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こういう日本語文章ってアリですか?

違和感と感を使ってるのに
その後、感じるという表現は本来はNGじゃ無いのでしょうか?

それともクドいだけで日本語としては問題なし?

思ったと思うも、他人がそう思ったという事を私も思ったという意味では成立する表現ですか?

A 回答 (8件)

間違いだらけです


今の日本語メチャメチャです
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>違和感と感を使ってるのに


>その後、感じるという表現は本来はNGじゃ無いのでしょうか?
違和感は物事がしっくりこない感じ。つまり物事が生み出す感じです。それを人間側で感じ取る意味ですからNGではありません。「感」が重なることが生み出す違和感をあなたが感じるのであれば、「を覚える」などに置き換えるとよいと思います。

>思ったと思うも、他人がそう思ったという事を私も思ったという意味では>成立する表現ですか?
他人だけでなく自分が過去にそう思ったという事を現在の私も確認できるということであれば成立しますね。
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状況によります。



例えば、仲間同士でわいわい盛り上がっているとき、「そのこと、私は違和感を覚えます」などと言うとシラケるかもしれません。
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「本来はNGじゃ無いのでしょうか?」という問いが成立するためには, 少なくとも「何をもって『本来』とするか」を決めないといけないんじゃないかなぁ. 特に「違和感を感じる」に違和感を感じるかどうかは個人に依るところもあるみたいだし. ここでも過去に何度か出てきてるはずだよ.



なお「彼はこのように思ったと私は思う」なら十分成立する... だろうけど, できればもっと工夫すべきだろう.
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>それともクドいだけで日本語としては問題なし?


はい、そうです。重言と呼ばれるものです。

個人的には「違和感を覚える」を使います。

文化庁の「公用文作成の考え方(建議)」(26ページ)に
>意味が重複する表現(「重言」「重ね言葉」などとも。)は、
>むやみに用いないようにする
とあります。
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/k …

重言の例がいろいろ出ています。
https://10mtv.jp/pc/column/article.php?column_ar …
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違和感を覚える。



思ったのではないでしょうか。
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NGじゃないと思いますよ。

思ったと思うも成立すると思います。

以下は長いのでお暇なときにでもどうぞ。

国語の世界では基本を教えますから、教えている最中では教師側はNGと言うこともあるでしょう。しかし、授業が終わった後にNGと言う人はいませんよ。それらを指摘する人は凄まじい(古語:意味は調べて)と思われるでしょう。

大昔(とはいっても20年前くらい?)に「美しい文章とは?」みたいに悩んで調べたことがあります。当時の私は二行の文章を書くのに1時間くらいかかってました。「意外とできない・・・」気が付いて焦りました。

大学院か何かの研究文献みたいなのを読んだんですけど、内容全く分かりませんでした。勿論、日本語として何を言っているのかは分かりましたよ。しかし彼が絶賛する「美しいと思われる部分」について(他の部位とくらべて)違いが分からなかったんです。

「ああ・・・これは音感の時に悩んだのと同じだわ。
 何か俺には感覚が欠けているんだわ」

と思いましたね。

こういう悩みを抱えた時は「逆の方向に答えあり」として発想を転換するようにしています。

例えば、

「音楽好きは本当は音楽が嫌いなのでは?」
「酒好きは実は酒を不味いと思っているのでは?」
「本好きは実は文章を読むのが嫌いなのでは?」

こんな風にです。

そして続けてこの様に考えます。

「嫌いなのに中毒症状が起きて依存症になってしまった。
 きっつい。辞めたいのに辞めれない。この地獄」

なので音楽好きは音楽を聴くことが(依存症として)好きなのですが、一般の人が感じる「面倒」とか「退屈」とかそういう部分も強く感じているという仮説です(←実はこの文章もかなり可笑しいのですがわかりますか? これを採用していくところに鍵=壁越えがあるんですよ)

「不快な部分を無くして楽に愉しみたい。
 しかし退屈なものは嫌だ。俺は我がままだ」

どんな趣味趣向の世界も上の様な矛盾した悩みを抱えるようです。

なので「意外とするっと飲めるでしょ?でもこれ凄い濃いのよ?」みたいに「本来なら飲めたものじゃないのだ」という部分を強調するようです。

「お得でしょ? なに、そんなに嫌なら辞めればイイ?
 あんた、それいったら御仕舞ですよ。
 辞めれないからありがたいと思うだけですわ」

絵画なども似たようなものです。なので「自分には分からない感覚」の正体は「依存症」と「過敏症」の二つをこじらせたものと捉えると分かりやすいでしょう。けっして素晴らしい能力ではありません。

質問の内容に戻りますと、

「文章依存症には何でもアリになる。
 ガツガツと楽しまれた後に、味について文句を言われる。
 じゃあ辞めようかと言うと「なんで?」と聞かれるだろう」

表現としての正解を求めるより、依存症の方にせっせと燃料を投下しているのだと割り切るのが一つの捉え方だと思います。

「美しい文章」の正体は「本好きは長い文章を読むのが嫌いだ」という逆転の発想にヒントがあります。

「単独の文章として綺麗ではあるんだよね。
 ただこれを腹いっぱい食らうと胃もたれしそう。
 でも、ここの部分をスルッと飲み込めた。
 疲れた胃には優しいと思って絶賛してしまった」

つまり、書き手も同じ配慮をしていれば良いわけです。

「文章を見返すとか面倒なんだよねえ。
 特に自分が書いたものほど嫌な物はない。
 内容を先に知ってるんだからね。
 このままエイヤで投稿したいぜ。
 なんで俺の文章は読み直すと苦しいんだよ。
 読み直しで俺自身が楽しめるようにしないとヤバい。
 これは死活問題だなあ」

と非常に自分勝手な思いで自分の文章(文体なども)を手直ししていくわけです。本人は内容を伝えたいだけです。しかし読み返すとキツイ。なんて我がままでしょうか。苦肉の策として自分の文体を変えて自分の苦痛を減らすわけです。

「・・・え? その表現でいいかって?
 16万字くらい書いて・・・その後で読み返したとき、
 自分でイラっとしたら治せばいいよ。
 その文章単体には毒は無いんだよ。
 つらつらと読んでいる時、全く同じ文章なのに、チク
 って感じるのよ。その場合は直さんとダメ。
 自分の読み返す気力が尽きるからね」

という事で(デスマーチを行進する)作り手側の都合が「美しい」の正体であり、胃もたれを防ぐ意味合いが強いので(味変とかも必要です)「ちょっとだけ楽しみたい」という用途の人には(美しさは)無用だという事です。

小説などを書く人には必須のスキルになりますが、そういう野心が無い場合は何でもアリで良いと思いますよ。ただし、特定の時代や特定のグループにしか通用しない用語や文体を使うのは良くないと言われています。

伝達に問題が生じる方法で情報という資産を投げ捨てる事になるからです。何か言いたい、何か伝えたいとご本人が思った瞬間に価値が生まれています。それを表現したら「他人にはどうでも良い話に聞こえた」となれば、損失が生まれていると考えるわけです。

「自分の伝えたいことが本当に伝わったのか?」

諦めず考えて文章力を鍛える(つまり参考に出来る人を探す)のが良いと思います。

例えば(これは私もそうだったんですが)、

「俺にはこの人みたいに複雑な思いを伝えきれるだろうか?
 この人みたいに極端にならず、微妙なラインも表現して
 言いたいことを他人に伝えられたら、自分を抑える事を
 しないで済むのではないだろうか。楽だろうなあ。
 俺なんか何か言えばすぐ酷い言葉になる。
 だからいつも自分の言いたいことを抑えているんだ」

と言うのはありますよね。

なので文章として正しいというよりも、読み返した時「礼」を感じるというのが凄く大事ですよ。失礼を働く気が無くても、文章にすると逆になる場合が多いです。これは会話でも同じですよね。日本語として正しいというより「礼」が感じられる表現の方が優秀だという事です。

ご質問の答え「アリ」か「否」かではアリだと思いますが、そのままで良いのかどうかは別の話(どんな複雑な自分の思いでも他人に伝えられるという自信。自在感を得られる人生となるのか?)として存在するという事になります。

以上、ご参考になれば。
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だからといって『違和を感じる。

』じゃあなんかおかしいのでそれで良いと思います。
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