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司馬遼太郎の沖縄紀行より。
司馬は、糸満の年老いた漁師に次のことは本当かどうか聞いたが、明確返答がなかった。
<戦前、糸満の漁師は、興がわくと丸木舟にスルメと米をほうりこみ、黒潮に乗ってはるばると熊野灘まできた、というのである。>

質問1.黒潮に乗り熊野灘まで行ったのでしょうか?
質問2.熊野灘からの帰りは、黒潮を避け、沿岸を航行したのでしょうか?

A 回答 (2件)

数ページあとに、次のように書かれています。


糸満では、夫婦がべったり一緒にいる農村とはちがい、若い夫が長期間、漁に出かけて行くのである。若い航海者にとって留守宅の妻の貞操ほど気になるものはないであろう。漁業は、長いあいだ生死の危険のともなう仕事だった。若い漁師が、ときに留守宅への気がかりのあまりに気が変になることがあるかもしれない。これがために、漁業の集落では早くから貞操観念というものが、生産をめぐる生活組織の道徳として発達した、ということであるらしい。
半日、一日の漁にでて毎夜家に戻るのではないのでしょう。
行動範囲はとても広いというか、限界がないのに近い感じだったのが、明治から戦前の状態だったようです。
https://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2003/00129 …

<戦前、糸満の漁師は、興がわくと丸木舟にスルメと米をほうりこみ、黒潮に乗ってはるばると熊野灘まできた>
興が湧くというか、アグレッシブにどこにでも稼ぎに行ったのでしょう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%90 …

行ったきりの人、遭難した人もいるのでしょうが、多くの場合には、どこまで行ったにしても、戻ってきたのでしょう。 
「糸満町海外出稼者一覧表」糸満町役場1940年 『糸満概観』を元に作成
海外にまで出稼ぎに行っているものを糸満町が戦前に把握しているのですから、日本列島の本土側に出稼ぎに出た漁師の動静は当然掴めていたでしょう。 どうやって、状況が把握できたのか見当がつかないですが、漁師や猟師、定住民からすれば流浪民のように見える役者、芸人、職人、修験、僧のような人々の昔(1945年よりも前)の人は、平成の人とは違って、たくましいのだと思います。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとございました。
<興が湧くというか、アグレッシブにどこにでも稼ぎに行ったのでしょう。>ですね。
<たくましい>ですね。

お礼日時:2023/05/08 13:29

ヨットの様な物があれば、行きも帰りも可能でしょう。


米を食料にしたのではダメですね。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
帆があれば、ですね。
米はダメですか、煮炊きできないですね。

お礼日時:2023/05/05 16:38

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