人生最悪の忘れ物

あなたの知っている古き良き日本を語ってください。
あなたの御存知の古き良き日本は、どのような日本ですか。
あなたの御存知の古き良き日本は、どのような日本でしたか。
教えて下さい。

A 回答 (10件)

近所付き合いが多かったですね。



味噌とか醤油とか、油とかお米
なんてのも
互いに貸し借りしていました。

今では考えられません。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

貸し借り

お礼日時:2023/05/10 03:51

私はプロファイルに記したような隠居爺です。


生まれ育ちは日本で、東北の山間の名も無い寂れた寒村でした。

質問への回答は、私の子どもの頃の経験です。

私が通った小学校は全校生で 120 余名でした。
なので、私の学年も人数は 20 名前後でした。

当時、すでに学校給食は始まっていましたが、提供されるのはおかずと牛乳だけで、ご飯はウチから持ってくることになってました。

それは、そこが農村で、ご飯にはどこの家も困っていないから、そして酪農家もいたので牛乳を地産地消しようとしたからなんだと思ってました。

しかし、なぜか土曜日は給食はなく、ウチからお弁当を持ってこないといけなかった。

そんな土曜日になると、天気がいいと、先生はよく学校裏の山(丘)に連れて行ってくれ、そのてっぺんでご飯を食べてました。

土曜日といえば授業は午前中だけなので、ご飯を食べ終わってそこでひと遊びすると、その日はそこで解散し、学校には戻らずに皆うちに帰ってました。

教室のお掃除?
山に出かける日は、出かける前にやっちゃってましたよ。

そんなところなので、ほかにものんびりしてたところがありました。

たとえば水遊び。

寒村ですから学校にプールなんて作ってはもらえません。
そこで、夏になると、谷川にある砂防ダム(堰)にたまった砂を、消防団の人たちが麻袋に詰めて土嚢を作り、それをダムの堰の上に積んで即席のプールを作ってくれました。

そして、昼ご飯が済んだ後の2~3時間だけ大人の人が見張りについてくれて、その時間だけ子供がそこで水あそびしていました。

川の水量や水質、大人の見張りの有無で『今日は水遊びできるよ』という日は、お昼を知らせるサイレンでそれを教えてくれていました。

昼の 12 時になると正午を告げるサイレンが鳴るのですが、最初に普通に鳴った後、もう一度短く鳴った日は『今日は水遊びできるよ』というサインでした。

もうひとつは運動会。

子どもの人数が少ないので、運動会は小学校だけでなく、中学校も一緒にやっていました。
それも、主催は学校ではなく『町』で、主役は青年団(=消防団)の人たちでした。
なので、運動会の競技の多くは、子供がやるというより、子供と大人が混ざってやってました。

徒競走や玉入れなど、子供と消防団の法被を着たおっさんや、街のお店の人や駐在さんや先生、役場の人なんかがごちゃ混ぜになってやっていて楽しかったのをよく覚えています。

そんな田舎に、最後に行ったのは 10 年以上前でしたが、そこの景色はすっかり変わり、昔の面影はほとんど感じられませんでした。
どう変わったか、それはご想像にお任せします。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

水がきれいなところ。

お礼日時:2023/05/10 03:58

刀剣です。


どの刀にも、逸話と物語があり、代々人に愛されてきた、とゆうことでく。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

刀剣

お礼日時:2023/05/10 03:58

四季のあることです


古き日本かはわかりませんが、四季のある国。
春夏秋冬の中で育った文化
    • good
    • 0
この回答へのお礼

四季の国

お礼日時:2023/05/10 03:59

どの時代を取っても文化的には、古き良き日本はあるんだけど。

。。結局は、今が良い気がしますけとね。。。
結局、文化って金持ちの嗜みみたいなところがあるので、貧乏人には苦しい時代です。

現代は、働かなくても生活保護で生きて行ける制度もあるので、そんなに苦しく生きていかなくて良い時代です。

で、あえて好きな古き良き日本だとするなら
明治や大正の勢いがあり、アメリカの子分に
なっていない日本ですかね。。。

輸出入が増え、ちょうど食う物に困らなくなり
始める時代です。
ハイカラな物も取り入れ質素倹約なんてことはなくなり、働ければ働くほど豊かになった時代で、今で言うスマホのような画期的な品物もたくさん出始め、武士から解放され楽しい時代だったでしょう。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

米の影響を受ける前の日本

お礼日時:2023/05/10 04:01

駅に伝言板があって、気分でドタキャンができなかった時代。

    • good
    • 0
この回答へのお礼

伝言板

お礼日時:2023/05/10 04:01

家に美容師さんが来て、化粧を負えた後白無垢の着物を着付けて貰い、角隠しの上に真綿の頭巾を被ったら。

仏壇の前でご先祖に挨拶をし、祖母と父に三つ指を付いて挨拶をし、仲人さんの奥さんに手を引かれて、花嫁専用のハイヤーに乗る時近所の人の見送りを受けて御礼を言い、ご祝儀の紅白饅頭を仲人が投げて居るときに。嫁入り道具を載せて紅白のリボンに結ばれた菊水のトラックが、花嫁専用のハイヤーの後を付いて嫁入りに行く。
私が結婚した時の儀式です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

古き良き日本

お礼日時:2023/05/10 04:03

選挙で勝ち続けている与党議員、大臣でも不正は徹底的に追及され不用意に本音を漏らした時は言い逃れできなかった6~80年代ですね。


社会自体は現代に比べると不潔でいろいろ野蛮でろくなものではありませんでしたが、まあ正義を冷笑するような空気はあまりありませんでした。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

徹底追求

お礼日時:2023/05/10 04:03

私が知る限り、古き良き日本は明治時代以前の日本を指すことが多いです。

その頃の日本は、独自の文化や伝統が発展し、美しい景観や風景が多く残されていました。また、社会的な秩序が尊重され、人々は相互に協力し合いながら生活していました。

古き良き日本の代表的な文化としては、和歌や俳句、茶道、浮世絵、能や狂言などが挙げられます。また、古都京都には多くの伝統的な建造物があり、江戸時代には江戸(現在の東京)が栄え、武士文化が盛んでした。

しかし、古き良き日本にも欠点がありました。特に、身分制度に基づく厳しい階級社会や、女性の社会的地位の低さ、農村部の貧困などが挙げられます。

現代の日本は、古き良き日本の伝統や文化を尊重しながらも、多様性や平等な社会を目指す方向性が強くなっています。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

米化の影響は濃いです

お礼日時:2023/05/10 04:04

    • good
    • 0
この回答へのお礼

御回答ありがとうございました。

お礼日時:2023/05/10 04:04

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!


おすすめ情報