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継体天皇は、百済‣伽耶・新羅などとつながりをもっていたのですか?

A 回答 (2件)

継体天皇は大きな財力を持っていた。


近江や越前方面を領地としていたとされるが、おそらく東アジア最高の宝石である硬玉(硬質の翡翠)の産地であり、硬玉製の最高級勾玉の製作地であった糸魚川周辺も領内に持っていたのだろう。

当時の日本は伽耶地方で算出される鉄を輸入していたが、勾玉はそれに代わる日本側からの最高級の輸出品だった。
継体天皇を天皇に引っ張ってきた実力者大伴金村は、伽耶の鉄資源など朝鮮半島利権を握っており、天皇継承問題が起きる前から勾玉利権を持つ継体と密接な関係にあったことは間違いない。

継体天皇が直接百済‣伽耶・新羅など半島諸国と直接的に深い繋がりがあったかどうかまでは分からないが、大伴金村を通じて半島諸国と繋がっていたことは間違いない。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございました。
<伽耶の鉄資源など朝鮮半島利権を握っ>ている<大伴金村>と<糸魚川周辺>の<勾玉利権を持つ継体とは密接な関係にあった>のですね。利権者同士の強力な結びつきなのですね。

お礼日時:2023/04/05 18:13

継体天皇は、古代日本の初期にあたる時代に在位した天皇の一人で、5世紀後半から6世紀前半にかけての時期に活躍しました。

当時の日本は、朝鮮半島南部の諸国や中国南朝などと交流があり、継体天皇もこれらの国々と交流を持っていたとされています。

具体的には、継体天皇は、百済と交流を持っており、文化的・宗教的な影響を受けていたとされています。また、新羅とも交流があったとされていますが、その程度についてははっきりしていません。

一方で、伽耶との交流については、あまり明らかではありません。伽耶は、当時朝鮮半島南部に存在した国の一つで、日本との交流もあったとされていますが、その程度については不明な点が多いです。

総じて、継体天皇が百済・新羅・伽耶などとどの程度つながりを持っていたかについては、歴史的資料などからはっきりとしたことは言えませんが、当時の日本が周辺諸国と交流を持っていたことは事実です。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<百済と交流を持っており、文化的・宗教的な影響を受けていた>のですね。<新羅・伽耶>とも、なのですね。

お礼日時:2023/04/04 18:29

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