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日曜の昼間なんでパン屋の列に並んでたら白髪の80歳くらいの爺さんが普通に横入りしてきて一喝して後ろ行かせたんですけど彼は終戦から令和の今まで生きてきて何を学んできたのでしょうか?

A 回答 (4件)

終戦直後の闇市では食べ物を得るためには、殺到、もみ合い、割り込みが当たり前。


 そのような厳しい時代を生き抜く術として脳内に刷り込まれているのでは?

 よう知らんけど。

 自分は食いモンのために並んだことなど、一度もないだす。
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ボケているのでは、気にしてもしょうがないと思います。


若い時にはまさかしなかったと思います。
なにか世の中にかな?不満があるでしょうね。

気にしないほうがいいと思います。
この行動を明るく軽く笑うくらいの気持ちになれたらと思います。
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並んでるのが分からなかったのでは。

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この回答へのお礼

駅前のパン屋のよくいる常連で店員にもすぐさま注意されてたので常習犯ですね。

お礼日時:2023/08/22 19:18

自分に置き換えると? どういう心理でやるんだろうか?



みたいに思いますね。

以下は長いのでお暇なときにでもどうぞ。またご回答する中で質問を投げかけますが、ある種の誘導ですのでご容赦ください。

横入りは「やろうと思って出来ない事の一つ」に感じられます。皆さんはやりたくて仕方ない自分を抑えているんですか? それとも普通は出来ないだろう? のどちらなんでしょうか。

例えば、

「列を見て並ぶのが嫌だと思ったんで今回は諦めました」

と言うのが普通に感じます。

どこかでその感覚を失ったという方が正しく、学んでこなかったのでは無いと思いますよ(逆学習)。

「試しにやってみたら意外と通用した」

こちらを学んでしまったのでは無いでしょうか?

根本の原因は何なのかと良く考えます。

似たような話があります。

犯罪を犯さないのは捕まるからなのでしょうか?
働いてお金が得られるのは嫌な事を我慢する我慢料なんでしょうか?
女性に悪戯をしないのは女性に怒られるからなんでしょうか?
失敗をしたとき謝るのは悪い事をしたからなんでしょうか?

普段わたしたちが一緒にいる方の中で、私たちと同じ行動を取っているが、その理由が違うという人がいるかもしれませんよね? そう言った部分について考えて「教育とは何なのか?」そして「そういう人に遭遇したときどうすべきなのか?」普段から考えて置かないと行けないと思います。

因みにシルバーシートについてはどう思いますか? この理念に従うならばお年寄りには順番を譲ってあげても良いですよね? 

「年寄りに優しくしたいのではなく、シルバーシートと
 言うルールに従っているからだ。列の場合は並ぶとい
 う暗黙のルールがあるからそれを守るべきなのだ」

と言う人が居るかも知れません。そういう方はルールの準拠について信奉しているのであり「優しい方」と評価される部分は違う訳です。また年寄りを弱いとは捉えてもいません。よくあるのは電車の入り口に陣取っている方です。「俺を抜かすな。順番だろ?」と言っている人がたまにいます。そのため「安全のため出入り口で固まらないでください」という旨のアナウンスが良く流れます。

とすると私たちは、

「列に並ぶのはどうしてなんでしょうか?」

と言う問いかけをされたとき明解に答えられるでしょうか?

「学ぶ」と言うのは脳死で覚える事じゃありません。一つ一つ全体益になると説明できるようにすべきでしょう。そうしませんと自分が教育指導をする立場に成ったとき「悪い事だ」と教えてしまったり、「罰せられるからだ」と教える事になります。そうなれば「制裁を交わす」方法を考えようとする子供や大人が増えてしまいますよね。これが過去から続いているのだと思いますよ。

更に、こういった隙があると、

「必要のない悪慣習を踏襲している脳死の輩が多い」

と反撃されて説明に困るという訳です。

では素朴な疑問として、ルールを守らないと行けないのは何故なんでしょうか? こういうあたり「今更聞けないナントカ」みたいになっていて「腹落ちしない」まま年を取った老人もいると思いませんか?

「ルールは不完全なものをリスクを抑えて運用する時
 に効果的です」

本質は「提供元が安全な状態で提供していない」という部分があるんです。電車内に充分な数の座席リソースがあれば「席を譲るルール」は必要ないんです。またパン屋の問題もそうです。

「完全に成るまで待てない。今ある部分でも役立てる
 べきではないか? それと共に本質的な改善も必要
 だよ。いつまでルールで暫定運用する気だ?」

という発想をもつことでしょう。ルールとは何かを知って、本質的な問題について改善を求め続ける姿勢が必要なんです。暫定運用への協力者として自分の立脚点を作る事です。我慢をする美談という話ではありません。

「どうしてこうなった?」

と言う自分の不満も殺しては行けないんです。そうしませんとルールを無視する人に対して攻撃的に成ります。

「そういう諍いが起きるから並んで下さいといったん
 ですけどね・・・」

と提供者にとっては意味のない話になるんです。「ルールが無いまま順番を争う」というトラブルと「ルールを無視したという人を罰する」トラブルは、提供者にとっては同じトラブルだという事です。

シルバーシートの場合は「若くても体調の悪い人がいる」場合について不完全です。そこに思い至れば「年寄りであっても遠慮する」のは当たり前です。なので席を譲らない人を罰してもいけないし、遠慮する年寄りがいても批判しては行けません。席が足りないのが可笑しいと言う点を先に考えるようにすると綺麗に収まると思います。

「不完全なものを運用するとトラブルが生じる。そのとき、
 全体として一番リスクが低く成る考え方を共有する。
 具体的にやってはいけない事を検討する。
 これがルールであり、暗黙のルールと言うのはあっては
 ならない。これを用いて人気を得ようとするとそれが偽
 善となる。偽善が良くないのは分断を生み出したり、悪
 用されるからである」

つまり一見して良い事であっても実際に運用するとトラブルが増える場合があります。このため何度もシミュレーションを行い、専門家を交えて議論をし、実験を経てから施行運用をし、実際の中で問題点を改善していきます。そして利用者の負担が無い形(つまりルールによって負担が大きく成る事を防ぐ)で協力を求め、その理由を予め伝達し、了承を得たものがルールです。それ以外はルールでは無いのです。

「効果が不明であったり、人により解釈が異なる物は、ル
 ールとして運用しづらい。そのため細則化する必要があ
 る。細則化する段階で理念に反しないようにし、これに
 関しては状況に合わせて改変していく」

阿吽の呼吸でその場の秩序を作る集団は非常に高い知性を持っていると思います。しかし、それはルールではなく、各個人の意思でやっているというのも予め知っておかないと行けません。トラブルが発展すれば裁かれるのは相手だけではなく自分も対象になるからです。

「順番待ちの男性二人が言い争って通報されるという事件
 がありました」

こういう話から事件に発展しているというニュースは良く見かけますね。

お年寄りだから優しくするのではないです。順番を守らないのが悪い事だから罰して良いというのでもありませんよね。シルバーシートは分かりやすく合意を取るために提供者側が努力をしています。そうでない場合は阿吽の呼吸で全員が秩序を守ろうとして意気投合している状態です。

「横入りを許す場合はその場にいる全員の合意が必要」

として「自分の判断で許可できない」というのが正しく「守らないと行けない」という判断も自分で出しては行けないんです。協力を求めるという程度が訴えて良い部分でしょう。そこまでで義務を果たしたとして、トラブルが生じていない事で満足するしかありません。

その姿勢であるならば、

「この人緊急みたいです。皆さん申し訳ありませんが、
 ご協力ください」

と言う呼びかけが出来ると気づけますよね。その場にいる人全員の合意があれば変更できるという解釈が自分で出来るわけです。ルールを明文化した提供者がいるならば提供者に訴えかけるという発想が浮かびます。

「罰するマンではなく、お助けマンに成ろう」

守らなければ行けないと考えていると、ルールと言う物の本質を誤って運用してしまいます。救える物を救えなくなるという話です。ルールは提供者側に不完全な部分があり、これの完成を待たずに「救える部分だけ救おう」という発想から生まれています。この本質を理解していれば救える対象が増えるわけです。

「悪を成敗しました」という主張では偽善になる場合が多いと思います。これは分断を生み出します。

「では放置すればいいって事ですか?
 横入りを認めろって事ですか?
 それが正義って言う積りですか?」

悪を成敗したという気分に高揚する部分さえなければ、行いは勇敢であると思います。怒りをもって実施するのは勿体ないです。

「提供者に変わって謝罪をするという協力をしている
 のであって、悪を罰するという協力をしているわけ
 ではない」

トラブルが続くと気持ちよく利用できなくなるので、みんなで「提供者の不完全さを庇っている」というスタンスです。その善意は「提供者に変わって謝り、協力を求める」という部分で現わさないといけません。

「不快だと思った人が次からお店を利用しなくなる。
 お店にとっては迷惑な行為(営業妨害)でもある
 のだ」

例えば漫画やアニメがあったとします。これの強力なファンがいたとします。そうでもないライトな人が居たとします。そのライトな人が不満を述べたとします。それに怒って濃いファンが言うんです。

「お前は見ないでいい。そんな資格は無い」

作者にとっては困りますよね。それで生活をしているわけなんです。作者の為を思って営業妨害をする。こういう成り行きに発展するのを偽善と言います。

回答の前半は「逆の学習」と言う問題点を述べました。次は同じ行動をしているが理由が違う人が沢山いるという話をし、今更聞けないルールって何?の話をしました。その上で「80歳までに学ぶべき事」は「偽善と分断」への対応であり「今生きている私たちにある」と説明しました。

秩序を守ろうとした姿勢は間違っていません。自分の意思を行使をするときは世間の風潮をあてにせず、法令順守(どちらもただの客)の中で発想しましょう。

以上、ご参考になれば。
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