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月は太陽の光を反射して光っていることは分かりますが、この理論が周知されたのはいつ頃なのでしょうか。
また、明治中期では天文学(月の満ち欠けについてや日食など)の知識は庶民にはどれくらい浸透されていたのでしょうか。

A 回答 (2件)

太陽光を反射して光っているという月の理論は古代ギリシャの時代から知られていました。

この理論が正しいという証拠が確立されたのは、イタリアの天文学者ガリレオ・ガリレイが望遠鏡を用いて観測した1609年以降です。

明治中期には、天文学に関する知識が広まっていたと言えます。
明治10年(1877年)には、日本初の天文学専門誌「天文月報」が創刊されました。
また、明治20年(1887年)には、日食や月食の観測に関する法律が公布され、庶民にも天文学の知識が浸透するようになりました。
しかし、当時の一般的な教育水準は、現代の基準から見れば低く、天文学に関する知識が広く浸透していたとは言い難いかもしれません。
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この回答へのお礼

よく分かりました。ありがとうございます。

お礼日時:2023/05/05 00:32

江戸時代には暦が庶民に浸透して居ました。

それに全て書かれています。奈良時代には中国からもたらされた天文学が祈祷師陰陽師により伝えられています。
外国でも農耕のため暦があり、ルネッサンス以前からあります。明治中期でも毎年神社から貰える暦で皆知っていました。、
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