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どっかしら、大学に行ってる事は大事な事ですよね?

A 回答 (9件)

そうだと思います。


大学卒業はいわば資格だと思っています。
大卒という資格があれば就職しやすくなったり、就職後に昇進しやすくなります。
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やることには何でも目的があるものでしょう。



大学に行くのにもそうでしょう。

勉強が目的の人、遊ぶのが目的の人。
大体このどちらかか、その両方じゃないんですかね。

よく、勉強する気のない人が集まる大学、あるいは、遊ぶことを目的にした人にとっての大学のことを『レジャー大学』なんて呼びます。

この手の『大学に行く』ということ、大事なんですかね。

『大事』って『する必要があること』のことじゃないんでしょうか?
勉強したうえでストレス発散のために遊ぶと言うならわかりますが、レジャー大学の学生さんは遊ぶことしかしないんじゃないんでしょうか?
勉強してる格好やフリをすることはあっても、やってる中味は中学生レベルだったりする。
そんなのだと、勉強も遊びも『する必要があること』じゃないんじゃないかと私は思います。

そう考えると、この質問への私の応えは次のようになります。

『どっかしら』じゃなくて、『そこじゃないと手に入らない高校より上のレベルの勉強が出来る大学』に行き、『そこで、そこじゃないと手に入らないチエ・ウデ・ワザ・人脈なんかを手に入れること』が大事であって、仮にそれが出来そうな大学に行っても、その結果が伴わなければ意味がない。

私はプロファイルのような隠居爺です。
私は日本のそれなりの大学を出ました。
日本の超大手企業に入り、別業種の超大手に転職し、その後当地に渡って来ました。
日本でも当地でも、先端技術分野の研究開発の仕事をしてきて、そこでは日本やアメリカ、その他の先進国の多くの企業や公的研究機関や大学と付き合ってきました。
カミさんや当地で生まれ育った子供たちは当地の大学を出ています。

上記した『そこじゃないと手に入らないチエ・ウデ・ワザ・人脈を手に入れる場所』が大学だという考えはその経験から言えることです。

当地にもレジャー大学はあります。
しかし、期待するいい評価・いい報酬・いい社会的地位や名声が得られる、という結果を手に入れられるのはそこじゃぁありません。
それと、そんなことが可能な大学に入っても、そこで必要な勉強をしなければ期待する結果にはなりません。

当地の大学には日本に比べてとんでもなく厳しい世界があります。
お金です。

当地の大学は、それなりのレベルだとかかる学費が半端でありません。
優れれば優れるほど高いと言ってもいいと思います。

たとえば、日本では国公立の大学の学費は大学のレベルに関係なくほぼ一緒で、私立に比べれば安いです。
しかし、当地は国公立に相当する州立や市立も私立と同じように高いです。

ウチのカミさんと子どもたちはウチの州の州立大を出ました。
世界的にも優れたと言われるレベルです。
そこの学費は、他州から来る人の場合で、1年分が約500万円です。
それに生活費が高い。
この地では暮すのに様々な保険が必要なうえ、住宅をはじめとする諸物価が高いからです。
1年間の生活には、だいたい300万円はかかります。
つまり、1年で800万円、4年だと優に3,000万円を超えます。
東京の郊外に新築の家が買えそうな金額です。

当地の子どもたちにはもうひとつ大事なことがあります。
そのお金を自分で調達しなければならないのです。

当地では高校までが義務教育です。
そこから、一般に、子どもは高校卒業で自立するもの、親はそこまでは面倒を見るが、社会に出ようが大学に進学しようが、それは子どもが自身で選択し、その選択は自分の力で実現する、と考えているのです。

つまり、大学に行くための高額の費用は子ども自身が自分で何とか調達するんです。

親から借りる子も少なくありません。
しかし、親にとっても家が買えるような金額のお金を簡単に出せるわけではありません。
子どもが何人も居ればなおさらです。
なので、多くの子どもは金融機関や奨学金の提供団体から借りてまかないます。

借りるのですから、将来は返さなければなりません。
それは社会に出てから得る報酬で返すので、出来るだけいい報酬を得たいと考えるのは当然です。

いい報酬を得るには、それだけいい仕事に就かなければなりません。
そのためには、出来るだけいい、他の人にはない、他の人より優れた『チエ・ウデ・ワザ・人脈』を手に入れたい。
だから、当地のそれなりのレベル以上の大学に通う学生はよく勉強するんです。

日本の大学生の方々は、サークル活動を楽しみ、飲み会を楽しみ、旅行を楽しみます。
そう言ったことに必要なお小遣いを手に入れるためや、学費や生活を助けるため、よくバイトもします。
しかし、当地の子はそれをしません。

そのような楽しみは、いい報酬、いい地位、名声を得てからゆっくりしようと言うのです。
そして、バイト後と気で稼げる少額のお金のために大事な時間を使うぐらいなら、その金は借りてでも時間を勉強に充てるんです。

勉強と言っても机に向かうばかりが勉強ではありません。
当地の子どもたちは、大学を出た時には即戦力としてバリバリ働くことを考えています。
つまり最初からいい報酬を得ようと言うのです。

そのために何をするか。
それは、勉強で覚えた『チエ』をすぐに使ってみて、教科書には書いてない実際に使う時に必要なスキルがなにかを考え、それをひとつひとつ自分のものにする、つまり『ウデ・ワザ・人脈』を作り、磨き上げるんです。

それをするのがインターンシップです。
日本でも最近はインターンシップと言う言葉が使われるようになってきましたが、まだまだ幼稚です。
1~2日、長くてもせいぜい1週間という時間で『体験学習』するんだとか。
それも企業の用意した上げ膳下げ膳を受け身でやるだけですから、自分のチエを使うことも無ければ、必要なスキルを考える材料にもなりません。
ましてや1週間で磨けるスキルなんてあるわけありません。

当地のインターンシップは、自分のやりたいことをやってる企業や機関や大学の研究室なんかを自分で見つけ、就活よろしく自分で売り込みに行って受け入れてもらう交渉をします。
そして、そこでの活動に混ぜてもらい、与えられた仕事の中で自分が出来ることを考えて出来る協力をしていくんです。
その活動は少なくとも2~3か月は掛けます。
ウチの家族の場合、カミさんは3年生と4年生の時にそれぞれ半年ぐらいずつ、子どもたちは1年生に入るとすぐに始めて4年間ずっとやってました。

このインターシップで大事なことを、日本の人も企業もわかっていません。
そこで一番大事なのは『実績』なんです。

日本では大学は机の上で勉強することです。
『研究』を経験してくる人も居ますが、日本の大学で学生後と気がする研究なんて企業は嬉しくも何ともありません。
勉強だけでは実務経験のない頭でっかちなだけですし、研究してきたと言っても企業の実務に直結するわけでもなく、趣味のお遊びレベルで、先進性も高度なレベルも含まれていない、その業界の人なら知られてる陳腐なものだからです。

それに対して当地の子たちのインターンシップの結果は迫力満点です。
なにしろ、実際の現場の最前線で戦ってきているので、自分には他の人に無い何が出来るか、他の人よりどれだけ優れているかを具体的に実際の結果で示せるんですから。
それが『実績』です。

日本の就活生の願書の自己主張を見るとその差は歴然です。
日本の子たちのそれは、美辞麗句を並べて口先だけで『意欲』を表明する『青年の主張』にすぎません。
それに対し、当地の子のそれは『私はこの実績がある』だから『御社のこの仕事に貢献できる』とはっきり言いきれるのです。

雇う側がどっちを採用したくなるかを考えてもみてください。

雇って研修で訓練してみたけど、口先ばっかで・・・
ほんとだ、この仕事はこの人に任せればいいんだ・・・
この違い、雇う方にとってどれだけ違うか、わかりますか?
それが報酬の違いになって現れるんです。

このように、本気で勉強した学生は就職するとすぐに戦力になります。
だから、就職の時から報酬の交渉では強気に出ることが出来、最初からいい報酬が手に入るんです。

当地では、借金のリスクを減らすため、高校を出てすぐには大学に入らず、社会で働いてお金を貯めてから大学に入ると言う人も少なくありません。
ウチのカミさんがそれです。
アラフォーになって入りましたから。

いずれにせよ、大学は自力で行くもの。
それは、そこでないと手に入らない能力が手に入り、その後の生活のレエベルを上げれるから行くのです。
そのために、本来の目的である勉強に専念し、そこで得たチエにウデ・ワザ・人脈を加えて実績をあげます。
小金を稼いだり、遊びで時間を無駄にするより、勉強やインターンシップに専念して本来やるべきことを大事にします。
これが、それなりの大学に通う当地のまともな大学生の姿です。

最後に、私のコメントをもう一回書きます。

『どっかしら』じゃなくて、『そこじゃないと手に入らない高校より上のレベルの勉強が出来る大学』に行き、『そこで、そこじゃないと手に入らないチエ・ウデ・ワザ・人脈なんかを手に入れること』が大事であって、仮にそれが出来そうな大学に行っても、その結果が伴わなければ意味がない。
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猫も杓子も大学に行く時代です。

大卒だけを目標に行くのなら、行かない方が良いと思います。何も出来ない大卒では社会に出たらすぐにバレてしまいます。
大学で何を学ぶか、何を得るか、卒業後に何をしたいか目標を持って行く事が大事ですネ。自由で貴重な学生時代、どこの大学であれ目標をもって過ごす事が重要です。
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「何を学ぶために行くのか!」が大事!!


ただ、単に、大学に行った!!だけでは、
人生の無駄になる。
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「行くこと」ではなく「学ぶこと」が大事。

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そうですね。


一応、無職にはなりませんし、日本では勉強するか働くか結婚して子供を産み育てるか、どれかをやってさえいれば白い目で見られませんから。
これ、ホント大事な事ですよね、自分にとっても他人にとっても。
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ちゃんとした大学でないと


意味ありません。
中学生以下のレベルの大学など
時間と金の無駄です。

ちゃんとした大学なら
非常に大事なことです。

収入とかは勿論ですが
受験と大学での勉強により
大脳新皮質が発達しますので
つまり、頭が良くなるので
それが非常に大事、ということに
なります。

つまり、自分で人生を切り開く
能力が発達してきます。

良い人生を送ることに、役立つ。


これが一番大切なことです。
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同世代の半分は大学に進学せずに立派な生活と社会貢献をしておられます。

大学進学だけが唯一の道ではありません。個々の人の個性と能力によって,その選択の結果が50年後にどうだったかが違ってくるだけのことです。
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吾の高校時代はどこの大学に行くべきかで


結構大変で、下手な鉄砲、数撃ちゃ当たるということで
たくさん、受けた時代あった。
始め、スベリドメにランクを下げて
複数学部受けたが、残念というべきか、
すべり止めは失敗、
本命にしたものが
受かったということで
運命は分からないものである。
ともあれ、物理学科が希望だったから、
こちらに受かったことは
喜ぶべきと思う。
まあ、もう大昔の思い出になってしまったから
懐古録というべきか。
当時の大学は遊ぶ所と思い込む人多し。
麻雀に凝る人多いという
話があって親が麻雀道具購入してきたが、
現実は役に立たず、捨てることになった。
もったいない話である。
課題こなすことに
多忙で、アルバイトできる学生は
要領がいいのか、それとも学業おろそかにする人のやることだろうか。
ともあれ、まじめ学生はアルバイトなどする暇なく、
単位をこなすために夏季・冬季・春季休暇も返上して
大学に通うこともあった。
忙しい学生生活だった気がする。
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