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なぜ徳川家康は、武田信玄とつながったとされるお寺や神社をやかなかったんでしょうか?そもそも武田信玄や勝頼は本来いてはいけない存在で弱い武将ですよね?

A 回答 (6件)

武田信玄に対する畏敬があったからだ


という説があります。

家康は、信玄と戦い、惨敗した
ことがあります。
脱糞までしたとか。

そういう強敵に対する尊敬。
武人ですから、強い相手は尊敬するのです。


それに、日本古来の宗教、神道は
多神教です。

自分に神がついているのと同じく
敵にも神がついています。

だから、敵を粗末に扱うと
敵についた神様の祟りを受けます。

そういうことも関係していたのかも
しれません。
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跳ねっ返りが怖いからですよ、


焼いたら焼いたで、あと大変、
あと先考えたら、ては出さない

メリットない戦さしないでしょう
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その頃の神社仏閣に続く道は、長い門前町になっていて、軍事的には隘路(あいろ)であり、攻めるとやられるし、敵がそこから出てくるのであれば格好の餌食にできるから、戦略拠点とは思っていなかったのかも。



隘路では隊列が伸び、兵站(へいたん)が出来ないので、そこでの戦いは避けるものです。

ウクライナでロシア軍が縦列で進軍しているところを、いとも簡単に攻撃されていましたね。特に戦車隊の後ろに続く、タンクローリーや食料を載せたトラックが何の援護もなく次々やられたそうです。ロシア兵は民家に押し入って食料を盗んで食べたとか。

そんなことは戦国武将は分っていたということですね。弾や火薬や矢、それに馬の飼葉、人の3度の飯を次々補給しないと前線は3日と持ちません。

でも、旧日本軍はインパールで兵站が伸びきって、戦死じゃなく餓死だったという話はよく聴きますね。そういう意味では戦国武将の方が頭が良いですね。というか有能な軍師が部下にいたということでしょうか。
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武力で敵対してきたり民衆を扇動するような宗教なら相応に処理するでしょうが、そうでない相手を焼き討ちしてわざわざ敵を作る必要はないでしょう。

民衆の反感を招くとよけい面倒なことになる。

「本来いてはいけない存在」というのは、どっちの立場から見るかによります。自分が正義だと思っていないと戦えない。
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例えば比叡山焼き討ちは、僧侶もどきの武士がおり、大量の兵糧が蓄えられて戦略拠点になっており、攻撃しないとこちらが危なかったからで、それに比べれば、犠牲を払ってまで焼き討ちする必要性がなかったんでしょう。



いくさの時に砦になるのは脅威かもしれませんが、堀や塁がある訳ではないし、騎馬隊や鉄砲隊が主体の大規模な軍勢を動かす野戦に対し、統率が取りにくく総攻撃ができない市街戦はお互い作戦には無かったのだと思います。
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武田信玄と強い繋がりがあった諏訪大社が、日本の神道にとって、どれだけ重要な神社か御存知ですか? そんな重要な神社を、おいそれと焼けるわけないでしょう?



そもそも信玄も家康も信長も、宗教には手を焼いています。大衆の信仰というものは非常に大きな力を持っているし、そこと敵対してしまうと自軍の兵士が敵になってしまうのです。

ただの一武将と、寺社仏閣を同一視する事はナンセンスです。
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