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大昔は、だまし取る、盗み取る、奪い取る が 悪 で、
闘い取る、戦い取る は 正義 だった?

A 回答 (4件)

そうですねぇ、、、


視点を変えて話をします
昔の文献にはほとんど「痛み」に関する記述が無いです
これはどう言うことかと言えば
個人の痛みを重視してない価値観だったと言える

だから拷問、虐殺、日本で言えば切腹とかが普通に行われてた訳です
個人の痛みより全体、家門、コミュニティの利益が優先されていた
(そういう視点に立てば心理学が近代まで産まれなかったのは
個人の心の内面とか社会として関心なかったとも言える)

翻って近代は個の重視=自由と人権の時代です
「痛み」に敏感な時代とも言える

「痛み」という視点から正義を語れば
個人の痛みを無視して全体の利益を追及したのが昔の正義
個人の痛みを尊重して個人の自由と人権を追及するのが現代の正義

こう捉えると昔は体罰が許されてて今は許されない
理由ってのが説明出来る気がしますね
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この回答へのお礼

ありがとう

ありがとうございました。
勉強になりました。
他の皆さんもありがとうございました。

お礼日時:2023/06/24 11:13

正義なんて、時代とともに変わるものだ


という考え方があります。

確かに。
現代の価値観で評価すれば、
歴史の英雄など、殺人鬼、独裁者、侵略者
ばかりです。



これに対し、時代によっても変わらない
正義があるはずだ、という考え方もあります。

これは、キリスト教文化圏の考え方です。
神は全知全能で、正義も神が創った。

だから、時代や立ち位置にも変わらない
正義があるはずだ。

そういうことで、彼等は数百年議論して
いますが、いまだに結論は出ていません。
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そういう観方もあると思います。



国というものがない時代には、個人間のだまし取る、盗み取る、奪い取るは悪であり、それ自体は国が出来てからも国内においては悪です。
但し、国は国民から富の一部を奪うことは合法化し、それは悪ではないとしています。

しかし、国家間の騙し合い、盗み合い、奪い合いは、国家の名において正義となりました。

現代でも国家の名において戦争が正義化されていますね。それを中国語でいうと「大義名分」ということになりますが、正義が大義名分と同じということは、正義の偽善性がよく分かります。

そろそろ、世界連邦または地球連邦など実効性の伴う超国家が出来て、各国が今の国民的立場に立つ日が来ても良い頃かと思います。
まだまだ最低でも数世代かかると思いますが、今のウクライナ戦争がその契機になると良いと思っております。
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2種類の正義があり、相対的にそうなっていたかと思います。



例えば、「いじめ」の対応…
昔は「やり返せ(戦いとる)」で、今は「教師に相談(第三者調整機関)」ですね。
「やり返せ」は弱肉強食的正義で、「教師に…」は法的正義です。
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