地裁。同性婚を認めることを求めた訴訟の判決で、「(性的指向は)人の意思によって、選択・変更しうるものではない」と認定しました。
と医学エビデンスに基づいて裁判所もそう認定しました
つまり性的嗜好を己の意思で決めることも変えることも出来ないと言うこと 
少しは理解したかな
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この回答へのお礼

▼ 石埼 学:生殖可能性のない同性婚を法律で認める理由はない…憲法学の専門家が「同性婚の法制化」にクギを刺す理由
https://news.yahoo.co.jp/articles/5d72f8742c4754 …




☆ じんるいの歴史をつうじて 性的指向は形成されて来たんだから その変容にかんするあたらしい進化も 一代や数世代で現われるとは限らない。

お礼日時:2023/02/19 04:39

オマケ


脳は常に作用し続ける事で作用しなければならない状況を偽装しもって脳は脳自身の必要性を知らしめている
故に死ぬまで作用し続けられると言う点で脳にとって永遠に解決出来ないテーマが最も都合がいいのである
君の脳にとっては「神論と言う名の物語」がまさにそれ
科学的に立証も反証も出来ないという点で永遠に解決出来ないテーマでありかつ君の脳が如何に普遍神を装飾しよともその是非も当然科学的に判別出来ない 
故に君の脳は「神論と言う名の物語」を否定される=君の脳が否定されることなく安心して考えられる
君の脳にとっては「神論と言う名の物語」を考える事が一番幸せなんだろうね
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この回答へのお礼

★ 科学的に判別出来ない 
☆ 対象について きみは どのようにして判別し価値判断をくだしたのか?

お礼日時:2023/02/19 04:35

茶の木畑なんて言わせてる脳なら君の言うとおりいらないですね

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脳なんていらないと言わせているのが質問者君の脳なんですよ


それってブラック・ジョーク?
それはさておき事実として脳が存在しかつ脳がハイコストな器官故に常にコストカットの対象となりうる脳にとっては常に危険な状態。
脳が脳自身を守るために脳自身がコストカット対象では無い常に必要な存在であるとアピールし続けなければならない。これが脳の保存欲求なのです
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この回答へのお礼

茶の木畑。

お礼日時:2023/02/18 21:03

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