プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

日本人は褒めない人が多いようです。
ビジネス書を見ると、「褒めてはいけない」、「褒めない上司の方が部下は成長する」、「褒めて伸ばすと言う小学生の向けの管理方法が会社に合う訳ない」と褒めることを真っ向から否定している書籍が多いです。
特にプロセスを評価することは絶対にやってはいけないこととも言われています。

海外では部下を褒めることが多いようですが、日本において部下を褒めることは御法度なのでしょうか?
褒めない方が部下も会社も成長するのでしょうか?
皆様のご意見を伺いたいです。
よろしくお願い申し上げます。

A 回答 (64件中51~60件)

ビジネス書のジャンルの人達の中にもいろんな考え方の人達がいます。

このような本を読む時は、著者がどんな人なのかを知る必要があります。建築関係のしごとを良くしていたのなら、話も建築の世界ぽいことを言いますし、銀行相手ならやはり金融関係ぽい話をします。そのような書物は著者が複数人ではなく単独が多い印象なので、あくまでその著者の世界では…と割り切って、参考程度に留めたほうが良いです。本の中で言われていることがご自身の世界でも当てはまっていればよいですし、そうでないこともあります。そうでないことのほうが多いです。

ただ、共通して言えることは、相手が承認していれば、褒めようが叱ろうが怒ろうが理解してくれやすい事です。逆に承認されていない人が褒めようが何しようが相手は素直には聞いてくれません。
要は人間関係あっての褒めるだの叱るだのになってくるかとは思います。

また、厳しくすることで成果が出たことで、褒めるのではなく厳しくしたから成果が出たと勘違いする著者たちもいます。厳しくすることで、どのような働きがあっての成果なのかよくよく分析してみると、それは単に恐怖政治だったり支配的な上下関係による場合も少なく有りません。それは質の高い組織になっているかと言われると大変疑問が残ります。

人によっては厳しくしたほうが伝わりやすい人もいますが、何にしてもお互いの人間関係によって質の高い成果とその間のプロセスを生むことができ健康的な組織が育つのかと思います。一概に褒めるだの叱るだのの話ではない気はしますし、実際に質の高い成果を出している組織は、もうそんな話をしていないと思います。
    • good
    • 1

褒める褒めないなんて重箱の隅のことです。


そんなことばかり考えていては人は育てられません。
もっと本質をを考え、見る目を養わないと。
    • good
    • 1

文化違いますからね。

。。。
クビになりにくい文化、見捨てられにくいのが日本
クビになりやすい文化、身すれられやすいのが海外

なので、個々の生産性や能力が、海外の方が高いので、褒められやすいのかなと思えます。
海外だと新卒をとると言う文化はなく、インターンで優秀な人を取る文化ですからね。

そもそも能力の低い、褒めにくい人雇わないのです。仕事が出来る会社にいて欲しい人材を入れているので、褒めるのです。

日本は、新卒の安く雇い入れた人達でこき使う文化なので、いきなり仕事の出来る人は少ないです。

なので、褒めようのない人材は、それなりにいるし辞めるなら辞めてもらい他からまた雇い入れると言う効率の悪いことをする会社も少なくないです。

よは、海外では大学生の時から、働き具合を見られて採用され、見込みのない人は雇い入れないし
褒めもしません。

後、海外ではもっとシビアにボーナスとペナルティを使い分けてます。

社会人ではそう言う事情がありますが
海外では、根本的には子育てから褒めて
伸ばす、人と違うのは素晴らしいと言う
とところに起因していますので
褒めるのが根本的には多いです。

日本では、軍隊式で隣に同じ、規律を守るなので
褒めて伸ばすではなく、ルールを守り秩序をみださないことが正しいなので、褒めにたいてしてハードルが厳しいです。

で、部下、社員、会社が成長すると言うのは
それぞれ違います。
人が成長していくのには、褒めた方が良いです。
会社が成長するには、褒めても伸びません。

人の生活のしやすさ、便利、問題などが
商売の元になるので、褒めてばかりでは
社会に対しての課題が出てこなくなります。

けど、人に対しての褒めは、規律を守るより
人の能力を圧倒的に成長させます。

規律、ルールを守るを軸にすると精神的に疲れるので、モチベーションは上がらず、いかにギリギリのラインで仕事をしていくかと言うモチベーションに変わります。

褒めは、モチベーションを上げて、好きを上げるので、小さな目標以上の大きな目標で活動します。

褒めないは、小さな目標の小さなラインで
めちゃくちゃサボります。
学生で言うなら、赤字ギリギリ、夏休みの宿題もやらないか、ギリギリでしか活動範囲いかに小さくするかを考えます。

褒めは、そのものを楽しくさせます。
規律、ルールは、安全にはさせるが
楽しくさせません。

で、日本においての部下を褒めるは御法度でもなんでもないです。個々の能力低いので個人は褒めないだけです。

チーム全体を褒めると言う類なので
かなり誤魔化した褒め方をします。

その褒め方の方が、日本的です。
特定の人を褒めると、表面上は称えますが
モチベーションは、下がります。
    • good
    • 0

「褒める」という言葉にするから、ややこしくなるんだと思うんですよね。



で、私は子供の発達についての研究職に就く者でして、そのリサーチの一端を申し上げますと、「子供を褒めて育てる」これは、良くないんですね。
子供を褒めて褒めて育てるのは、子供を叱って叱って育てるのと同じことなんです。なので、同じ結果になるということです。

まず人は、その人自身としてあれがやりたいこれがやりたいという欲求を持ちます。その内的起因によって、トライしエラーし、獲得し選択する訳ですよ。それが発達であり成長です。
その内的起因によっての結果に外部から「褒められる」とか「叱られる」いう動力を受け過ぎますと、「褒められたいから、頑張る」とか「叱られない為に、頑張る」ということになるんです。つまり他者評価の為に頑張る。です。
やってることと結果は同じでも、自分の欲求のための結果ではなく、他者の欲求のための結果ですと、非常に自己抑制的になりますので、トライするということが出来なくなるんですね。

例えば、成績の結果を叱られると、その評価をこれ以上下げたくないので、そもそもトライしなくなるのです。
同じく、成績の結果を褒められると、その評価を維持したいので、そもそもトライしなくなるのです。

トライすればエラーはもれなく付いて来ますからね。叱られた場合も褒められた場合も、それが過度であると、両者共に評価が下がる可能性に躊躇するという現象が起こるのです。

では子供の成長に不可欠な、トライアンドエラーを繰り返せる環境とは何かというと、「認められる」ことなんですね。結果を評価されるのではなく、トライしたことがただ認知されること、エラーしたことがただ認知されること、そして、その個人の経験値が情報としてコミュニティの中で共有されることなんです。

単純に言えば、やりたいようにやってる時はやりたいようにやらせてろと。その結果を情報として共有しろと。それをやめさせたい時には、叱ったり褒めたりしろということです。で、やらせたい時には、叱ったり褒めたりは阻害要因にしかならないと。

最近盛んな「承認欲求」ですが。特に日本人は存在としての個をただコミュニティに認知されて育つという経験値が足りなさ過ぎるので、今更貪るということなのかな、とも思います。

でもね、足りないから欲しいからと承認ばかりを貪ると、結局は他者評価に依存することになりますのでね。つまりは自己抑制的にならざるを得ない。

人は成人してから方が長いので、成人してからも成長が必要ですが。他者評価に依存すると個人の成長が阻害されるということの人の本質とコミュニティとの関係性は同じものであると。

そして海外は…と、おっしゃいますけれど。これを日本語の「褒める」そのままに変換できることなのかな?

と、思いました。
    • good
    • 1

「褒めない方が良い」は無能の思考

    • good
    • 1

人によるのだろうけど、褒められて成長するって聞こえは良いが、つまるところ自力成長出来ないって話でしょう。

当たり前の行動で褒めるのもなんだかおかしいし、褒める=頑張ったからで頑張るのは新規能力の開拓とか困難な状況打破のための邁進などであって間違っても普段の行動にたいしてするものじゃない。

そういうやり方をすると互いになあなあになって自堕落な行動をやり始めて全体的に低迷していく‥ってのは集団認知でよく見かけることです。

褒めない上司の方が自力成長するしかないからなので。常に自力で成功に持っていけないって要はメンタルの影響がかかりすぎってことで安心して任せられないでしょう。ご法度ってよりはただの甘やかしにしかならないからやるなって事なのです。本当に頑張って成功に導いたなら称賛はありきですけどね。でもそれは「上の立場の人間は当たり前でやっているはずのもの」であったりするんですよ。

自分も自分のやるべき事を当たり前にやっているだけで凄いとか褒められても「?」ってなる人間です。でもこういうタイプは使命感とか自分で大事なものをしっかり見据えて自立行動が取れる者なので、そうじゃない人には褒めるのはありかもしれません。有頂天になって傲慢になる可能性も出てきますけどね。
    • good
    • 0

褒めるということの効果は受け手次第なんです。


褒めてほしいことを褒められて喜ばない人はいませんし、理解されている安心感と信頼につながります。
問題なのは褒められることでもないことを褒める人がいるってこと。
つまり対人能力の欠如ですね。

ぶっちゃけ、ビジネス書を読む人はそういう能力が欠けているから、「いっそのこと褒めない方がいい」となるのです。
    • good
    • 0

質問文を読んでみて「日本人はビジネス書ばかりを頼りにする人が多いようです」という感想を持ちました。



>日本において部下を褒めることは御法度なのでしょうか?

少なくとも、そのビジネス書を書いた人は、褒めることで失敗体験、褒めないことでの成功体験があるのでしょうね。真の理由なのかどうかは別にして、一応理由も書いてある。ならば、それに納得できるかどうかだけでしょう。

>「褒めてはいけない」、「褒めない上司の方が部下は成長する」

少なくとも、これは私は理由ではなく、「※個人の感想です」とつけてほしいぐらいの、根拠さえ書いてねぇじゃん系だと思います。

>褒めない方が部下も会社も成長するのでしょうか?

これも随分と画一的だけど、「日本の会社はどこでも同じなんでしょうか?」、「日本の会社業務はどこでも同じなんでしょうか?」、「日本人部下はクローン人間なんでしょうか?」、「会社の成長というのは何で測っているのでしょうか?」とか聞きたいぐらいです。

ちなみに、私は、良い着目点を披露したとか、粘り越しで頑張ってやり遂げたとか、省力化のための仕組みを作ったとかは、目茶苦茶褒めてます。

逆に、知ったか振りをしたり、同意のための同意をしたり、相槌だけでその場をやり過ごそうとしたり、鸚鵡返しはするものの手は動かなかったりすると、「お前、何者?」とか「会社はクイズごっこをするとこじゃねぇぞ」と凹むようなお叱りもします。

これは、仕事を通じたコミュニケーションであり、別に好かれようとか嫌われようとかの目的はありません。ミスが入りかねないところでコミュニケーションをとっているだけです。
    • good
    • 0

今時の青年は叱られたことが無いらしく、教えたこと、運転実習で指示したことを叱られたと受け取るらしい。

そして親に言いつけ親が怒鳴り込んでくる。自動車学校での話です。

新卒者がホワイト企業に入ってもすぐ辞めるという現象は珍しくないと報道されていました。叱られないから物足りない?

指導したら虐められた、叱ったら殺されそうだった、厳しく指導されないから嫌だ。まことに厄介。

そういえば部下を叱らないほうだったが厳しく叱ったのもいました。思えば殆んどのやつは無能でした。本を出すので部下に割り振ったら誰もろくなものが書けないので結局一人で書いた。時間ロスが大きかった。
    • good
    • 0

山本五十六の名言の中でも有名なのが、



「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。」

という言葉です。これを現代語にすると、

「まずは実際に自分がやって見せて、しっかりと説明をして理解させ、その後実践させてください。そしてその行為を褒めなければ、人を動かすことはできない」

という意味です。

軍人として多くの部下を統率してきた彼の言葉は、現代でも多くの経営者や指導者の格言として知られています。

この言葉が述べているのは、
”相手に敬意を払わないと動いてはくれない”

ということです。相手を軽んじて言うことを聞かせようとすれば、反発され、関係が構築できず、そこには成果も生まれようがないということです。
    • good
    • 4

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています