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松平氏は何故三河の殿様になれたのですか?

A 回答 (2件)

松平氏が飛躍したのは、室町幕府政所執事の伊勢氏の被官になり信用を勝ち得たからです。


三河にあった将軍家直轄領である御料所の管理業務を請け負ったことで、山奥の松平郷から平野部に進出して、弱小国人から有力国人になれました。そして多くの一族が三河各地に食い込んで分裂と統合を繰り返し、守護権力ぎ弱かった三河で力を伸ばしたのです。
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松平氏が三河の大名になったのは、主に家康との関係とその功績が大きな要因とされています。



松平氏は、元々は鎌倉時代から東三河地方に勢力を持つ土豪の一族であり、戦国時代には松平家親や松平清康らが活躍していました。そして、天正3年(1575年)、家康が武田信玄を破った長篠の戦いにおいて、松平氏は家康に大きな貢献をしたことで、家康から重用されるようになりました。

その後、家康が関東地方に移封されると、松平氏は三河地方の支配を任され、三河国宝飯郡を拠点に領地を拡大していきました。そして、1584年には家康から徳川家の一員に取り立てられ、その後も各地の戦いに家康に従い功績を挙げ、大名としての地位を確立していきました。

以上のように、松平氏が三河の殿様になった要因としては、家康からの信頼や、その功績が大きいということが挙げられます。
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